klubnika report

国際情勢の把握とともに、ユーラシアとともに、美味しいもの・美しいものとともに

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現在のリンゴの祖先木

現在食べられているリンゴの約90%は、DNA分析によりカザフスタン東部に広がる天山山脈の斜面の森林に自生するマルス・シエウェルシイ(Malus sieversii)という野生リンゴの木であったことがわかっている。 他方、リンゴの原産地はアジア西部といわれ、北部コーカサス地方が有力視されている。 約5000年から1万年前に栽培植物化され、そこから好ましい性質を持つリンゴが徐々にシルクロード沿いに西に運ばれることになったと言われている。 そのテンシャン山脈の麓(遠いが)のカザ

    • 英国陶器 Balfour China 1952年代以前のカップ&ソーサ トリオ

      英国陶器 Balfour China 1952年代以前のカップ&ソーサ トリオ カップ 口径8.7cm、高さ6.4 ソーサ 直径13.8cm、高さ2.8cm ソーサ(四角) 15.8 x 15.8cm、高さ1.5cm 刻印のBalfour China Co,,Ltdから1952年以前の製造と思われます。Balfour China Co,,Ltd はGladstone地区Longton, Stoke-on-Trent のthe Royal Crown Potteryで製陶し

      • オールド名陶、名古屋製陶所

        名古屋製陶所(鳴海製陶の前身)カップ&ソーサ6客セット、オールド名陶 株式会社名古屋製陶所(東区山田工場)は大正6年(1917)にこれまでの帝国製陶所(1911設立)を改組して発足、昭和11年(1934)に社名を名古屋製陶株式会社に変更、昭和13年に鳴海工場ができた。昭和18年、軍需省の斡旋により鳴海工場が住友金属工業へ売却され、名古屋製陶は解散、山田工場を基に2代目名古屋製陶所側設立された。戦後、昭和21年に鳴海工場は鳴海製陶所として発足、昭和25年に独立して子会社となっ

        • 尾州の毛織物

          2015/9/10、地下鉄の吊り広告に目が止まった。 「尾州服地使用イージーメイドスーツ」 森英恵の夫君、森 賢の実家がこの尾州、尾張一宮で毛織物業か毛織物を扱う商店だったとものの本で読んだことがある。一宮は実家から名鉄尾西線で行けた街で叔母が住んでいて、七夕祭りに何度か行ったことがある。 尾張地方の毛織物業は戦後に盛況な時期があったが輸入品に押されて衰退し70年代にはその殆んどが転業を余儀なくされた。現在でもグローバル市場で競争力のある製品を生産する優位性の高い企業が

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        • 西欧
          10本
        • 南アジア
          4本
        • 東欧
          10本
        • 中東
          8本
        • ロシア・旧ソ連圏
          16本
        • 東京
          31本

        記事

          NHK特集ショパンコンクール1985

          こんな映像が視野に入った。1985年の第11回ショパン国際ピアノコンクールのNHK特集、ほんの2ヶ月ほど前にワルシャワに滞在していた、数日だが、ワルシャワフィルもコンクールなども知らずに。映像に映る当時の街の様子、旧市街や人々、私の印象より明るい。 第11回はなんと日本人が26人出場、1次予選通過は10人、最終的に小山実稚恵さんが4位に入賞した。1位はソ連のスタニスラフ・ブーニン、モスクワ音楽院の19歳だった。3代続くピアニストの家系、神経質そうなと紹介されている(カメラが

          NHK特集ショパンコンクール1985

          ストラディバリウスとハチャトゥリアンコンクール

          ストラディバリウスを数十万円の保険料を自己負担してヴァイオリン専門店から借りて、第20回Khachaturian International Competitionに出場した荒井里桜が3位 と、NHKのストラディバリウスをテーマにした番組(ステータス)で紹介していた。前澤友作が所有し13歳のHIMARIに貸与しているストラディバリウス・HAMMA(1717)、オックスフォードのAshmolean Museumが所有する最高傑作と言われるストラディバリウス・MESIAH(171

          ストラディバリウスとハチャトゥリアンコンクール

          そのままだったルサカ空港

          2016年3月、28年ぶりにCOMESA/JICA共催ジブチ回廊整備・貿易促進WSのためルサカに滞在した。 ルサカ国際空港ロビー、ザンビアの主要産業である銅鉱業の銅鉱石とインゴットが展示されている、まるで博物館のように。1988年8月と同じ時間が止まったようだった。 Lusaka Airport, now honorably the first president of Zambia has put on the title. The terminal has not b

          そのままだったルサカ空港

          止まらない循環式エレベーター(パーテルノステル)in Colombo

          止まらない循環式エレベーター、パーテルノステル(parternoster)。 珍しいエレベーターに出会った。以前も何処かで遭遇したがどこだったか失念。ここはセイロン電力庁、電力会社の本社、このエレベーターは循環して止まらない、どちらかが上へ、もう一方が下へゆっくりと動き続けている、そしてEV箱が来たら飛び乗る、目的階が来たら飛び降りるのだ。定員は2名、乗ってみたいと思いませんか? 100年前のエレベーター「パーテルノステル」が怖い 扉もないし止まらない【動画】

          止まらない循環式エレベーター(パーテルノステル)in Colombo

          スウェイフィエ地区の夕焼け

          2018/2/25 アンマン、スウェイフィエ地区の夕焼け

          スウェイフィエ地区の夕焼け

          かつてあったロンドンーカルカッタ間のバスルート London-Calcutta Bus Service

          カルカッタは初海外出張先であり、その後何度か出張、それに強烈な印象を受けたので少しは馴染みがある都市、SNSで視野に入った長距離バス、少し振り返ってみる ロンドン発カルカッタ行きバスが1957年から1976年まで、世界最長定期バスルートが運行していた。英国のツアー会社がユーラシア大陸横断バスツアーやアフリカ縦断バスツアーなどのツアーに同行したNHKの番組を観たことがあるが、ロンドン-カルカッタのこの長距離バスルートが下敷きにあったのかと。 1957年4月15日にロンドンを

          かつてあったロンドンーカルカッタ間のバスルート London-Calcutta Bus Service

          夏の風物詩、スタリ・モストからの飛び込み

          ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルの夏の風物詩、スタリ・モスト(古い石橋)からの飛び込み、水面まで24mの高さである。実際に飛び込みを見たことはないが、季節外れだったのだが、2004年10月に再建間もないスタリ・モストを渡り、橋の下の川面まで降り流れに触れたことがある。 モスタルは、ローマ時代は属州ダルマチアに含まれていた。初期キリスト教のバシリカ(basilica、古代ローマ時代に裁判所や商業取引所とされた長方形の建物で後にキリスト教がローマ帝国内に広まるにつれて、この

          夏の風物詩、スタリ・モストからの飛び込み

          ロンドン-カルカッタ、世界最長バスルート

          カルカッタは初海外出張先であり、その後何度か出張、それに強烈な印象を受けたので少しは馴染みがある都市、SNSで視野に入った長距離バス、少し振り返ってみる。 ロンドン発カルカッタ行きバスが1957年から1976年まで、世界最長定期バスルートが運行していた。英国のツアー会社がユーラシア大陸横断バスツアーやアフリカ縦断バスツアーなどのツアーに同行したNHKの番組を観たことがあるが、ロンドン-カルカッタのこの長距離バスルートが下敷きにあったのかと。 1957年4月15日にロンドン

          ロンドン-カルカッタ、世界最長バスルート

          イスタンブール・イスティクラル通りのトラム

          2007年と2008年は何度かイスタンブールに滞在した。それは念願がかないイスタンブール都市交通MP調査に参加出来たからである。前会社の大先輩であり人生の大先輩のW総括の下、仕事と人生論が半々の様な、対象がイスタンブールということもあり、私の業務経歴の中でもとてもやりがいのあるプロジェクトだった。また、イスタンブール市役所側の対応も他の案件と比較しても待遇がずば抜けてよく、充実した業務スペースの提供とレベルの高いスタッフたちがアサインされた。 そのプロジェクトオフィスがベイ

          イスタンブール・イスティクラル通りのトラム

          ウズベク料理になったキムチ

          ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスのバザールの片隅でキムチを必ず見かける。特にウズベキスタンのタシケント、ミラバットバザール周辺には韓国食材店が多いし、バザールには当然ですがキムチやキンバップ(海苔巻き)が売っている。そしてタシケント郊外には高麗人コミュニティが存在する。 東アジアの高麗人がなぜ中央アジアに居住するようになったのか、それはスターリンによる第二次世界大戦前の強制移住よる。 1931年3月、満州国が建国されるとソ連邦の指導者スターリンは、沿海州に居住する高

          ウズベク料理になったキムチ

          新栄教会(私立病院慰廃園跡)

          2022/4/27、 目黒通り沿い、目黒消防署の向かい側、セブンイレブン目黒中町一丁目店の横の小径を入ったところに日本キリスト教団新栄教会という小さな教会がある。 歴史は古く明治初期の1873年設立、そしてキリスト教信仰に基づいた私立病院慰廃園というハンセン病(癩病) の病院が1894-1942年までこの地にあった。 この辺り、当時は農村地帯で病院が開院してしばらくしてから今の目黒通りを挟んで目黒競馬場が開場し、府中に移転する1933年まで競馬場が存在した。

          新栄教会(私立病院慰廃園跡)

          遠い夜明け、35年振り

          『遠い夜明け』(Cry Freedom)を観た。35年ぶりだろうか。映画は1987年に製作・公開されたイギリス映画、日本公開は1988年2月、監督はリチャード・アッテンボロー、出演はデンゼル・ワシントン、ケヴィン・クライン。 アパルトヘイト政権下の1976年、南アフリカ共和国の有力紙デイリー・ディスパッチ紙の白人記者ドナルド・ウッズは黒人解放活動家スティーヴ・ビコと親交を深めるが、1977年にビコが逮捕され、その後、獄中で拷問死、ウッズ自身も軟禁された。 ウッズは警察の監

          遠い夜明け、35年振り