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フリーガウフ・ベネデク『Just the Wind』戻ることのない日常への懐古と悲しみ

2008年から2009年にかけて、ハンガリーでは16のロマの家がショットガンと火炎瓶によって襲撃された。全部で55人が怪我を負い、うち5人が重傷、6人が亡くなった。本作品はそんな事実を元に、事件の起こった隣に暮らすあるロマの一家の日常生活を切り取り、そこから非日常へ一瞬にして転落する様を描いている。あまりに淡く美しく、握ろうもんならそのまま溶けてしまいそうな、かけがえのない"何もない時間"の尊さを、それを奪うことで提示したのだ。有効な会話もほとんど含まれず、日常の小さな出来事を拾い集めることに徹している。

早朝、まだ太陽も昇らない時間に、一家の働き手である母親は家を後にする。続いて、中高生くらいの娘も起きて学校へ行き、暗い家には10歳位の息子と寝たきりの祖父だけが残される。娘は自警団に声を掛けられるが、関わりたくない彼女は適当に返して学校へと急ぐ。父親はトロントで暮らしており、双方のお金が溜まり次第、一家で引っ越すことになっていたのだ。だからこそ、もっと静かに動きたい、波風を立てたくないという思いが一層湧き上がる。

以降はそれぞれの構成員の何気ない日常が映し出される。母親はゴミ掃除の仕事の後、清掃の仕事へ向かい、上司のハラスメントを受けつつ帰宅の途に着く。彼女は視点人物としては唯一の大人なので、社会におけるマクロな意味でのロマを象徴しているようだ。彼女に優しく物資をくれる人もいれば、彼女を犬のように扱い人もいて、ロマである/ロマでないことに敏感な人々の端境で、そこから抜け出す日を心待ちにしているようにも見える。

娘は学校で教師に盗人扱いされて慣れたように躱し、更衣室で同級生が着替え中に襲われてるのも素通りする。彼女の相手は学校でも浮いているゴス女子三人組だけであり、彼女たちにその手の絵を書いては化粧用具なんかを貰ったりしていた。帰宅後も、ネグレクトされている近所の子供を湖へ連れて行って一緒に遊びに行くなど、面倒見のいい一面も垣間見える。彼女も社会に触れているが、相手が子供であることや本人が若いこともあってか、ミクロとマクロの視点を両方持っている人物と言えるだろう。

息子は学校をサボったまま、隠れ家のアイテムとして事件のあった家を物色し、そのまま不良少年たちのたまり場でゲームに興じる。隠れ家では目ざとく見つけられた青年に自警団に誘われるが、上記の理由で断る。彼は一度も家の近くから離れないため、ミクロな視点で以て自分を守ろうとする。ロマのコミュニティから出ないため、自分がロマであることを強烈に意識することもない。

隣人家族を襲った凶行について、映画では何も明かされないが、息子が盗み聞くことになった二人の警察官の会話の中に、朧げながら全体像が見えてくる。彼らは家に居た懸命に暮らしているロマの家族がショットガンで射殺されたのが不可解だと思っているらしく、もっと殺されても良いような人々は無数にいるし(これも失礼ではあるが)、手際の良さや追跡不可能性から、襲撃犯はヘイトクライムにかこつけた快楽殺人を行っていると主張している。"人殺したいけど自国民だと色々言われるから捜査の撹乱のためにもロマでも殺すか"ということのようだ。実際、映画が作られた当時は裁判中だったようで、その意味では『絞殺魔』のような側面も持ち合わせているのかもしれない。

その夜。老父、母、娘、息子は小さなベッドにいつものように寝ていた。そう、いつものように。外でガサガサと音がするのを、姉は"ただの風よ"と言って弟を安心させようとするが、実際は違った。こうして一家は夢半ばのまま無残にも殺されてしまい、逃げ出せた弟についてはどうなったかも明かされない。どうやっても、もう日常は戻ってこないのだ。ラストで行われる誰も来ない"葬儀"に際して、亡くなった祖父・母・娘は解剖台の上で新しい服に着替え、癒えることのない傷を晒し続ける。

・作品データ

原題:Csak a szél
上映時間:95分
監督:Fliegauf Benedek
公開:2012年4月5日(ハンガリー)

・評価:90点

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