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初めての外国語での仕事 🇮🇹

就職する前に勉強していた外国語は英語、ポルトガル語、スペイン語でしたが、
入社して配属された部署は生産管理(生産システム)で、
コンピュータ関連の英語用語(わかる人にはワカル?、procedure divisionとかallocateとか。。。)以外は日本語ばかり、海外との仕事はありませんでした。

確か、入社三年過ぎた頃、イタリア某社とのプロジェクトの契約交渉に少し参画させてもらえましてイタリアの方々が来日されての打合せで英語で意志疎通したり、英語で議事録を書いたり、をしばらくやったことが
初めての外国語での仕事でした🇮🇹(三十数年前の話です)。


日常、英語を使ってないので円滑に表現するのはとてもできず、恥を重ねての仕事でした。


その後、イタリアの工場に出かけての打合せとなり、上司についてイタリアに渡り、打合せで英語を使って説明したり上司の言葉を英語に訳したり、しました。

ややこしい交渉の時に限っては、イタリア語堪能な方が訳してくださったりもあったのですが、あちこちでわかれての打合せや交渉で下手な英語で恥をかきつつ仕事せざるを得ませんでした。

昼間は長い時間打合せ、昼の合間と夕食後に英語の議事メモをワープロ(持ち運び型のワープロ、F士通 Oアシス!)で書いて、翌朝レビューして、と慌ただしいのですが、昼飯もあれこれ話ながら2時間近く皿が大量に出てくる食事で、ワインも皿に合わせて赤と白を飲まねばなりません。

夕食もホテルに戻ってから、現地の普通の時間帯(日本人からすると二次会以降の時刻?)で外食したので、コミュニケーション行き違いを防ぎたいがための議事メモ作成はかなりキツかったです。


このイタリア行きが初めての海外行き(学生時代も就職後も海外渡航なきまま。。。)であり当然ながら初の海外での仕事でした。

(手元の写真など発掘できず、目に見えるものがなくスミマセン)


その後は、並行して担当していた別のプロジェクト(イタリア、国内全国と滋賀と群馬)があり、二つのプロジェクトからひとつを選ばざるを得ない時期となり、国内のプロジェクト参画を続けることを希望し、イタリアには駐在せず、でした(主に国内某所に駐在。。。)。

その後、国内での仕事が続き、海外に再び関わるのは入社20年経ったくらいの頃です。(会社の研修/旅行は除いて)

その際もいきなり外国語(中国語)を話せるわけもなく、周囲の方々に助けていただいてのコミュニケーションで、感謝多謝。。。


そのおかげがあり、今は、海外との仕事もなんとなくやっています。恥をかいた経験に感謝、です。

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