![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145703800/rectangle_large_type_2_7446fac5b011445c3d8148001064b508.jpeg?width=1200)
自炊弁当の呪い、その後
以前、こんな記事を書いた
結論から言うと、
この考察は大いなる間違いであった
そう断言するに至った私の1週間を振り返る
これまでは、同期5~6人ほどでお弁当を持ち寄って食べていた
(ちなみに同期は全員女性)
お喋りタイムも含め、40分程度
ところが今週は、誰とも話さず、自席でお昼の一時を過ごした
食べている内容はさほど変わらない
ただ今週は、特に苦しむことなく5日間お弁当を作ることができた
コンビニに頼りたくて仕方ない衝動は湧き起こってこなかった
あれ… 自炊弁当も思ったより悪くないじゃん
普通に美味しいし、これなら無理なく続きそうだけど…?
そう、自炊弁当の呪いから私は解放されていたのだ
呪いの正体
この1週間いわゆる“ぼっち飯”を貫いたことになる
しかし、私にとってぼっち飯より辛いのは
”人と話しながら食べること”だった
(中学生くらいから苦手意識はあったものの、さすがに社会人になれば
克服しているだろうと期待していた私が間違いだった)
沈黙を許せる相手なら私だってここまで苦労しない
ただ中途半端に親しい相手となると、絶妙なタイミングや顔色を伺わなければならなくなる
なんとも言えないこの距離感を壊さないようにすることに、
私は人一倍エネルギーを要するのだ
そしてその”無理”が、自炊弁当に対する満足度を著しく下げていた
結局はキャパシティの問題
真逆の結論に辿り着いて分かったのは
自分のキャパシティ(=余裕)がいかにあるか
が根本的な原因かもしれないということ
たしかに先週までは”何がなんでもお弁当を作っていかなければ”
という節約の鬼になっていた
人と話すこと以上に、
お金を使わないことへの執念に縛られ、苦しかった
だから自炊弁当を続けていると少しでもアピールできるように、
誰かと一緒に食べる選択をしていたのだと思う
一方、”呪われるくらいなら無理しなくていいよ”と
自炊弁当を続けることへのハードルを下げた結果、
誰かにアピールしなければ…!という承認欲求、
そして人と話すという苦手な行為から解放されて
(中身はほぼ同じでも)自炊弁当を楽しむ余裕が生まれたのだ
無理は誰も得しない
”人と話すことを頑張りつつ、自炊弁当も毎日継続する”
これを最初から目指そうとした相変わらずの完璧主義が
自分の首を絞めていたんだな、と
そして
他者視点で考えれば、
そんな無理をしてる人とは誰も付き合いたくないよな…と反省
![](https://assets.st-note.com/img/1719733873705-K8tZkDnLuy.jpg?width=1200)
さあ、来週はどれだけ肩の力を抜けるかな
自炊弁当との闘いは、続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?