祇園祭の契約

「ほら!キュッキュッって鳴いとる。ウグイス張りの廊下や」

 二条城の中で、細見の男が嬉しそうに振り返った。

「彼氏さん? 醤油顔のイケメンねぇ」

 そう微笑みながら観光客のおばさんが、私の横を通り過ぎて行く。

「本当のヒトなら、いいんですけどねぇ」

 私はつぶやき、はしゃぐ彼を追いかけた。



 

 彼との出会いは祇園祭の宵々山だった。

 その日私は紺の浴衣を着て、髪をかんざしでアップにし、四条烏丸の車止めに座っていた。山鉾の上では、笛や太鼓でお囃子が演奏され独特な音色が辺りにあふれている。

「これが祇園祭かぁ」

 私はうっとり、でも悲しくそれを見上げた。

「一人で祇園祭に行くと、四年間彼氏が出来ない」

 そんな噂が大学で囁かれていた。

 女子高育ちで男子慣れしていない私は、大学で絶対に彼氏を作るという決意を胸に、京都の共学校へ進学した。

 その初心を達成するため、何とか祇園祭デートの約束を取り付けたのに、今まさにドタキャンされて一人でいる。


「やっぱり私が垢抜けないからかな」

 私の髪は今時珍しい、黒のロングだ。染めようと試みたが、全く色がのらない。今はアップにしている髪をそっと触る。

「くせ毛だから、伸ばしてないとうねってくるし」

 短くもできない黒髪ロング。見た目はまるで……




「なんや君、髪黒くて巫女さんみたいやなぁ」

 はっと振り返ると、後ろに細身の男が立っていた。男は糸のような目を、さらに細めて笑った。

「君一人? 一緒に周らへん? 」

 男は灰色の浴衣を身に着けていた。高級品だとひと目で分かる。

 はじめてだけど、ナンパされているの?これが浴衣マジック?混乱と夏の京都の蒸し暑さで、頭がほてる。男はそのまま、私の後ろにしゃがみ込んだ。

「祭りに一人って珍しいなあ」

一人……。私は、男の言葉に、また都市伝説を思い出していた。祇園祭に一人で来ると彼氏が出来ないって話を気にしていたのに、結局一人になってしまった。少し男の誘いに乗ろうかという気になる。

 だけどたまたま今日一人だからって、四年間も彼氏が出来ないってことはないだろう。大丈夫、ただの噂だ。自分にそう言い聞かせる。


「なぁ、無視? 」

 男が私のかんざしに手を触れてきて、我に返った。

「ちょっと! 触らないでくださいっ!! 」

 男の人に触られるのは怖い。思わず男の胸をどんと押してしまうと、彼は驚いて尻もちをついた。その勢いで私のかんざしがはずれ、バサリと髪の毛が顔に落ちてくる。

 咄嗟に私は立ち上がった。やばい、攻撃してしまった、この男逆上するに違いない。自分の髪で目の前がよく見えないまま、走って逃げだした。

「次は君か。四年間、奉仕よろしゅうね」

 背中に、そんな声を聞いた気がした。

 コンコンチキチン、コンチキチン、祇園祭独特の音色が響いていた。





 屋台を見ながら楽しそうにそぞろ歩く人の中を、小走りで進む。

「あーもう最悪」

 せっかくの祇園祭だったのに。デートの約束は振られ、変な男にからまれ、走った汗で浴衣はぐしゃぐしゃだ。

 気付くと三条新町の方まで来ていて、だいぶ人もまばらになっている。幸い男は追いかけてこなかった。

「あーあ、かんざし気に入ってたのにな」

 男を突き飛ばした時、落としてしまっていた。路地に入り、肩にばらけた髪を手ぐしで整えていたその時、柔らかいものが脚に当たる。下を見ると、茶色の動物がいて、ふわふわとした尻尾と、細長い鼻が見えた。

「きつね?」

 狐がこんな街中にいるなんて、信じられずしゃがむと、狐は私のかんざしを銜えていた。

「まさか、拾ってくれたの? 」

 なんだかメルヘンな出来事だけど、京都の不思議な夜にはこんなこともあるのかもしれない、とじーんとした。さえない私へのプレゼント。かんざしを受け取ると、髪をもう一度アップにした。



「君、何なん?説明も聞かずに逃げおって」

「きゃあああ!」

 立ち上がると、目の前にさっきの細身の男が立っていた。

「い、いつの間に!」

「まぁ、触れてくれて契約も完了したし、よしとしよ」

「な、何ですか、さっきから!契約って詐欺ですか? 私は契約も何もしてません!」

 パンチしようと伸ばした手を、男はひょいと避けた。

「契約したやん。祇園祭に一人で来ていた君が、僕に触れたやろ。まぁ突き飛ばしたというか。ともかく、それで四年間の契約完了や。君も知っとるやろ?一人で祇園祭来たらって噂」

 もしかして、大学で聞いた都市伝説のことだろうか。この男も知っているほど京都では有名な噂なのか。

「触れたら契約完了? 何ですかそれ。それが噂と何の関係が? 」

「僕と契約したからには、週に二回は京都観光に連れて行ってもらう。

僕のような優男と二人で頻繁に出かけとれば、まぁ彼氏も作れんやろ。

それは堪忍」

 あの噂の真意は、この変な男に四年間遊ばれて彼氏を作れないことだと言いたいらしい。

「嫌ですよ! あんたみたいな知らない男とデートなんて絶対しない! 」

 せっかく共学に来たのに、こんな男に利用されてたまるか。ナンパなら今すぐ断ってやる。



「ほお」

 男はこれまで浮かべていた笑みをひっこませ、少し目をつりあげた。

「君ごときの人間が、伏見稲荷のお狐様に口答えできる立場かい」

 とんと軽く押されただけなのに、気が付くと背中に壁が当たり、すぐ目の前には男の胸があった。逃げようとするが腕で囲まれている。

「最近は女の子に憑かんと、もう自由に行き来できひんでなぁ。

宵々山の日だけ、霊力が強まるんか、ここまで出てこれるんやけど。

やから、この日に一人でいてる女の子探して、四年間憑かせてもらう契約してるんや」

 男は悲しそうに語りだしたが、私はその間に頭をフル回転させた。こいつ本気で頭どうかしてる、こんな暗い路地で二人きりなんて怖い。なんとかここを逃げ出さなければ。

「この痴漢! 私に触らないでーー!! 」

 覚悟を決め、大声をあげながら、髪を止めたかんざしをさっと外し、男に向かって振り上げた。

「あ、あれ? 」

スカッと手は空中を切った。

「え? あの男、消えた?? 」




「ちっ、また髪おろしよって!! 」

 姿は見えないのに、足元からその声がした。

「ここだここ! 伏見稲荷のお狐様やと言うてるやろ! 」

 見下ろすと、さっきかんざしを拾ってくれた狐が円をかいてくるくる走り回っていた。

「は? 狐? さっきの男なの? 狐が喋ってる? 」

「せっかく人間に変化しよったのに! 君のその長い黒髪、浄化の力が強いんか、おろされると変化をたもてん。くそぉ」

 狐はケンケンとこちらを睨んでいる。私は思わず髪の毛をさわった。かんざしを取ったことで、バサリと長い髪が顔と肩にかかっていた。

「まぁええわ。契約したのは事実やからな。さて、早速明日はどこへ行こうか。二条城はどうや?あそこはもう十年行ってへんなぁ」

 機嫌を直したのか、狐は尻尾をふりふり、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「あ、髪はまとめといてや。僕、二本足で歩いて観光したいし」

 こうして訳も分からないまま、祇園祭宵々山の日、素敵な彼氏とのキャンパスライフは夢と化した。代わりに、このヘンテコ狐男に憑かれて京都観光する、魔の四年間が幕を開けてしまったのだった。




「前憑いてた子より、美人ちゃうけど、まぁしゃあないな」

 狐は目をひゅんと細めて笑った、その目は男の目と確かに一緒だった。

「もう絶対髪をアップにしないから」

 私がそう言い放つと、狐はクーンと鼻をならして尻尾をふり、トテトテ後をついて来るのだった。



(了)

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