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ラリーサ・シェピチコ『処刑の丘』真の絶望とは生き残ることである

ソビエトで最も偉大な女性映画監督と言われるシェピチコだが41歳で亡くなるまでに4本の長編映画しか残さなかったせいで最近まで忘れ去られていた。映画学校時代の同期にアンドレイ・タルコフスキーやアンドレイ・コンチャロフスキー、未来の夫であるエレム・クリモフがおり、恩師はそこで教鞭を執っていたアレクサンドル・ドヴジェンコである。学校ではマドンナ的存在だった彼女が風邪を引いて卒業制作が出来なくなった代わりに撮影を仕切ったのがクリモフだったらしい。これが監督一作目『Znoi (Heat)』(1963年)である。フルシチョフによって芸術関連の規制が緩和された"雪解け"期であり、シェピチコもタルコフスキーなんかと同じく伸び伸びとした映画製作が可能だった。しかし、監督二作目『Krylya (Wings)』(1966年)の頃から書記長はブレジネフへと変わり、スターリン時代の面影が息を吹き返してきたせいで、上映を規制されることも多くなっていき、『V trinadtsatom chasu nochi (In the 13th Hour of the Night)』(1969,TV映画)、『Tii Ya (You and I)』(1971年)、そして本作品(1976年)を発表したシェピチコは41歳の若さで交通事故が原因で亡くなってしまう。新作のロケハン中だったという。撮影される予定だった作品は夫クリモフの手によって『別れ』として完成し世に放たれた。彼も本作品と同様に白ロシアにおけるパルチザンの姿を描いて世界に知られている。

1942年冬のベラルーシでドイツ軍から逃げるパルチザンが雪深い山に逃げ込む冒頭から絶望感が厳つい。リューバクとソトニコフのふたりが近くの農場から食料を調達するように言われて現地へ赴くが、ドイツ軍を目の前にしてソトニコフが咳込んだことで住民諸共逮捕されてしまう。

ここからの描写がえげつない。生き残ることを第一に考えるリューバクと祖国のために自決を望むソトニコフは対立し、審問官ポルトノフはそれを利用してふたりを揺さぶる。ソトニコフに対しては凄惨な拷問を加え、リューバクに対しては全部吐けば楽になると諭す。やがて、同時に逮捕された住民たちも同じ房に入れられて処刑を待つ身となり、ソトニコフが徐々に聖性を獲得して住民たちが死を受け入れるという仮定が描かれる。クリモフとは異なる種類の絶望である。個人的にはソトニコフが咳込んだせいでバレてんのにお前が皆に死んでくれとか言うなよと思っていたらリューバクが同じこと言ってくれたから安心した。

ポルトノフの人物像も興味深い。元教師であり、ドイツ側に寝返った彼は選択肢の三つ目として機能しており、折衷案のリューバクや自決案のソトニコフと同じ土俵に立っていることが分かる。ポルトノフの中にナチスと共鳴するものがあるわけではなく、単に"強い側にいるから"という理由でドイツに協力するその姿はどの時代にも共通する一つの生き方であって、極めて人間的であるように思える。ソロニーツィンだし余計に。だからこそ、理想主義的に生きるソトニコフが理解できず、不思議そうに彼の顔を覗き込む。

やがて宣告通り寝返ったリューバク以外は丘に連れていかれて処刑されるのだが、このシーンの絶望感は文字化不可能である。一人残されたリューバクは逃げ出す勇気も出ないまま絶叫し、映画は幕を下ろす。

シェピチコは若くして亡くなったから伝説となったのではないことは本作品を見れば明らかである。となれば、早逝してしまったことが悔やまれる。

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