そういや俺もそうか 牧野信一の『闘戦勝仏』をどう読むか⑨
それでも誰か一人、一番好きな作家を一人だけ挙げろと言われればそれはフランツ・カフカということになるのだろう。しかしそんなことを書いてしまうと「あいつは変わったものが好きな変な奴だ」と言われるのが嫌で、なかなかそうとは言えない。実際フランツ・カフカの作品はどれも奇妙で、登場人物の多くは信用できない。しかしフランツ・カフカの伝記などによれば彼は実生活は真面目で誰に対してもきちんと対応している。そのカフカ作品の登場人物の信用ならなさと、牧野信一の『闘戦勝仏』のの登場人物の信用ならなさというものはどこかニュアンスが異なる。それがどう違うのかということはまだ明確に言語化できない。
あれ? 「で、私は、たゞかうして祖師様のお顔を拝してゐられることだけが私の唯一の快楽なのです」と言っていたのに、もう玄奘三蔵法師のことはどうでもいいのだろうか。しかも「白雲へ飛び乗つて、雲程万里鵬の勢ひで」移動しているわけだから地べたを歩く長旅でもあるまいに、「こんな長い道中を厭なこつた」とはいかにも怠惰だ。
もう相手が男でも女でもかまわないなどというところはどうでもよくなる。「嬉しさの余り自分の手に力一杯喰ひ付いたりした」という喜びの先取りと自分に喰いつくという奇妙な反応も、もはや不自然とも感じられなくなっている。これが処女作なのだというのならば、この牧野信一という作家は相当おかしい人なのではないかと疑ってしまう。
しかし「悟空の耽美の心の最後の形式ですら、王の指先にすら及んでゐなかつたのである。」と書いたからには間違いなく本物の作家なのだ。
恐ろしく怠惰なものと驚くべき詩が同居している。実はカフカの詩がどの程度のものであるか、翻訳でしか読んでいない私にはまるで解っていない。牧野信一の『闘戦勝仏』が外国語に翻訳されたところで、その奇妙なちぐはぐさは伝わるだろうがはたして詩はどうか。
このそっけない説明は、おおよそ美文とは程遠いもので、なんなら物語も作ろうとはしていない。「早速門番の小悪魔を殺して偽門番に化けた」とたった一行で殺されてしまう小悪魔も哀れなものだ。「聞く所に依ると」といういい加減さはまるで悟空の怠惰が語り手にも感染したかのようだ。何なら牧野は「三つの鈴」の意味を説明しようとさえしない。鈴は「この悪魔は煙火砂の鈴といふ怖ろしい宝物を持つてゐた。火と煙と砂とを自由に呑吐する鈴で、三界の悪魔も聖者も決してこの鈴には敵さないのである」と書かれていたので、火と煙と砂とを自由にする役割が一つずつの鈴に割り当てられていて鈴が三つあるとは書いていなかった。それはもう『西遊記』でご確認くださいと言わんばかりだ。
だから「雲程万里鵬」も説明しなかったのだ。しかし「密香竜涎」は説明が必要だろう。「龍涎香」というものはある。「密香竜涎」というものは見つからない。
こう言っていたのは出鱈目ではなかったのかもしれない。確かにこの作者には少しいい加減なところもある。
このくだりは実際の『西遊記』の筋とはかなりかけ離れたものになっている。それがどのように違うのか、ここでは比較しない。しかし『西遊記』の想像力の豊かさと比べてさえ、ここはさらに奇妙に書かれているとだけは書いておこう。
いやなにね、柄谷行人が夏目漱石を読み間違えてゐなければ、そして平野啓一郎が三島由紀夫を読み間違えてゐなければ、私の人生はもっと別の形になっていたと思うのですよ。それは例えば『カフカふかふか』(下薗りさ、木田綾子 白水社 2024年)なんか楽しそうで、羨ましいですよ。「弁護士は何と馬だったんです」なんて書きたいですよ。しかしそういうわけにはいかないみたいですね。
2011年5月26日この牧野信一の『闘戦勝仏』が青空文庫にアップされて、以来二十三年、「加け」だったわけでしょう。「形式」が凄いと褒めた人がいましたか。
芥川だって悲惨なものです。
オオストラリアの猿だってガン無視でしょ。
漱石に至ってはこれだけ論文が書かれて、
平野啓一郎は天皇は乳房だと書かないのに金閣寺を天皇にしてしまう。
ぼろぼろなのよ。近代文学は。牧野信一が思ったよりぞんざいに扱われていることに気がついて、今更のように遅すぎたと後悔している。だから『西遊記』との比較はじぶんでやってね。
この「お前が言うな」という絶妙なことを書いてみる。ここには一つ仕掛けがあって『西遊記』とうっすら意識を接続して読んでいた読者は、「あれ? 孫悟空はどうだった? もしかして童貞?」と考えてしまうところだ。あの孫悟空は童貞のまま五百年間閉じ込められていたかと思えば、なんとなく気の毒になるところではあるまいか。
まあ「貴様は未だ女に愛されるといふ愉快を知らないからだ」と言えるのは、女に愛されるといふ愉快を知っている人間だけだ。それを「実は俺も知らんけど」と笑わせるのかどうか、まだ誰も知らない。何故ならここまでしか読んでいないからだ。
[余談]
『カフカふかふか』(下薗りさ、木田綾子 白水社 2024年)は面白いし、楽しそう。本当に羨ましい。
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