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夢と現実の乖離

振り返りも長くなってきましたが、もうすぐ現在に追いつきますので、あとしばらくお付き合いください。
そして現在、膝の怪我で入院中ということもあり、ここぞとばかりにnoteを書いています笑

前回書いた、中学生の時に描いた夢からの逆算。高校までは理想通りでした。しかし、私は当時思っていた大学へは行けませんでした。ですが、進学した大学での生活やそこで出会った人たちからの刺激はやはり貴重なものになりました。

私の生活は機械のように毎日同じような生活でした。平日は授業を受けてから夜に練習、土日は午前中に練習し、午後からバイトへ。Googleマップの位置情報をONにしていると、どこを通ったのかが記録として残りますが、本当に同じルートしか通っていません笑
夜遅くまで起きて〜とか、飲みに行って〜とか、いわゆる「大学生っぽい生活」というのとはかけ離れていました。それでも私は非常に充実した日々を送っていました。

私の所属していたチームは1部リーグで毎年残留争いで、大学3年の時に2部へ降格してしまいました。4年生の時は2部を無敗で優勝しましたが、入れ替え戦で負けてしまい1部へ復帰はできませんでした。
大学サッカー、特に1部のレベルは想像していた以上のものがありました。私立大学にはJユース出身の選手、選手権に出るような高校出身の選手…そんな選手ばかりで、その技術やスピード、フィジカルレベル、全てにおいて格が違いました。

「こんなんでサッカー選手になれるわけがない」

そんなことを心の底ではハッキリと分かっていながらも、でも諦められない、でも「選手を目指している」と公言するのも恥ずかしい…そんなことを日々考えていた。

教育学部だった私は、教育実習などの経験から教員にも魅力を感じていた。高校の監督との出会いも大きかった。「子どもたちに夢や理想を大切にしてもらいたい」そんな思いで採用試験を受験し、合格をもらった。素直に嬉しかった。

そして大学を卒業し私は中学校の先生になった。中学2年生の担任とサッカー部の顧問を務めた。子どもたち、保護者の方、同僚にも恵まれ本当に充実した日々を送っていた。もちろん、大変なこともあった。それでも、本当に楽しかった。居心地も良く、この子たちを卒業させたい!心の底からそう思った。

大学サッカーで夢と現実の乖離を突きつけられ、新たな思いを抱き教員になり、忙しい日々ながらも充実した日々を送っていた。もう「サッカー選手になりたい」という夢は終わった。そう自分で思っていたが、その気持ちとは裏腹に私は忙しい日々ながらも、ジムに通ったり、放課後の体育館でシャトルランをしたり、遅い時間に走ったり、サッカー部の練習では自分もランメニューで追い込んだり、「ただの運動好き、サッカー好き」の域を超えた行動をしていた。

やはりまだ夢を諦められていなかった。

「子どもたちに夢や理想を大切にしてもらいたい」この気持ちは私の本心だ。だからこそ、自分自身は今どうなのか?を何度も考えた。考えたけれど、「サッカー選手をもう一度目指すべきだ」と「この充実した日々を捨てる必要があるのか」という考えが混じり合うことはなく、ただただ悩むだけだった。

理想や夢はあるが、リスクや現在の状況や環境を大きく変えることが怖くて1歩を踏み出せない。

そんな経験をしたことがある方は多いのではないだろうか?
そんなモヤモヤな気持ちを抱えていた私は、結果的に1年で教師を辞めて、現在はサッカー選手になっている。

つづく

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