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読解力ってそもそも何?

目的

色んな文脈で使われるけど、ことインターネット上においては「知的か否かという物差しの上で、自身を相手よりも上位に置くための煽り」として用いられることがある言葉、読解力

この読解力という言葉の位置づけを提案しよう……というのは建前で、この前浮かんだ持論を残しておこうというのが趣旨。備忘録。



仮称『読解力』の定義

自分の中にある知識の量と方向の偏り(テキストとの親和性)
モチーフを読み解くにあたっての経験則
主題に対する興味の多少
観察力
発想力・連想力
その日の体調
類似する事例の知識や自身の考えの数、深度

これらの多様な能力の総合値を『読解力』としたい。
より細かく換言すれば、テキストの意図を推測する上で有用な手がかり・引き出しの豊富さであろうか。

何かしらの作品を視聴した時に、どれだけの内容を拾うことができるかの指標となる。
引き出しの数や種類が多い方が、作り手の意図の取りこぼしが少なくなる傾向にある。

大まかなイメージ

これは係数であり、範囲は0~1。
0なら全く内容を拾えず、1であれば作り手の意図を余すことなく拾うことができる。

Aさん 0.35〜0.75
Bさん 0.40〜0.70
Cさん 0.15〜0.90

上記のように、個人差だけでなく当人の中でも振れ幅が存在する
主題への興味や知識量、その日の体調によってもマチマチであるためだ。
作品を観たタイミングでは浮かばなかった解釈が、ふとしたタイミングで降りてくる……そんな経験はないだろうか?

また、振れ幅が存在することで個人間での得手不得手が存在することも説明がつくと思う。

・同じ作品を観たときにAさんが75%拾えたところを、Cさんは20%前後しか拾えない場合もありえる
・その一方でCさんは、Aさんには不可能な精度で核心をつくことができる

こうしてテーマとの相性や興味、事前情報を得られる環境の有無、体調等で当人の中でも個人間でもブレが生まれることを考えると、ピンポイントの上辺だけを見て他者を「読解力がない」だのと貶めることがいかに空虚な行いか……と、感じる。


でもってその先、どうしようね

作品を観たときって、読み取っただけで終わりではない。

読み取った量が0.7や0.8として、自身なりのテーマへの解や問題への解釈・疑問が生まれることもあるだろう。そこで余剰のプラスが生まれる。

自身と解釈や視点の違いが多い者や、似て非なる者と語り合えば……それもまたプラスになる。

そうして読み取ったものを上手に熟成させてやれば、最初に得た0.6が2倍にも3倍にも膨れ上がる可能性がある。


実状、きみたちはどう生きるか

実際は読解力が0.1~0.15しか無いような人もいるだろう。
視野が狭いクセして自身の考えが正しいと無根拠に思い込み、話を聞くポーズはするが、意識的になのかはともかく「自身とは異なる意見を受け入れようとしない人間」とか。

読解力ってのは「読み解き、考えるための糸口」
下限値も上限値も、色々なものに触れて考えることで底上げできるものだと思う

それは自身の内面の外にある多様なものを視て、識り、自己の中にある様々なものを充実させなければならない。セカイ系みたいなこと言ってるね。

音楽、趣味、業界、住んでる土地……なんでもいい。
身近な人との間にも、いろいろな差異が転がっている。
そうした数多くの、時に何気ないような細やかな色の違いに気付いて自身の観る世界を豊かにする力……その根源こそが読解力と言えるかもしれないし、そうじゃないかも。

ともかく、読解力あげたほうが解像度も高くなる。
同じ時間・金・体力使って作品観るなら読解力高い方がたくさん感じ取れてお得だよね~って思う。

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