318.人を信じれるようになった僕の考え方。

2022/03/20


僕はある日を境に、
人を信じることができるようになりました。

それまでは、人を信じること。信頼すること。期待すること。全てが苦手でした。それは反対も同じで信じられること。信頼されること。期待されることも同じでした。

なぜなら、その時の僕はとても臆病でした。人と関わること自体が苦手でした。人に裏切られるのが怖いからそもそも人に心を開いておらず、人を裏切るのも怖いから手を差し伸べることもできなかった人でした。


なんで今はそれができるようになったのかというと、信じるということの考え方を改めることができたからです。

今の僕にとっての人を信じるとは、

その人を受け入れられる自分であること

だと考えています。

どういうことかというと、相手には何も期待をしないということです。これはとても冷たい表現かもしれません。

今までの僕は相手を信じたり期待することで自分で勝手に裏切られたと思ったり、その人が発言をしていない期待を勝手に背負って自分で苦しい道を進んでいました。

僕の場合だけかもしれないんですけど、
簡単に言うと自分の妄想に潰れていたんです。

この時の僕は色んなことに対して不安で不安で仕方がなかったんだと思います。その中で目の前に現れた人にすがりたかったんです。今自分の目の前に必要な理想像を誰かに重ねていました。

自分にとっての理想像を重ねることで、理想でない姿が見えてしまった時に幻滅してしまい裏切りと勝手に判断していました。

なんて自分勝手な人(過去の自分)なんでしょうね。w

今の僕でもそんな誰かの理想像を担うなんて無理です。自分は自分であってその人はその人であって自由に生きていけばいいと思っています。

生まれてくるタイミングが一緒の人がいないからこそ、年齢・経験それぞれに差があって価値観も違います。年齢が高い、経験が豊富だからこそなんでもできる訳ではないと思います。親も上司も友達も一人の人です。自分より長い時間を生きていようがその時間の濃さが違うかもしれません。そもそも濃い薄いなんて誰の基準かも分からないです。


今の僕は誰かに理想像を重ねるなんてことはしなくなりました。

自分がどれだけその人を受け入れられるかを考えるようになると本当に楽になりました。

受け入れることは決して全てを許すとかではなく、良いところは称えて、良くないなと思うところには向き合うということです。


そう考えれるようになったことで人を信じることができるようになったんだと思います。

最近思うことがそもそも大前提に信じるがなくてその人との間に何かが起きて事終えた時に。

「あ、この人のことは信じれていたんだ(受け入れることができていた)。」

しっかりと向き合っていたんだと思えることが増えてきたのかもしれないです。


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