マガジンのカバー画像

ロシア・旧ソ連圏

16
運営しているクリエイター

記事一覧

ウズベク料理になったキムチ

ウズベク料理になったキムチ

ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスのバザールの片隅でキムチを必ず見かける。特にウズベキスタンのタシケント、ミラバットバザール周辺には韓国食材店が多いし、バザールには当然ですがキムチやキンバップ(海苔巻き)が売っている。そしてタシケント郊外には高麗人コミュニティが存在する。

東アジアの高麗人がなぜ中央アジアに居住するようになったのか、それはスターリンによる第二次世界大戦前の強制移住よる。

1

もっとみる
冬のコルダイ峠(アルマティ-ビシケク)

冬のコルダイ峠(アルマティ-ビシケク)

2007年2月27日、アルマティからビシケク(235㎞)へ車で戻る途中、コルダイ峠の手前の草原地帯で、ドライバーがトイレで停車した。

この時はビシケクからアルマティへ移動して元国税庁職員とアルマティで合流、2/26-3/9の間、アルマティとビシケクで聴き取り調査や国境管理施設、税関などの調査を一緒に実施し、ビシケク後は空路でタシケントへ移動し見送った。

アルマティからコルダイ峠手前までは路面の

もっとみる
モスクワ・コスモスホテル

モスクワ・コスモスホテル

2017/2/26
1985年7月に泊まったモスクワのコスモスホテルの窓から見た風景と同じ風景の写真が視野に入った。

この写真のとおり、目の前が宇宙飛行士記念博物館と宇宙征服者のオベリスク、右側がVDNKh、中央の丸い建物が地下鉄駅VDNKh、写真には写っていないが正面奥にオスタンキノ・タワーが見えた。駐車場のバスは皆Ikarusだった。

大通りはプロスペクト・ミーラпр-т мира、平和大

もっとみる
2012年2月、モスクワ赤の広場

2012年2月、モスクワ赤の広場

2012年2月のモスクワ赤の広場、雪が溶け氷結してアイスバーンになっていた。その残雪のおかげで非常に明るかった、Nikon D3+17-35mmを手持ちで撮ったが、手振れしていることだろう。
この時はアルメニアYerevanの帰路、この時は成田からアエロフロートで往復した。往路は乗り継ぎでYerevanへ移動し、復路はモスクワで数日滞在することにした。モスクワはこれまで長期には滞在する機会なく、少

もっとみる
エレバン火力発電所運転開始式

エレバン火力発電所運転開始式

2010/04/21、エレバン複合火力発電所(円借款供与)の運転開始式典、当時のセルジ・サルキシャン大統領が出席、右側がエネルギー大臣、日本側から河野駐ロシア大使の代理(アイスランド火山噴火で東京からモスクワに戻れず)の南公使(左から2人目)が出席、説明しているのはホバニシヤン発電所所長。ちなみに珍しく私(JICA)もその後ろに写っている。発電所を運転しているのは東電設計と発電所スタッフ。(写真

もっとみる
「一番美味しいヒンカリは、当店で」というヒンカリ店

「一番美味しいヒンカリは、当店で」というヒンカリ店

Khinkali Restaurant located in Tumanyan Street, central part of Yerevan.

「一番美味しいヒンカリは、当店で」と書いてあります。私が読めるわけではありませんが。でもその通り、この店のヒンカリは旨いのです。

キエフの思い出

キエフの思い出

1985年7月10日、モスクワ・キエフ駅からドニエプル号という夜行列車でキエフに翌朝着いた。それから、インツーリストの事務所へ行き、ボルガのタクシーでホテルへ。この写真は駅を出たところ、振り返って後部座席から駅舎を撮影した。

1985年7月10日、早朝、モスクワから乗った夜行列車ドニエプル号は「ゴトン、ゴトン、ゴトン」とドニエプル川の鉄橋をゆっくりと渡り、その先のキエフ駅へ滑り込んで行った。ソ連

もっとみる
ソ連邦抑留者埋葬地一覧とウクライナ東部

ソ連邦抑留者埋葬地一覧とウクライナ東部

 厚生労働省のHPにソ連邦及びモンゴル抑留者の収容所と埋葬地一覧情報が公開されている。10年くらい前に調べた時にはヒットしなかったので見逃したのか、その後、まとめられたのか。

第二次世界大戦後、ソ連邦による旧満州や樺太・千島列島などでの日本軍の戦争捕虜、通常は抑留者、シベリア抑留者という言葉が用いられている、がソ連邦へ強制連行された。この抑留者を明確に認識したのは、1996年にウズベキスタンへ

もっとみる

イスクラ電話器 ETA-85 旧ユーゴスラビア・スロベニア

イスクラ電話器 ETA-82、イスクラはスロベニアの会社だが、1985年頃だからユーゴスラビアの頃の製品だろう。
日本で発売され、使っていた電話機、MOMAにも所蔵されているほどデザイン性が高かった。
実家に眠っていたのを掘り起こしてきた。

Iskra

東ドイツカメラ

東ドイツカメラ

東西ドイツ統合は、東独経済の崩壊をもたらした。世界的に有名だったカメラレンズメーカーの東独カール・ツァイス・イエナも例外ではなく、西独ツァイスへ1西独マルクで売却された。

しかし、当時既に西独ツァイスのレンズは一部を除いて京セラが生産していたこともあり、世界的には需要があったものの旧東独でレンズ生産が再開されることはなかった。

今日、眼科で使った検査機器の多くがZeissブランドだった、ドイツ

もっとみる
ソ連邦時代のキエフー遠い記憶より

ソ連邦時代のキエフー遠い記憶より

1985年7月10日、早朝、モスクワから乗った夜行列車ドニエプル号は「ゴトン、ゴトン、ゴトン」とドニエプル川の鉄橋をゆっくりと渡り、その先のキエフ駅へ滑り込んで行った。外国人旅行者は、ソ連邦国内では自由な移動が制限されており、駅や空港に付いたらインツーリストオフィスへ行くことになっていた。そこには、予約した私の名前があり、予約したスケジュールに沿って交通機関やホテルが手配されていた。それはそれで素

もっとみる
ルーマニア・ドナウ黒海運河ルートがウクライナ穀物の代替輸送ルートとして再浮上か?

ルーマニア・ドナウ黒海運河ルートがウクライナ穀物の代替輸送ルートとして再浮上か?

ルーマニアルートがウクライナ穀物の代替輸送ルートとして再浮上か?何れにしろドナウ河川港までトラックか鉄道輸送になり、そこからバージでコンスタンツァ港へ。内航水運ならトラックの100台分程度は一つのバージで輸送出来る。

今日のルーマニアルートはドナウ水運であるドナウ黒海運河ルートを示唆していた。4月頃はウクライナのドナウ河川港であるイズマイル港迄だったが。ドナウ黒海運河はドナウ川のチェルナヴォダが

もっとみる
パスハ復活大祭Pascha-東方教会

パスハ復活大祭Pascha-東方教会

2020年の4月19日は、東方正教会の復活大祭(Pascha)、新型コロナ感染拡大に伴い、例年とは異なり聖職者だけで執り行われた。

エルサレム聖墳墓教会でギリシャ正教エルサレム総主教のテオフィロス3世(Theophilos III)が「アクシオス(Axios、「汝はふさわしき者なり」の意)」と唱えながら教会の中心にある装飾された墳墓の周囲を3度まわった後、イエス・キリストが埋葬されたとされる場所

もっとみる
Bishkek2019 その3:ビシケクの記憶

Bishkek2019 その3:ビシケクの記憶

ご覧の通り曇天ですが雪は止んでいた。遠い記憶の彼方にあった2007年当時のJICA事務所を引っ張り出してきて確認した。この付近も看板こそ違えど当時のまま、空間的には落ち着く。

1)確かこの右側の建物、銀行が1Fに入っているビルの上階が当時のJICA事務所だった。入口は駐車場の奥。
2) コンサートホール、この交差点を南へ、市街地の外れ旧飛行場のまえにアクケメホテルがあった、当時選択肢が少なかった

もっとみる