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Twitterとの距離感を掴め!――SNSに向く人/向かない人

みなさんSNSは「もちろん」使ってますよね?

 SNSである。Twitterである。……にわかに界隈で沸き起こったTwitter運用。コロナ禍の中で、同僚たちが会社のTwitterを運用することと相成った!
 そこで、Twitterについて書いてみたい。

 現代人であれば、当然のようにやっているであろうTwitter。その同僚たちも、個々では使っていることだろう。もはや息を吸うように、吐くように、日々利用されるTwitter。ああ、ツイート、ツゥイート、らんらんらん。

 日々、グループLINEに同僚たちから、「何をつぶやくきまひょかね」と流れてくる。まさに、和気あいあい。ぶっちゃけ暇になっとるんじゃろうな~、コロナめ~。公式ではつぶやけないネタなどを語り合う、じゃれ合い。ああ、和気あいあい。楽しい楽しい、らんらんらん。

 「Twitterを運用し、フォロワーを増やし、広報に活用しよう」という流れは、もう10年近く続いているだろう。基本的に、「ネットってのは~、なんか無料で~、それでインフルエンサーとかいたりして~、バズったりとかあって~、ワカモノに訴求できて~、ラクラクで宣伝できるんっしょ~」みたいな空気は7,8年前くらいのことであろうか。
 いまだにそんなマインドの経営者がいたら、噴飯モノである。Twitter、Instagram、Youtube、noteなどから、従来の4マス広告、リアル販促まで、各種ツールを組み合わせ、利活用してこその宣伝活動であるのが現代だ。


 とかなんとか言っている、お前はどうなんだいと思うであろう。実は仕事での必要から勉強する機会があり、私はSNSに関してちょっこし詳しい。いや、詳しい?…………ガワね、ガワ! 社会的文脈とか、プラットフォームの経営思想・戦略とか、そっちね!

 実は、実は、……私はTwitterをやっていないΣ(゚д゚lll)! 先の勉強のために、Instagramを開設してみた。TikTokものぞいてみた。facebookは元々アカウントは持っている(投稿したことないけど)。LINEはよく使っている。が、Twitterはやっていない!

「現代っ子」失格の烙印!

 Twitterをやっていない? オッサンね~と言われることであろう。確かに私は、アラサーのオッサンであるが、デジタル・ネイティブと言われて育った世代の20代である。ところが、「Twitterのアカウントを持たざるは、人に非ず」が常識化している現代社会にライドできていない。

 「我シェアする、ゆえに我あり」とは、現代の情報環境と実存に関して、アメリカの心理学者シュリー・タークルが言った言葉だ。そこでいくと私は、「我Twitterアカウント持たざる、ゆえに我なし」となってしまう。

 ……え、えらいこっちゃ! えっ、あたい死んでますやん!

 
思い返してみれば、私は「現代っ子だね~」と言われたことがないかもしれない。その昔に先輩社員との間で、こんな会話があったことも思い出す。

「若いんだし、ネットとか強いんでしょう?」
「いや~、どうでしょうかね~」
「Twitterとかどんなの?」
「いや~、やってないんですよね~」
「お前、Twitterやってないのか! 若いくせになんなんだよ! すぐにやれよ!」

 これは、さすがにたぶん盛っていますな……。でも、ほぼ同内容のことは言われた。根が素直なもんで、「ひょえ~、えろうすんまへん」となって、その時にアカウントを開設したことをさっき思い出した(探ったら、見つかった。4~5ツイートしかしてないまま死んでいた骸が発見されまふた)。

 今、私はTwitterを利活用したいという気持ちがムクムクと湧き上がっている。ああ、私は「現代っ子」って言われたい! 「今どきの若いもんは~、スマホとかいじくっちゃって~」って言われたい! 言われたい!

 考えてみれば、私は「若い人の意見は大事だよね~。若い人のエキスを浴びたいよ」みたいな好々爺然としたおじさまを苦手としてきた。「こういうこと言うと、おっさんだと思われちゃいそうで、嫌だな~」みたいな、「若々しい友達が常にいて、自分もいつまでも若くいたいな~」みたいな、そんなおじさん。
 「期待に沿えずにごめんな、おっさん」という気持ちになってしまうのだ。いや、そうした相手が悪いとも思わないんだけれども、「すまんな、私相手で」と思わされる。

 「現代っ子、失格」、すなわち「人間失格」。ワザ。ワザ……。ごめんなファイから、脱却しよう!

SNSに向かない人から、向く人になろう!

 どうなんだろう。よもや、SNSのない社会は想像もつかないが、10代、20代でも、SNSに不向きなタイプの人もかなりいるのではないだろうか。
 実は私も、大学生のときにほんの一時期使っていた。そのうえでやめた。以降、会社の公式アカウントの運営以外では接してこなかった。

 なぜ私はTwitterをやめたのか。大した理由もないが、

1)別に日々140文字でつぶやきたいこともなかった。
2)友人の範囲でしかフォロー/フォロワーになっていなかったので、特に他人の日々のつぶやきに興味がなかった。
3)知人のメンヘラ・ツイートに対し、ガチで心配して直接声をかけたら、引かれた(SNSマナーがよくわかってなかった)。
4)飽き性でマメではないので、日々使うSNSに向いていなかった(存在自体を忘れてしまう)。

 この4つだろうか。4)がベースで、1)2)3)が積み重なってやめたような記憶がある。というか、ぶっちゃけ、なぜみんなTwitterをこんなに利用しているのかいまだによくわかっていない。そんなに伝えたいことがあるのか、そんなに知りたい情報がTwitter上にあるのか。

 WONDERである。が、たぶん、それは「ある」のだ。私もそちらの世界にお邪魔させていただきたい所存である。

 私は、今まさに書いているnoteや、映画版SNSともいうべきfilmarksは、けっこう更新している。文字量は多いが、頻度は少なくても活用している感が出るからか。というより、書くことで、頭が少し整理される感覚があるからだろうか。

 たぶんSNSに対して、さらに言えば、SNSの中でもその種類ごとに、向き不向きは人によってある。私はTwitter向きではない気がする。ただし、日本だけ異常にユーザーが突出して多いように、日本人向きではあるのだろう。であれば、私も迎合したい。

 noteにはこうして書いているのだ。ましてやTwitterをば!
 私はよく「空から1億円が降ってこないかな~」とか、「丸ノ内の一等地の土地を譲ってくれないかな~」とか、妄想している。同じように、「100万フォロワーとかいて、『さっきトイレで大したら、超デカいうんこが出ました~』とかツイートして、10万リツイートとかされるアカウント欲しいな~」とか、妄想する。

 Twitterを始めよう。よし、頑張ろう!
 

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