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墨色の青春

今はもう何もわたしの中に残っていない。

その頃わたしは、部活の仲間という言葉と、家族より長くいるから家族みたいという言葉が大嫌いでした。

わたしは書道がしたくてその高校に入学しました。

たまたま同じ中学で親しくしていた人ともう1人、3人同じ学校で推薦で受かりました。

たまたまだけど、そこから毎日一緒に登校、下校、学校生活(クラス、部活)が始まりました。

その他推薦の人が3人いて、部活の時は計6人で1つの部室でした。

女だらけ。

わたしも入れてクラスは4人一緒で、結構みんなくせ者で…、わたしはそんな事をしにその学校を選んだわけではありません。

1年生のある日、体育の時間に1回目の嫌な出来事。

どこに行っても、何をしてても、その人たちと一緒。

すごく苦痛で、高校生になって最初の挫折。

こんな空間は嫌だ。

という心が悲鳴を上げていた。

その後も頑張ってはみたけど、やっぱり対等でいるのは無理だった。

その後、わたしは心を殺す。

合わせればいいか、別にそこに友達だ!とか仲良いとかはいらないなって思うようになる。

高校のどこにも心が休まる場所はなかった。

授業も一緒、部活も一緒、お昼も一緒、家に帰り着くまで…。

その後わたしは家を引っ越したので、交通手段は変わったので、そこに余裕が生まれた。

あとはまあどうでもいいと思えるようになった。

6人の中で1人ずつ無視していったり、時にもめたり、先輩ともめてみたり、なんか色々疲れたなーって。

クラスも特殊なクラスで書道専攻の人、美術専攻の人、音楽の専攻の人でそれぞれ分かれてて、2年からはスポーツ推薦で入ってた人たちとクラスがまとまって、居場所なし。

1年の時は校舎もひとつだけポツンとそのクラスしかないほどで、でも場所的には良かったし、授業も楽だった。

なんか自由で、自由だったのは3年間変わらずだけど、英語の授業の時に英語のまま映画観ながらお菓子パーティーしたり、3年の時は科学の時間に何回もポップコーン作ったり、色々。

でもちゃんと青春は出来なかった。

文化祭は普通科にも、本当の特進にも入れず、特に何も出来ず、普通科の文化祭の時は、食券だけ買ってそれを食べるだけ、特進の文化祭の時は、見に行くだけ。

つまらなーい!!

でも体育祭は参加。

体育祭といえば、フォークダンスが嫌だった。

ほぼ知らないクラスのひとと、踊るのなんなん?

女性だらけのクラスだったから練習の時は男性役したりしてて、良かったけど背が低すぎて難しかったり。

まあ色々ですね。


部活的には、充実はしてました。

何かに向かって頑張るっていうことは、とても良い経験になりました。

仲間、団結みたいな意味ではちょっと辛いことが多かったけど…。

何だかんだ楽しくはあったのかなー。

居場所はなかったけど、今連絡を取り合ってる人ももういないし、不意に会っても話すことなく、そんなものです。

わたしはきっと嫌だった日々だった。

逃げたくても逃げれないのが辛かった。

その狭い場所で同じ人たちと3年間過ごすということ、本当の友達を作ることもできたはずの3年間。

何も残らなかった3年間。

墨色の青春は、わたしに何も残さなかった。

地元のテレビに出たり、全国大会優勝したり、個人的にも全国大会に行ったり、良い経験はさせてもらいました。

良い日々だったけど、あまり思い出したくない日々。

でもこれがわたしの部活の思い出。

墨色の青春でした。

読んでくださりありがとうございました。

おわり。

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