klubnika report

国際情勢の把握とともに、ユーラシアとともに、美味しいもの・美しいものとともに

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ロンドン-カルカッタ、世界最長バスルート

カルカッタは初海外出張先であり、その後何度か出張、それに強烈な印象を受けたので少しは馴染みがある都市、SNSで視野に入った長距離バス、少し振り返ってみる。 ロンドン発カルカッタ行きバスが1957年から1976年まで、世界最長定期バスルートが運行していた。英国のツアー会社がユーラシア大陸横断バスツアーやアフリカ縦断バスツアーなどのツアーに同行したNHKの番組を観たことがあるが、ロンドン-カルカッタのこの長距離バスルートが下敷きにあったのかと。 1957年4月15日にロンドン

    • イスタンブール・イスティクラル通りのトラム

      2007年と2008年は何度かイスタンブールに滞在した。それは念願がかないイスタンブール都市交通MP調査に参加出来たからである。前会社の大先輩であり人生の大先輩のW総括の下、仕事と人生論が半々の様な、対象がイスタンブールということもあり、私の業務経歴の中でもとてもやりがいのあるプロジェクトだった。また、イスタンブール市役所側の対応も他の案件と比較しても待遇がずば抜けてよく、充実した業務スペースの提供とレベルの高いスタッフたちがアサインされた。 そのプロジェクトオフィスがベイ

      • ウズベク料理になったキムチ

        ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスのバザールの片隅でキムチを必ず見かける。特にウズベキスタンのタシケント、ミラバットバザール周辺には韓国食材店が多いし、バザールには当然ですがキムチやキンバップ(海苔巻き)が売っている。そしてタシケント郊外には高麗人コミュニティが存在する。 東アジアの高麗人がなぜ中央アジアに居住するようになったのか、それはスターリンによる第二次世界大戦前の強制移住よる。 1931年3月、満州国が建国されるとソ連邦の指導者スターリンは、沿海州に居住する高

        • 新栄教会(私立病院慰廃園跡)

          2022/4/27、 目黒通り沿い、目黒消防署の向かい側、セブンイレブン目黒中町一丁目店の横の小径を入ったところに日本キリスト教団新栄教会という小さな教会がある。 歴史は古く明治初期の1873年設立、そしてキリスト教信仰に基づいた私立病院慰廃園というハンセン病(癩病) の病院が1894-1942年までこの地にあった。 この辺り、当時は農村地帯で病院が開院してしばらくしてから今の目黒通りを挟んで目黒競馬場が開場し、府中に移転する1933年まで競馬場が存在した。

        ロンドン-カルカッタ、世界最長バスルート

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        • 東欧
          9本
        • 南アジア
          3本
        • 西欧
          8本
        • 中東
          8本
        • ロシア・旧ソ連圏
          16本
        • 東京
          31本

        記事

          遠い夜明け、35年振り

          『遠い夜明け』(Cry Freedom)を観た。35年ぶりだろうか。映画は1987年に製作・公開されたイギリス映画、日本公開は1988年2月、監督はリチャード・アッテンボロー、出演はデンゼル・ワシントン、ケヴィン・クライン。 アパルトヘイト政権下の1976年、南アフリカ共和国の有力紙デイリー・ディスパッチ紙の白人記者ドナルド・ウッズは黒人解放活動家スティーヴ・ビコと親交を深めるが、1977年にビコが逮捕され、その後、獄中で拷問死、ウッズ自身も軟禁された。 ウッズは警察の監

          遠い夜明け、35年振り

          広尾のカフェ・デ・プレでネット検索した記憶

          ふとしたきっかけで「旅行人ノート、シルクロード 中央ユーラシアの国々」、2006年11月刊を見直している。https://amzn.asia/d/gfXY2vG 2009年に中央アジアで仕事をすることになり、日本語ガイドブックを探した時に候補に上ったのがこの本、タイトルの通り西安からイスタンブルへのシルクロード経路をカバーしている。これがなかなか、日本語でこのレベルの情報に驚き、というかなぜ存在しなかったのかと考えていた。Lonely PlanetやBradtもかなり詳しく

          広尾のカフェ・デ・プレでネット検索した記憶

          ソフィアのHotel Vitosha The New Otani

          東ベルリンのGrand Hotel Berlinのことを紹介したが、それ以前の1970年代に日本人建築家が設計したホテル、Hotel Vitosha The New Otaniがブルガリアのソフィアにある。 設計は当時既に世界的に名を馳せていた黒川紀章が設計、21階建、442室。建設はブルガリアのTehnoeksportstroyと三菱のJV、黒川は設計に際してBulgarian National Revival style of Koprivshtitsa and Plo

          ソフィアのHotel Vitosha The New Otani

          東ベルリンのグランドホテル

          東ドイツ時代にInterhotel(東ドイツの高級ホテルチェーン)が発注し鹿島建設とスウェーデンのSiab(サブコン)が東ベルリンに建設したホテル、Grand Hotel Berlin, 今はThe Westin Grand Hotel. この土地には1873年に建てられたkaisergalerieという商業施設があったが1943年のベルリン空爆で倒壊、1957年に更地へ、その跡地に西側観光客の需要増に対応してベルリン建都750周年にあたる1987年に合わせてinterho

          東ベルリンのグランドホテル

          冬のコルダイ峠(アルマティ-ビシケク)

          2007年2月27日、アルマティからビシケク(235㎞)へ車で戻る途中、コルダイ峠の手前の草原地帯で、ドライバーがトイレで停車した。 この時はビシケクからアルマティへ移動して元国税庁職員とアルマティで合流、2/26-3/9の間、アルマティとビシケクで聴き取り調査や国境管理施設、税関などの調査を一緒に実施し、ビシケク後は空路でタシケントへ移動し見送った。 アルマティからコルダイ峠手前までは路面の雪はなく普通に走って来たが、峠に差し掛かりアイスバーンになった。スタッドレスを履

          冬のコルダイ峠(アルマティ-ビシケク)

          2020年2月28日の横浜ベイエリアと富士山

          2020/2/28の横浜ベイエリア、NH869羽田-マニラ便の離陸直後、運良く離陸してから旋回してこの位置に。横浜ベイブリッジが正面に。当時、既に新型コロナウィルスによる感染が拡大しWHOが新型コロナウィルスによるパンデミックの可能性を言及した。ベイブリッジ右側、大黒埠頭には香港から乗客を乗せて横浜港に寄港、停泊中のダイヤモンドプリンセス号も見える。 そして、NH869(HND-MNL)は相模湾から伊豆半島を横断、富士山を俯瞰、かなり近いルートを飛行した。この頃、IOC委員

          2020年2月28日の横浜ベイエリアと富士山

          国府宮はだか祭りと女性参加

          実家に近い稲沢・国府宮神社のはだか祭り、bbcが初の女性参加と報じているのは、もみ合いに先立ち、厄よけ祈願の布を結び付けたササを奉納する「儺追笹(なおいざさ)奉納」で、に女性団体が初めて参加した。願い事が書かれた布を結びつけた巨大なササを女性らが担ぎ、勢いよく境内に駆け込んで奉納した。 もみ合い同様、笹奉納もふんどし姿の男性が行うのが慣例だったため、これまで女性は参加できなかったが、地元の女性団体から要望があり、神社は女性の参加を禁止しておらず、着衣での奉納参加を受け入れた

          国府宮はだか祭りと女性参加

          ベーグルを焼いてみた(ホームベーカリー+ガスオーブン)

          2022年2月27日付、 ウクライナ情勢のニュースを観ていてポーランドという言葉が聞こえてきた。隣国だし、元々、ウクライナはポーランド・リトアニア王国の一部だったこともある。 それで2016年、2017年と2年続けて行ったクラコフを思い出し、クラコフのユダヤ人のパンがベーグルの大元だったことが頭に浮かび、家で焼けないかとホームベーカリー附属のレシピを見たらありました。ネットでも当然、容易に見つかったのです。 しばらくパンを焼いていなかったこともあり、焼いてみることに。そ

          ベーグルを焼いてみた(ホームベーカリー+ガスオーブン)

          モスクワ・コスモスホテル

          2017/2/26 1985年7月に泊まったモスクワのコスモスホテルの窓から見た風景と同じ風景の写真が視野に入った。 この写真のとおり、目の前が宇宙飛行士記念博物館と宇宙征服者のオベリスク、右側がVDNKh、中央の丸い建物が地下鉄駅VDNKh、写真には写っていないが正面奥にオスタンキノ・タワーが見えた。駐車場のバスは皆Ikarusだった。 大通りはプロスペクト・ミーラпр-т мира、平和大通り、現在はフライオーバーがある。そして、オベリスクの後ろに当時はなかったモノレ

          モスクワ・コスモスホテル

          Le Royal Ammanの裏のレストラン街

          2018/2/25 このホテル内に旧JBIC事務所があったと聞いている。 3サークルのこのLe Royal Ammanにはあまり縁がなかったが、このホテルの裏側に良さげなレストランが多くあった。アルメニア・レバノン料理レストランLevantもありよく行ったが事務所の職員はここがアルメニア料理との認識をしていなかったな。 アンマンにもアルメニア人コミュニティがありアルメニア教会も市役所の先の丘の上にある。彼らは第一次世界大戦期にオスマン帝国のアルメニア人がこの地に逃れてきた

          Le Royal Ammanの裏のレストラン街

          ハッサク(八朔)

          ハッサク(八朔) Citrus Hassaku Groupと言う柑橘類、妹の嫁ぎ先の空宅地に便宜的に植えられ、実を付けていたのでお裾分けをいただいた。 このハッサク、尾道に原木がある。万延年間(1860年)、村上水軍の城跡、青影山の南麓(広島県尾道市因島田熊町)に、浄土寺の第15世住職、小江恵徳上人の生家があり、その近くに生えた雑柑が「ハッサク」の原木であった。 因島には古くから多種類の雑柑があり、温暖な気候で柑橘類が育ちやすい自然条件が整っていたほかに、村上水軍が東南ア

          ハッサク(八朔)

          「生きる」黒澤明監督

          2023/2/25 黒澤明監督の「生きる」(1952年公開、モノクロ)を借りてきて観た。 この作品を知るきっかけは友人の父の夢、 ブランコに乗って「命短し」(ゴンドラの唄)を歌うんだけど、命の最後の灯を消費しているような感じで印象に残っている、とのことだった。 映画は題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される官僚主義を批判した内容で、今でも通じる内容、143分、映画を観たと言う映画で渡邊勘治役の志村喬の演技(視線)などなど見応えがあった

          「生きる」黒澤明監督