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エッセイ『魂の矯正』

 ここにひとりの男がいる。
 パソコンに向かい、ぶつぶつ言いながら書き込んでいるのはnoteの記事だ。数か月前に始めてから、それはひとつの趣味となった。
 男は小説で一発当てたいと望んでいたが、近頃は筆が乗らない。多額の賞金に釣られてENEOS童話賞なるコンテストに七編送ったが、一編もかすらなかったことが尾を引いているのだ。
 やる気のない時の男の休日は酷い。今朝は二度寝して九時に起きた。いや厳密に言うと目を覚ましただけで起き上がってはいない。たっぷり九時間は寝たので体は動きたがっていたが、脳はベッドから出るのを拒否した。起きたら何かしなければならない。だから起きない。
 男はyoutubeでバイク動画を眺める。排気音を聞くと、堕落した心もわずかに躍った。バイクでも乗ってくるか。カーテンは閉じられているが、隙間から漏れ出る光が快晴を物語っている。絶好のバイク日和だ。さあ、起きろ。
 結局起きなかった。更に一時間を横になって過ごした。すると次第に横になっていることが辛くなって、とうとう体を起こした。まあいい。寒いし。バイクは明日でも構わない。それより新しいフライパンと、仕事で使う安全靴を買って来なくてはならない。
 買い物を済まして戻れば、もう昼である。スーパーで買った鴨ロースで発泡酒を開ける。断言してしまおう。昼から酒を飲む奴はろくでなしかボンクラだ。酔ってパフォーマンスの上がる奴はいない。休日は疲労のない心身で創作に打ち込める絶好の機会なのに、わざわざ酒を入れて自分を鈍くするのは愚の骨頂である。
 男は案の定、録画したハリー・ポッターを観ながら寝落ちした。妙に厚着していたから汗をかいて、名前を呼んではいけないあの人と対峙するハリーの如くうなされて起きた。もう夕方だった。魔法が使えるなら一日をやり直したい。
 そろそろゲロすると、この男とは私のことである。
 二十代前半の頃の私はよく今日みたいな人生の無駄遣いを繰り返したが、最近はあまりなかった。これほど空しい夜の気分は久々である。
 しかし、ぴちぴちだった私と今の私では決定的に違う点がある。

 それは、ブラジャーを持っているか否かだ。


 私は常々自分を引き締める何かを求めていた。偉人の金言、自己啓発書、奮起する過去の日記、母ちゃんからの電話――どれも役立たずだった。本当の意味で私を引き締めてはくれない。
 そんな折、健康診断の結果が私のもとに届いた。私も三十を過ぎたのだ、以前と結果に大差ないことを喜ぶべきなのだろう。X線写真を撮れば、「側弯? 姿勢不良? 正しい姿勢を心がけましょう」と毎年書かれる私は、その文言に稲妻を見た。
 そうだ。脊柱の歪みが精神に影響を及ぼしているのではないか……。
 そう言えば学生時代、「服装の乱れは心の乱れ」とかなんとか教師が口を酸っぱくして言っていたような気もする。服装が心とリンクするなら、脊柱は魂にさえリンクするだろう。
 心がけるだけで姿勢が正せるくらいなら精神の引き締めに苦労することはない。従って私は道具に頼ることにした。早速ネットで調べると、特殊な形の椅子とか、とにかく体をぎちぎちに締めつけるような矯正ベルトとか出て来たが、どうも食指が動かない。
 矯正というワードでネットサーフィンしていると、やがて女性向けの矯正下着が検索に引っ掛かった。そして私に二度目の稲妻が走る。
 まるで同窓会で花開く昔話の如く、私の脳裏に以前テレビで見たメンズブラの情報が咲き乱れた。
 果たして踏み込んでもいい領域なのか……。
 噓つきは泥棒の始まり。興味ないと言ったら私は石川五右衛門だ。私は昼間から酒をあおるボンクラではあるが、突発的にひとりで木下大サーカスを見物しに行ってしまう程度には、やりたいと思うと居ても立ってもいられない性分なのだ。
 次の瞬間には、私の思考はブラをつける・つけないの葛藤ではなく、メンズブラの値段が高いからどうしたものか、ということに移行していた。
 そもそも「メンズ」にこだわる必要はあるのか? と考える。男の私より立派な体格の女性もいるわけだし、そもそも女性の方が胸囲があるのだから、別に女物でもつけられないことはないだろう。
 私はまず自分の胸囲を測ることにした。測り方から勉強である。「へえ、カップってトップとアンダーの差で決まるんだ」と大半の男には一生役に立たない無駄知識を頭に入れる。昼間の飲酒くらい無駄なことをしている気もするが、その矛盾には気づかないふりをする。私は太っているわけでもないのでAカップでいいし、アンダーは85くらいだ。いけるぞ。理論上、LLサイズなら女物でも構わないという結論が出た。
 ひとつ気になったのは、トップとアンダーに差がなさ過ぎてカップ部分に隙間が出来てしまう問題だ。シリコンバストなる偽乳を入れることで解決しようかとも考えたが、そこまでやると姿勢を矯正するという目的から逸脱しかねないので何とか思いとどまった。私は女装がしたいのではないのだ。決して。
 検討を重ねた結果、Amazonでパッド入りのスポーツブラが1180円で売っていて、これなら隙間の心配もなさそうだし、姿勢を正すだけの締めつけも得られそうだし、それでいてノンワイヤーは着け心地がいいという私にとって意味不明の売り文句も輝いていたのでこれに決めた。デザインにもこだわった。自分の履くボクサーブリーフの意匠など気にしたこともないが、これは不思議なもので、ちょっとオシャレでかわいいブラを選びたくなる。いや本当に不思議だけれど、本当だから。疑う男性読者がいたら、試してみればいい。君たちはまだ本気でブラを選んだことないからそうやって笑うのだ。
 イメージ画像として出てくる下着モデルのお姉さんは、決して私を冷笑しない。温かいほほえみで「それでいいのよ」と背中を押してくれているようであった。
 宅配で届いたその袋を開けた時、私は今この瞬間だけは死ねないと思った。もし急性心不全が私の心臓を襲っても、自力で復活してみせる。たしか武田鉄矢氏が、還暦を迎えた際に自分が死んだ後で見られて恥ずかしいものは全て処分したと語っていた。私はブラを着けた姿で死んでも恥ずかしいとは思わない。しかし新品のブラジャーの開封直前で死ぬのは恥ずかしい。大人の男女がことに及ぶ際、ベッドに入る前の互いにまだ服を着ている時が最も気恥ずかしく思えるのに似ている。
 ならばいっそ早く着けてしまえばいい。と、そこで、私は一時停止を余儀なくされた。男性にも見覚えのある一般的なブラジャーとスポーツブラの違いが私を戸惑わせた。ホックを外しても背中の帯が完全に分離しないのだ。つまり、Tシャツのように上から被って着けるしかない。
 だが、言うは易く行うは難しである。元が女物だから、想定された頭のサイズや肩幅が小さく狭い。私が腕や頭を通そうとすると、それはもうギッチギチである。私は汗をかいた。謎の焦燥感が襲った。ブラを注文してから家に届くまでの、この数日間の高揚。それを思うと、結局着けられませんでした、では死んでも死に切れない。
 私は深呼吸し、心を落ち着けた。肩を回し、肩甲骨を可能な限り柔らかくする。ゆっくりと腕を通す。そう、私はTシャツを着る時もとりあえず頭を通してから腕を出す癖があった。逆なのだ。腕を先に通せば、ブラは私の胸に届く。
 その後も背中に手を回してホックを止めるという慣れない作業に苦戦したが、そこは割愛しよう。もう三千字も書いている。noteに投稿するエッセイは二千字程度にまとめるよう意識していたのに、こんなテーマに限って無駄に語っている。無論、この記事もブラを着けて書いているから、この筆の進み方はブラ効果に違いない。
 パッドのおかげで私には小さなおっぱいができた気分だ。クジャクのオスは美しい羽根を大きく広げはためかせる。もじもじと羽を折って隠したりはしない。副産物とは言え、私は新たに得たおっぱいという宝物に美しくあってほしいという思いから、胸を張ってパソコンに向かう。胸のふくらみを見下ろす時、猫背で引っ込んでいるよりも、前に突き出した方が断然美しく見える。他人にどう見えるかは問題ではない。これは己の魂と向き合う話だ。
 姿勢を正す時、私の一日は無駄にならない。

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