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親との距離感、関係性。

親との関係は切っても切れない、理解が難しい。
こんばんは。明立 真惠子(あだち まえこ)です。

今日は、どこまでうまく伝えられるかわからないけれど、親との距離、関係の難しさ、の経験を書けたらなと。

つい最近、靈氣のお稽古に通わせていただいている先生とお話ししていて、「出来事を解釈できても、感情は人の中に澱として残る。それはやがてブロックとなる」というお話をお伺いしまして。
その時私は、実母の何気ない一言でものすごく感情を揺さぶられ(無自覚)、めちゃくちゃ眠気がすごかったんですよね。
その一言にモヤモヤする気持ちがあることは自覚していましたが、それが眠気に繋がるとは思ってもみず。何より、先生にも影響を与えてしまっていたことが恥ずかしくもあり申し訳なくもあり・・・

話がそれた。

そこで、実母の関係性、距離の取り方を改めて考えていく必要があることを突き付けられたのです。
まあ介護とか考えると、準備しておいて損はないし、振り回されなくて済むから、自分が元気なうちに、親と関わらなくても親が動いてくれているうちに、親との関係性や距離感に息苦しさを感じている人は準備をした方がいいという話です。

うちは俗にいう、機能不全家族だったので、毒親といえば毒親に育てられたんだろうなーと思っています。(毒親といえば、とか言ってる時点でまだ認めたくない何かがあるのかも、と穿ってしまう。)

例えば私の場合だと、小学生くらいのときに頭ごなしに怒られ、私の言い分を聞いてもらえなかったことがあります。
それまでの私の解釈だったら「私は悪い子だったから、全然親が信じてくれなかった。親も親で、子どもの話を聞いてくれる人じゃなかった」だけだったので、ここに私の悲しい気持ちや、腹ただしい気持ちがあったのだけれども、解釈を変えて、例えば「私を悪い子にすることで、親の関係が成り立っていた」ということにすると、そもそも親に私の気持ちを理解するとか、私の言い分を聞く姿勢が「ない」ことが正しくなるんですよね。(うちの場合はこれが正解です)
そうすると、前提が「悪い子を作り上げる」だから、「ま、そうだよね、こっちの言い分きいたらあなた達の関係性が崩れるからね」とは解釈できる。
でも、その時感じていた「悲しい」とか、親に見放されてしまった、一人取り残されてしまったような、あの何とも言えない気持ちって残るわけです。
それが体の中に残るんだよなーと。
(今は両親ともの人物を「一人の人」として解釈しているので「あー、そうだよね、そうなりかねないよね、はいはい、私はこの家族の被害者でしたな~~~」となってますが笑)

でも、ずーっと認められんかったのよね。自分がこの家族が円満に回るための被害者の位置に入るってことが。
だって、被害者ってことはさ、自分の理想の両親じゃなかったってこととか、親の嫌なところとか、見るし、それを受け継いでいる自分、ってのにも向き合うし、とかぐだぐだぐだぐだ結局逃げてた。
けど、向き合ったらすっごく楽になったん。

私は靈氣をやっていく中で、向き合ったけれど、手軽に向き合ってみるには寝子さんのこの本はいいかもしれない。私はまだ途中までしか読んでないけれど、親との関係性や距離感に悩んでいる人には、いい薬になる本だと思います。じわっと心に効いてくる、そんな、本。

最近、X(旧Twitter)でラランドのサーヤちゃんがたぶんラジオで言ってた、親はただ親になっただけだから、というのがよくわかる。
サーヤちゃんとこも結構な毒親ぽいのかな、と思ったけど、その動画が見当たらない・笑

また、書き始めたときと書き終わりがずれたー!

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