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「自分らしさ」を守る戦い




昨年から、奇妙な現象が起きている。


それは、周囲の友人・知人で発信をする人が急激に増えたことだ。


今回は、その原因として2つの説を唱えてこの現象について考察してみようと思う。




自粛期間で人と話す機会が減ったから




この説の実例となるのは、何を隠そうこの僕だ。


大学では他愛ない会話をする場もあったし、自分の思考をさらけ出して討論する場所もあった。







しかし、卒業してすぐに新型コロナによる自粛期間も始まり、その機会が全て失われてしまったのだ。


これは、なかなか苦しいものだ。






在学中は、「読書会」という形で本の内容について週一回、教授と討論をしていた。


いざそれが無くなると、アウトプットの場が身近にある環境の大切さに気付く。



自粛期間は時間的余裕ができて読書がはかどったが、どこか寂しささえ覚えた。








その寂しさに耐えかねて始めたのがTwitter、ブログ、そしてこのnoteだった。


対面での討論にはかなわないものの、やはり自分のことをさらけ出せる場があると無いとでは心持ちが全く違う。


アウトプットの場があると、インプットのモチベーションも上がり、なにより日々の生活に彩りが出てくる。








こうして発信を始めたのは僕だけではないと思っているのだが、少数意見なのではないかと思う。


どちらかといえば、もう一つの説のほうが僕の中では有力説だ。






働く中で「自分らしさ」を抑制していること





僕は浪人していたので出遅れたものの、周囲の友人は既に数年の社会人生活を送っている。


そんな友人たちが仕事をするかたわら、各々なんらかの形で発信や創作活動を行うようになったのである。








仕事や生活にも慣れてくる頃だったのかもしれない。


テレワークも始まり、通勤に使っていた時間を活用したのかもしれない。


しかし、近くで見ていて一番感じるのは、「自分らしく生きたい」という気持ちだ。








生きたいというとおおげさだが、つまるところ、自己表現の場を作ろうという意志を感じた。


仕事を自分の生きがいとして心から楽しんでいる人はそう多くないだろう。


そのような天職が見つかれば、そして選べれば幸せだが、そうもいかないのが現実だ。








当然、仕事はやりがいだらけだろうし、達成感もあるだろう。


だが、仮に仕事をしなくてもお金がもらえる状況になっても、その仕事を続けたい、という人はそう多くはないのではないか。


「生活のために、自分の時間を売っている」という感覚が大多数の働く人の精神だと思う。



金曜日が愛され、月曜日が忌み嫌われる風潮が何よりの証拠だ。









休日だけが、自分が自分らしくやりたいことをして「生きる」ことができる時間になっている。



この精神は、「人間らしさ」「自分らしさ」をむしばんでいくものだと僕は思っている。



みんなそれに、薄々は気づいているはずだ。








だから今、「自分らしさ」を忘れないように、発信や創作を始めたのではないかと思っている。



最初からこのような思考を持って始めた人もいれば、なんとなく始めてみた、という人もいるだろう。



しかし、その精神の根底では「自分らしさ」を守るための反逆が起こっているのだと、僕は感じるのだ。


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