見出し画像

自炊弁当の呪い、その後

以前、こんな記事を書いた

結論から言うと、
この考察は大いなる間違いであった


そう断言するに至った私の1週間を振り返る



これまでは、同期5~6人ほどでお弁当を持ち寄って食べていた
(ちなみに同期は全員女性)
お喋りタイムも含め、40分程度


ところが今週は、誰とも話さず、自席でお昼の一時を過ごした


食べている内容はさほど変わらない

ただ今週は、特に苦しむことなく5日間お弁当を作ることができた

コンビニに頼りたくて仕方ない衝動は湧き起こってこなかった


あれ… 自炊弁当も思ったより悪くないじゃん

普通に美味しいし、これなら無理なく続きそうだけど…?


そう、自炊弁当の呪いから私は解放されていたのだ


呪いの正体


この1週間いわゆる“ぼっち飯”を貫いたことになる

しかし、私にとってぼっち飯より辛いのは

”人と話しながら食べること”だった


(中学生くらいから苦手意識はあったものの、さすがに社会人になれば
克服しているだろうと期待していた私が間違いだった)



沈黙を許せる相手なら私だってここまで苦労しない

ただ中途半端に親しい相手となると、絶妙なタイミングや顔色を伺わなければならなくなる

なんとも言えないこの距離感を壊さないようにすることに、
私は人一倍エネルギーを要するのだ


そしてその”無理”が、自炊弁当に対する満足度を著しく下げていた



結局はキャパシティの問題


真逆の結論に辿り着いて分かったのは

自分のキャパシティ(=余裕)がいかにあるか
が根本的な原因かもしれないということ


たしかに先週までは”何がなんでもお弁当を作っていかなければ”
という節約の鬼になっていた

人と話すこと以上に、
お金を使わないことへの執念に縛られ、苦しかった

だから自炊弁当を続けていると少しでもアピールできるように、
誰かと一緒に食べる選択をしていたのだと思う


一方、”呪われるくらいなら無理しなくていいよ”と
自炊弁当を続けることへのハードルを下げた結果、

誰かにアピールしなければ…!という承認欲求、
そして人と話すという苦手な行為から解放されて

(中身はほぼ同じでも)自炊弁当を楽しむ余裕が生まれたのだ


無理は誰も得しない


”人と話すことを頑張りつつ、自炊弁当も毎日継続する”


これを最初から目指そうとした相変わらずの完璧主義
自分の首を絞めていたんだな、と


そして

他者視点で考えれば、
そんな無理をしてる人とは誰も付き合いたくないよな…と反省

視野の広い猫… いや、人間になりたい



さあ、来週はどれだけ肩の力を抜けるかな

自炊弁当との闘いは、続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?