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2018年 旧作ベスト20 + α

今年は旧作をたくさん見たのでベスト20と気に入った作品をいくつか紹介したい。実際のところ"人に紹介するにはありきたりだな"と思った作品はランキングから抜いているので、それも書いてみようと思う。題名をクリックするとFilmarksの感想に飛びます。

1位 「マルケータ・ラザロヴァ」フランチシェク・ヴラーチル,1967

チェコ映画史上最高傑作とされている今作は、"チェコの黒澤明"とも呼ばれるフランチシェク・ヴラーチル監督のキャリアベストと見て差し支えない。13世紀のチェコを舞台にキリスト教徒と異教徒たちが繰り広げる欲望にまみれた闘争とその崩落。強かに生き延びる"悪意"と失われた純潔。タイトルロールである"ラザロの娘"マルケータは純潔と共にキリスト教的真理を見失い、愛と邪悪の力によって野に放たれる。

どのシーンを切り取っても力強いショットに溢れているが、一番のお気に入りはマルケータ初登場のシーン。胸に白い鳩を抱えてタトゥイーンばりの荒野を歩んでいくその姿に即ノックアウトだった

2位 「シモン・マグス」イルディコ・エニェディ,1999

イルディコ・エニェディ長編三作目。ハンガリー人魔術師シモン・マグスが殺人事件の捜査としてパリに呼ばれ、事件を解決するか否かのところで話は別の魔術師ペーターとの魔術試しに脱線する。マグスを導く女性としてジュリー・デラルム扮するジャンヌが登場し、言葉が通じないながらも確かな愛を目線で交わす。

シモン・マグスとはグノーシス主義というキリスト教黎明期の著名な敵の創設者である。キリスト教が奇跡をキリストの行いの一つとしてキリストを讃えたのに対して、グノーシス派は奇跡そのものを讃えてそれを教義としていたのだ。逆に友人の魔術師ペーターはキリスト教の使徒シモン・ペトロを表しているのは明白である。

しかし、今作においてキリスト教側のペトロとグノーシス側のマグスの役割は逆転している。つまりエニェディが言いたいのはキリスト教によってかき消されてしまった"奇跡そのもの"の存在を世紀末に蘇らせ、鮮やかな映像を用いて奇跡の実在性を提示したのだ。

3位 「サタンタンゴ」ベーラ・タル,1994

ハンガリーの怪物的映画監督ベーラ・タルの伝説的な映画。本人も価値を知ってか知らずか"世界のどこかで常に上映されている"と言ってるそうで。
7時間半に及ぶ壮大な聖書のパロディは6歩進んで6歩下がるタンゴのリズムによって刻み込まれ、無個性な村人たちはイリミアーシュの甘言に乗って終わることのない旅路へと駒を進める。壊れたレコードのように同じ時間軸を別の視点から繰り返し語る今作は、題名である"悪魔のタンゴ"を体現していると言えるだろう。

光あれとばかりに窓を開けて始まった今作は医師がこの世に絶望して窓に板を打ち付ける場面で幕を閉じる。医師と世界を繋ぐ唯一の窓口を塞ぎ、自身が作り出した"光"を封じることは堕落した世界の終焉を示し、医師のナーレションが冒頭に読まれたものを繰り返すことで進みきった時間すら元に戻される。六歩進んで六歩下がったステップは再び一歩を踏み出して八の字を描いた円環の中に囚われ続け、悪魔は永遠にタンゴを踊り続ける

4位 「ヴェルクマイスター・ハーモニー」ベーラ・タル,2000

3位に登場した「サタンタンゴ」における稀代の詐欺師イリミアーシュ。権力に与して一般市民から暴利を貪った彼の物語を抽出して精製すると2時間半に纏まって別の作品が出来上がった。それが本作品である。酒場にやってきた主人公ヤノーシュが酔っ払いを使って太陽系を再現する冒頭から、流れるように物語は進み、ベーラ・タルの長回しが師匠ヤンチョー・ミクロシュの模倣でなく進化した姿であるということが提示される。

移動サーカス団が村にやって来るという展開から権力者の手先として混乱を極める街を歩き回り、自体が収束へ向かうと打ち捨てられる。ハンガリー1000年の歴史を背負った彼らの表情は、ソビエト時代を思い起こさせて胸が詰まる。

5位 「Szindbad」フサーリク・ゾルタン,1971

またしてもハンガリーからやって来た刺客。記憶や夢が不連続的な連続性を持っているという理論をもとにハンガリーの前衛作家ジュラ・クルディの同名小説を映画化した今作は、ハンガリー国内では異例のヒットを飛ばしたらしい。

ただただ美しい映像を女たらしのシンドバッドという男が昔の女たちを訪ね歩きながらフラッシュバックのように彼女たちとの日々を思い出してゆくという話。冒頭の少女二人の絶妙に噛み合わないダンスとラストに配されたスケートでのダンスシーンは筆舌に尽くし難い虚脱感すら伴うような映像美。まさに天才の所業。

監督フサーリクは寡作の人であり、デビュー作である今作以降「死海のほとりで」という作品のみ遺している。長編映画に興味がなかったとも言われているが、遺作となった同作が製作上の困難をいくつも抱えたことや、今作の大成功も彼を苦しめたようだ。

6位 「Sherman's March」ロス・マケルウィー,1985

1985年アメリカ。シャーマン将軍の"海への進軍"が南部諸地域に与えた影響を調べるドキュメンタリーを作ろうと思い立ったマケルウィーは出発前日に恋人から別れを告げられ、失意のうちに南部の実家に帰る。
そこから2時間半、怒涛のようにマケルウィーの前を女たちが過ぎ去り、彼はその全てを記録しようとする

本作品の面白い点は二つ。
一つ目。1980年代前半の核に対する恐怖を包み隠さず描いている点。"海への進軍"とは南北戦争時代に南部地域を焦土にした作戦の名前であり、それを21世紀に置き換えた場合、焦土作戦=核になるのだ。
二つ目。全ての事象をカメラに収めたことで、自身に起こっていることをすべて"見よう"としていたマケルウィー。しかし、彼はカメラの目を通すことでしか世界を捉えておらず、自分の人生にすら傍観者となっていた

以前述べた、"映画は自分が傍観者になれるから良い"という私の発言と合致する考え方にノックアウトされた。マケルウィーの捉えた人生は真実であり、同時に虚構だったのだ

7位 「砂時計」ヴォイチェフ・イエジー・ハス,1973

私のよく使う"歪曲時間軸クラスタ"という言葉を爆誕させた伝説的映画。相対論を用いて時間を遅らせることで死から一歩ずつ遠ざかる、という治療を行うサナトリウムを舞台に、収容された父親を探す息子が幻想世界に取り込まれていく様を幻想的に描いている。その幻想行脚は"意識の流れ"のように淀みなく、不連続的な記憶と夢の旅を巡ってゆく

ヴォイチェフ・ハスの色彩感覚がイカれ過ぎていて、主人公に付いて回るには途轍もない疲労感が伴う。それでもなお、何度も見たい傑作である

8位 「私の20世紀」イルディコ・エニェディ,1989

イルディコ・エニェディ長編デビュー作。第42回カンヌ国際映画祭にて優秀な新人監督に贈られるカメラ・ドールを受賞。20世紀、それは映画の世紀だと言わんばかりに美しきイメージに溢れたエニェディの天才的所業。天体しか光がなかった世界に20世紀の明かりが灯った日、主人公ドラとリリの双子は産み落とされ、やがて別々の人間に引き取られる。成長した双子は20世紀を迎えるオリエント急行で詐欺師とテロリストとして知らないうちに邂逅と別離を繰り返し、それをZという男が結びつける…

今年の3/30に4Kリマスター版が劇場公開するらしい

9位 「アートスクール・コンフィデンシャル」テリー・ツワイゴフ,2006

「ゴースト・ワールド」で有名なテリー・ツワイゴフ監督作品。美術学校ひいては現代美術界の欺瞞を高らかにあざ笑う青春ミステリブラックコメディ。ナヨナヨ童貞主人公が学園のマドンナに振り向いてもらおうとして作風が過激化する過程を丁寧に見つめつつ、クセだらけの教師陣やOBたちにクセだらけの俳優女優を配置することでステレオタイプ的な説得力をもった布陣が完成するのだ!

親友となる"1年生4回目"の男が同じクラスの意識高い系生徒たちを的確に説明する冒頭、ジョン・マルコヴィッチやジム・ブロードベントを登場させて"上手いこと"と"金を稼げること"は異なるということを提示する中盤、そして"有名になったものが勝利する"という現代社会にまで通ずる理念で観客の頭をぶち抜くラスト。何回も見てしまった傑作中の傑作

10位 「ツバル」ファイト・ヘルマー,1999

音のない世界を描く現代のジャック・タチと私が勝手に認識しているドイツ人監督ファイト・ヘルマーの長編デビュー作。実は11月に監督御本人とお会いして握手までしてもらったので思い出深い作品となっている。

最新作「ブラ物語」で繰り返されたドゥニ・ラヴァンとチュルパン・ハマートヴァのコンビは既に名人芸の域に到達している。世紀末を舞台に、老朽化した市民プールを守るラヴァンと船乗りの父からボロい船を受け継いだチュルパン。プールのボイラーと船のエンジンに必要なピストンを巡って繰り広げられる熱い戦いに、我々はひれ伏すばかりだ。

11位 「The Red and the White」ヤンチョー・ミクロシュ,1967

ベーラ・タルの師匠として有名なハンガリー黄金時代を支えた監督の一人ヤンチョー・ミクロシュ。ロシア革命時代、革命軍(赤軍)とコサック師団(白軍)の紛争を冷徹な目線で追うミクロシュのキャリアベスト作品。赤軍の砦に白軍が攻め込んで占領するが、別の赤軍部隊がその白軍を全滅させ、逃げた白軍の捕虜を追っていたその赤軍部隊が別の白軍部隊が殲滅する…

敢えて主人公を配さず、マクロに見て誰が勝つわけでも負けるわけでもない無意味な戦争を追い続けることで、オセロゲームのように繰り返される赤と白の優勢劣勢に馬鹿馬鹿しさすら感じさせることに成功している。共産政権時代にここまで過去の戦争をバカにした作品があったことに感動、更にはヤンチョーの長回しロングショットが遠距離中距離近距離に別々の空間を配置して直線にぶち抜く芸当に完全に惚れてしまった。

12位 「私の緩やかな人生」アンゲラ・シャーネレク,2001

ドイツはベルリン派の新鋭アンゲラ・シャーネレクの大好きな作品。過ぎゆく夏、暑いベルリンで過ごす人々を青々としたフィルム調の映像で切り取ったシャーネレクの長編三作目。物語としてはあまりよく覚えていないのだが、映像の美しさが私の心を捉え続けている。じんわりと心に染み渡るような平和な日常はいつの世だって美しいのだ

13位 「トラスト・ミー」ハル・ハートリー,1990

"ニューヨーク・インディーズ最後のイノセンス"と呼ばれるハル・ハートリー。今作に感動しすぎて「アンビリーバブル・トゥルース」「シンプル・メン」を含む"ロングアイランド・トリロジー"のBlue-ray BOX化にお金を出すほどだった。

妊娠した女子高生マリアと衝突ばかりの技師マシューが奇妙なルートを通って惹かれ合う様を可愛らしい映像と華麗なる会話捌きで綴る。また、エイドリアン・シェリーが可愛すぎる。ギャル女からメガネを掛けて聖女に転身する過程が鮮やかすぎて泣けてきた

14位 「耳」カレル・カヒーニャ,1970

チェコの精鋭カレル・カヒーニャが提示する世界最高レベルのサスペンス。共産政権時代のチェコ、党幹部の男はパーティから帰ると家で不可解な出来事が頻発する。妻との喧嘩と和解を繰り返しながらパーティでの出来事を思い返すと、次は自分が逮捕されるのではないかと怯え始める。

共産政権批判として最も簡単なのはレジスタンスを登場させることだが、カヒーニャはそんな簡単な手法は取らず、敢えて党幹部を主人公にすることで完全に形骸化した権力を強烈に皮肉っている。風呂場とキッチンには盗聴器が無いとして党の悪口を言っていたが、結局はそれすら聴かれていたことが分かり、ベランダで会話しているのが本当に怖かった。全てを聴いて判断をくだされた結果、逮捕された上司の後釜に昇進するという皮肉なラスト。夫婦は絶望的な表情を浮かべ、カメラは散らかった部屋を引いてゆく…

15位 「ワンダ」バーバラ・ローデン,1970

ウーマンリブ全盛期に登場したバーバラ・ローデンの力強い反論。勿論アメリカでは総スカンを食らって興行は惨敗だったが、フランスではマルグリットデュラスやジャック・ドワイヨンの心を掴んで離さなかったようだ。批判された理由は、ローデン演じるワンダという無個性な女性が家族を捨て、出会った男の言われるままに犯罪に手を染めるという内容だからだ。

しかし、私はウーマンリブ運動に対するアンチテーゼだと思っている。運動とは始まりとともに理論家と活動家の間に齟齬が生じ、煮詰まると同時に最大多数の目標を全ての人間が信じていると思想が転換し始め、それに従わない身内すら攻撃を始め、そのマイノリティに責任を転嫁することで運動そのものが崩落するという"お決まり"の流れが存在する。ローデンはそうした展開では始めた当初の目標を叶えられないどころか、始める前より悪くなるかもしれないという状況に対して"誰かが言わなければいけない"反論を言ってのけたのだ。

ローデンは今作を監督した後、何本か作品を遺して亡くなってしまった。それによって一部で神格化した映画でもあり、フランスではイザベル・ユペールが版権を整理しリマスターを可能にした。彼女に感謝しなくては。

3月Criterion CollectionからBlue-rayが発売される。

16位 「マイ・オンリー・サンシャイン」レハ・エルデム,2008

トルコの精鋭レハ・エルデムの長編五作目。「少女ムシェット」「ロゼッタ」に続く"世界に反抗する少女"シリーズ。寝たきりの祖父に足蹴にされ、父親からはネグられ、学校では貧乏をネタに浮いた存在である少女ハヤット。女性家族不在の中、親指をしゃぶったり鼻歌を歌ったりして閉塞感から逃れようとするが、どんな反抗も失敗する

ムシェット、ロゼッタのトルコ人の妹、その名はハヤット。彼女の美しき反抗の結末は、花火と口紅によって彩られる。頑張れハヤット、私の分まで生きてくれ…

17位 「As I Was Moving Ahead Occasionally I Saw Brief Glimpses of Beauty」ジョナス・メカス,2000

日記映画の開祖、実験映画のゴッドファーザーことリトアニア人移民のジョナス・メカス。彼が家族にカメラを向けて子供たちの成長を綴った"走馬燈"のような映画。題名の「歩みながら垣間見た美しき瞬間の数々」が示す如く、ただただ流れ続けるメカスの思い出は私の涙腺をいとも簡単に破壊した。

4時間45分の走馬燈。メカスが今作を一瞬で再生するとき、世界からまた一人大監督がいなくなるのだ…

18位 「アメリカン・スリープオーバー」デヴィッド・ロバート・ミッチェル,2010

「アンダー・ザ・シルバーレイク」で映画好きをざわつかせたデヴィッド・ロバート・ミッチェルの長編デビュー作。高校に進学する直前に行われるお泊まり会=スリープオーバーを舞台に、大人に憧れて背伸びしていたあの頃を鮮明に描いたハイスクールものの傑作。否、大傑作。

「バッド・チューニング」に代表されるアメリカ高校ものはセックスとドラッグが中心で日本に暮らす私には縁遠い世界として、他人事のように眺めていた。しかしミッチェルは主軸を"背伸びする子供たち"にして、子供たちの瑞々しさを描くことで全世界の元子供=大人たちのあの頃を想起させることに成功した。素晴らしい。

19位 「Last Chants for a Slow Dance」ジョン・ジョスト,1977

『死ぬまでに観たい映画1001本』よりエントリーした70年代アメリカインディーズ映画界の伝説的作品。主演俳優の名前を関した"トム・ブレア三部作"の第一作でもあり、残りの二つが鑑賞困難であることを考えると今作に出会えたことはある意味で奇跡に近いと考えられる。

印象的な長回しで構成される。車での会話、鏡越しの夫婦喧嘩、ダイナーでの会話、モーテルでの不倫、指名手配書を読み上げ、衝動的に市民を殺害し、DEAD END。行き止まりさようなら

20位 「Magic Hunter」イルディコ・エニェディ,1994

イルディコ・エニェディ長編二作目。『魔弾の射手』に緩く基づいた今作は、6発の必中の矢と1発の悪魔の矢をそのままリボルバーの銃弾に変換している。警察のスナイパーである主人公マックスが人質事件で人質を撃ってしまい、復帰試験のために怪しい同僚から必中の弾丸を貰って合格する。復帰したマックスはロシア人チェスマスターのマキシムの警護を秘密裏に行うように支持されるが、マキシムはマックスの妻と偶然遭遇して親しくなる…

実際そこまで面白かったかと問われると微妙な気もするが、新作ベストに入れた「心と体と」、既出の「私の20世紀」「シモン・マグス」の素晴らしさをどうしても思い出してしまう。エピソードがバラバラだったが映像が美しかったデビュー作「私の20世紀」と映像も脚本も素晴らしかった長編三作目「シモン・マグス」への過渡期的な作品であることを考えると、双方の作品の残滓が今作に感じ取れて正確な評価が出来なくなっている気もする。

・番外編 抜いてしまった映画たち

「沈黙」イングマール・ベルイマン,1963

難解と言われるイングマール・ベルイマン作品の中でも最も難解と言われる、"神の沈黙三部作"の三作目。世界で最も純粋な映画。正しく天才の所業。

「アギーレ・神の怒り」ヴェルナー・ヘルツォーク,1972

ヘルツォークとキンスキー。狂気のコンビ。狂気の映画

「マリア・ブラウンの結婚」ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー,1978

LOVEとLIKEは違うもの。戦後ドイツを彼女流に強かに生き抜いた強い女性。

「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」ジョン・カサヴェテス,1976

私的な映画のため商業映画に魂を売る映画監督、私的な経営のために魂を売るクラブオーナー。魂売ってでも、好きに生きてみろよ

「輝ける青春」マリオ・トゥーリオ・ジョルダーナ,2004

クロニクルものとして最強。このジャンルは今作を以て〆てもいい

「鏡の中にある如く」イングマール・ベルイマン,1961

不在となった神に成り代わった少女。


・まとめ

意外と時間が掛かってしまった。書きたいことがあれば適当に更新するのでお楽しみに。

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