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情報という名の麻薬

東京に移住してもうすぐ一年になる。
今まで和歌山、兵庫、長野、滋賀、東京と5都道府県に住んでみたが、東京では情報量の多さに圧倒される毎日だ。日々新しいものが生まれ追いつくことに必死となり、自分自身を振り返ることを忘れてしまう。
自分を見失わないため、振り返る時間をこのnoteに記していこうと思う。

朝起きればスマホをチェックしSNSをみたりメールやLINEを確認する。仕事をする上でスマホやパソコンは必須で、デジタルの発達には意識せずとも感じさせられる。
最近では音声版SNSとしてClubhouseが話題になっているが、このような新しいサービスは日々生まれ、そして広がっていく。デジタルに触れない時間は限りなく0に近く、情報に追い詰められてしまう日々だ。

正直、僕はこの情報社会には少し疲れてしまっている。

本来情報というものは、自分が生活していく中で気になったり必要な時に手に入れるものであるはず。
つまり自分側から情報に対してアプローチをかけるのだが、この現代社会では情報側からアプローチをかけるようになっている。
必要な情報を調べていくうちに他の情報が目に入り気になってしまい、つい流されてしまうことはよくあることだと思う。

いかに必要な情報だけを手にいれるか、必要のない情報を避けられるか。
本来の情報というものの在り方とは違ってきているのではないだろうか。

1日の24時間の中で生活する時間は限られていて、自身のキャパシティも考えると処理できる情報量はそんなに多くはない。

しかしこの情報社会では情報を追い続けなければいけない使命感のようなものに駆られている。

情報に追われていると気付いた時、情報から離れたらいいんじゃないかとも思った。いくらこの現代社会で情報を目にしない日はないとはいえ、意識すれば減らすこともできるんじゃないかと。

しかし違った。減らすことができない。気がつけば自分から情報を追ってしまっている。追わされている、という言い方の方が正しいのかもしれない。

この、情報を追わなければいけない、という使命感を、タイトルにある麻薬と例えた。

情報に追わされているという自覚を持つこと、自我を保つことを忘れないように、このnoteは時々振り返ろうと思う。

そんなことを思いながら、インターネットにこの文章をあげてみる。

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