【137】あなたと私と新聞紙

いる。

やつがいる。


「今年のアツもナツいですねぇ。」

面白くないことは分かっていても

毎年言葉にする一言。

笑ってほしいのではない。

呆れてほしいのだ。

「また下らない事言ってるね」とか

「しょ~もな」とか

そんな無意味なやり取りで

日常の一瞬が「ふわっ」とする感覚がある。


いる。

やつがいる。


きっと、下らないやり取りの最中は

戦争や宗教や政治

お金や健康や家族や子育て

そんな悩みに蓋をすることが出来ると思う。

蓋をすることは

「一時しのぎ、その場しのぎ」であって

解決ではない。

いつかその内、しっかり向き合わなければならない時がやってくるまでの

「ちょっとした逃げの休憩」と自身は考えている。

自分がそう思うだけで、相対する人には

「ちょっとでも呆れて笑ってもらえたら」程度のものだ。

自身の日常は非常に無力で下らなくてしょうもない。


いる。
やつがいる。


大歓声の中

オリンピックに出る

ワールドカップに出る

甲子園に出場する

選挙演説をする

学校で講義をする

大勢の人前で何かをしたのはいつだろう。

成功しても失敗しても

人前に出る緊張感や高揚感は悪いものではない。

私のそういった経験の最後は

ご高齢の人生の先輩を前でレクをしたことか、、、。

そんな記憶も5,6年前のものであって

最近の自分は何かはしているけど、未来や今後につながるような行動はできていない。


いる。
やつがいる。


内側に変化は少なくても

外側は変化は毎年確実にあるものだ

生ある生きとし生ける物は確実に歳をとる。

18歳になれば選挙に行けるようになるし

26歳になれば車の任意保険が安くなるとか

誕生日になると知らない所から謎のクーポンが届いたり

自分の内面はそのままに

外界の評価は確実に変化している。


いる。
やつがいる。


いったい私は何を考えているのか

いったいあなたは何を考えているのか

いったい彼は何をしているのか


「今年のアツはナツですね〜」

「おめぇは誰だ。何言ってんだ」

「、、、、、。」


「え、ちょっと待って、えぇ〜、待ってよぉ。」

「でかい声出すな。うるせぇぞ。帰れ。」

「、、、、、。」


「足が沢山ついて、美しい曲線を描きながら高速で移動するアレがソコにいます」

「なんなのや、お前は意味が分からない。いなくなれ」

「、、、、(あれ、ばれた?)」


「申し訳ありませんが、私も一人の人間としてあなたの生活環境を守る義務がありますので、勝手に新聞紙を頂きます。戦います。」

「うるせぇ。もういいから帰れ〜。」

「、、、、、(あ、やべ、やられる?)カサカサ、、、。」


失敗が許されない試合前に、トイレから新聞紙を持ち出し

丸め、恐怖の最中に過去が走馬灯のように思い出され、時の流れが止まるよな感覚になって色々考え

戦闘準備が整った時

彼は姿を消していた。

いる。
やつがいる。


私は心の中でこう呟いた。


「いた。」
「やつがいた。」



「いいから帰れぇ〜、いなくなれ〜。」

私に言っていたのか
彼に言っていたのか


今年のアツは、まだまだナツい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?