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私はなぜ本を出そうとしているか

おはようございます😃


先日、娘が図書館から借りてきた『アナと雪の女王』を観て、私が号泣し、夫と娘は白目を剥いて、その後涙でボロボロになった私を観て爆笑していました。


公開された当初も、なぜ惹かれるか、分からないけど、ものすごく心惹かれて3回劇場に観に行きました。


多分、同じ映画を3回も映画館で観たのは、後にも先にもアナと雪の女王だけです。


当時はなぜこの映画にここまで心惹かれるか、分からなかったんですね。


でも、今回、娘が借りてきて一緒に観ているうちに、やっとわかったんです。


激しい自己否定からの解放



※※※


自慢じゃありませんが、私はなぜそこまで歪んでしまうの?自分でも理解できないくらい普通の家庭に育ちました。


両親は健在で喧嘩もなく、夫婦仲は良い。


中流家庭でお金には不自由しなかったし、進学は当たり前のように最初から当然大学まで出るように育てられた。


だけど、自我が目覚め始める4.5年生頃から、周囲と違う異質な自分がどうしても許せなくて、自分は、将来、誰か私と一緒になってくれるホームレスの人を見つけて、お医者さんになり、無医村でお爺さんお婆さんを相手に必要としてくれる人の中でひっそりと生きていきたいと夢見るようになりました。


そして、11歳から、自分は産まれてきてはいけない存在だったのだ。


激しく自己否定するようになりました。


高校時代に陽だまりのような温かい時間を過ごしたものの、その頃から拒食過食を繰り返すようになり、大学時代は、ひとりのとき、ふと口をついて出てくる言葉は


「死にたい」


そんな言葉でした。


自分でも訳が分からなかったんです。


恵まれて育ったし、何か虐待を受けたわけでもない。


転校でイジメにあったこともあるけど、イジメにあっても元気に生きている人は沢山いる。


なぜ自分はこんなところで袋小路にはまって抜け出せなくなっているんだろう。


そのままじゃいやだから、考えて考えて行動しても抜け出すことができませんでした。


原因が、分からない。


努力しても抜け出せない。


疲れ果ててしまいました。


絶望したのです。


そして、自分の命を大学3年のとき、ダンスサークルの12月公演に捧げることにしました。


この公演が無事終わるなら死んでもいい。


むしろ死にたい。


もう疲れた。


これ以上生きたくない。


11歳の時から10年頑張ってきたけど、何も変わらない。


もうだめだ。


そして、その12月公演の日の三日前に友人が自殺で亡くなりました。


自殺のことを知ったのは、公演が終わった後です。


私のことを心配した母が公演が終わるまで伏せていたからです。


小学4年生の時に転校で別れた友人。


カトリックだったため、自殺とは伏せた交通事故ということで葬儀が行われました。


しかし、お葬式の際、棺を見つめて


「バカなことを」


そうぽつりとつぶやいた彼女のお父さんを見て異変を察知した母は、昔のママ友に連絡を取り、自殺のニュースを調べてもらいました。


そして、その日、父の働いていたビルから飛び降りて亡くなった女性がいたということを調べてもらい、教えてもらっていました。


私が22年向き合えなかったのは、彼女を見捨ててしまったことではない。


むしろ逆でした。


彼女はカトリックでした。


私は、自殺から数ヶ月後、不思議な体験をして、ハイヤーセルフの声なき声を聴き、そして沢山のメッセージを受けとりました。


※※※


当時は私はハイヤーセルフなんて言葉は知りませんし、メッセージがあまりにも巨大すぎて、心のバランスを崩して自分は自殺というショックな出来事から頭がおかしくなったのだろうと思い込んで、言い聞かせて、残りの人生は余生だと、もう、死ぬまで諦めて生きていくのだと、そういう風に思おうとしました。


自殺するほど苦しんでいた友人を見捨てた酷い人間として償っていこうと。


※※※


ハイヤーセルフという言葉を知ったのは、会社の先輩との何気ない会話からでした。


NHKに五木寛之さんが出演していました。


ロシア侵攻を生き延びて満州から引き揚げてきた際に何人もの日本人を見殺しにして逃げてきた。


その罪悪感に苛まれ、うつ病も患います。


そしてそんなある日、


声なき声が


「もういいんだよ。よく頑張ったね。自分を責めなくていいんだよ。もういいんだよ。」


そんな風に語りかけてきたというのです。


その話を先輩としているときに私はふと


「私も似たような経験をしたことがありますよ。」


どういう状況でそれが起きたかと、その時どんな声なき声を聞いたのか、説明しました。


少しスピリチュアルに詳しいその先輩は驚いたようにこういいました。


「マジか。それハイヤーセルフだし、その状況は『悟りの時』と言われる状況だよ。」と。


ハイヤーセルフ、初めて聞く言葉でした。


そして、自分があの時経験したことは、何も私の頭がおかしくなったわけではなく、そういうことが世の中に起こりえるのだと知りました。


でも、どうしても、あの時体験した真のメッセージを受け取ることができませんでした。


それは、友人が、命を経つほどギリギリまで追い詰められているときに、同じく公演に命を捧げて死のうとしている私に、


「愛しているよ。私の命をあげる」


そう、命をくれたというメッセージをどうしても受け取ることができませんでした。


私には、友人を見捨てた自分、そこまでわたしを追い詰めた叔母、知らなかった母を許さない、自分たちが彼女を追い詰めた、そのシナリオの方が楽でした。


自分がかつて一番愛した人が自分も瀕死なのに、自らの命をくれたという私にとっての事実はどうしても受け入れることができませんでした。


母を許し、叔母を許し、自分を許し、私にとっての事実を受け入れたとき、静かにあの時受け取った巨大なメッセージの記憶がぽろり、ぽろりと記憶に浮かび上がりつつあります。


※※※


アナと雪の女性に理由も分からず激しく惹かれた理由。


それは、エルサの激しい自己否定をアナが命をかけて解放したからです。


エルサは、かつて自分の能力からアナの命を危うく奪いそうになる経験というトラウマと、自分が望んだわけではないコントロール不能の力に、激しく自己否定して生きてきました。


でも、初めて自分を解放し、ありのままの自分であることを自分に許しました。


あの時は分からなかったけど、私は私をありのままに受け止めることを希求していたのだと思います。


友人の死に責任がないわけではない。


それは、見捨ててしまったこと。


愛を、命をもらったこと。


長年自責の念に苦しんできたこと。


幸せになってはいけないのではないかと思っていたこと。


結婚したときは、こんな私の特性を受け継ぐなら、生きることは苦しみでしかない。


こどもなんて欲しくないと。


そんな私がこどもをのぞみ、授かったこと。


授かっても、なかなか初めからうまく育児できなかったこと。


今も日々揺れながら生きていること。


でも、いつも、愛されているということを知ってしまったこと。


この世の中は、宇宙はいつも大いなる愛で私たちを愛してくれていること。


そんなもろもろのメッセージを受け取ってしまったことを長らくどうしても受け入れることができませんでした。


私はやっと全てを丸ごと受け入れることができそうです。


今のそんな心境を全て今書ける自分の言葉で書き留めておきたい。


多分、だから、今本を出そうとしているのだと思います。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨


※念のため申し添えておきますが、私は無宗教であり、占い好きではありますが、さほどスピリチュアルには傾倒しておりません。起きた現実が、少し不思議な体験であったため、理由を探るために、スピリチュアルの本も読んでいますが、大切なのは、この現実社会の中で、どれだけ多く深く愛して生きていくか、そのことに尽きると考えています。


今朝の記事は昨日きくちしんいちさんに教えていただいたスタエフと、福島太郎さんのnoteの記事にインスピレーションを受けて書かせていただきました。






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