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認められたいと思うのは悪いことではない

おはようございます😃


随分前に、職場の研修でどういう時に働きがいを感じるかというテーマでディスカッションする機会がありました。


私たちのグループは、割とハイエージなベテランの方々が多かったのですが、そのグループでみなが口々に声にしたのは


「ここにいていいんだよ」


そう思えた時に働きがいを感じる。


そんな意見でした。


ここにいることを許されないとかそういう意味ではなくて、自分がここにいる意味。


敢えて自分でなくてはならない意味を仕事に落とし込み、


「あなたに頼んで良かった」


というところまで、周囲から認められ、自分でも納得したとき、初めて自分がここにいる意味を見つけ、ここにいてもいいんだと感じられるのかなと。


それは何も仕事にかぎったことではなく、家事でもなんでも


誰がやっても同じ。お前なんかいてもいなくてもいいと周囲に思われているより、あなただからいいんだよと認めてもらった方が嬉しいに決まってないるな。


そんな風にも思ったのです。


私は承認欲求は強い方だと思います。


でも、それは、特段、チヤホヤほめそやされたいとか、そういう承認欲求というよりは、むしろ


「ここにいていいんだよ。いてくれてありがとう」


そういう風に思って、存在を認めてもらいたい。


そんな欲求です。


以前は、承認欲求強めな自分があまり好きではありませんでした。


しかし、だいぶ前にとあるnoterさんとコメント欄でやり取りした時、


「私は未だに認められたいという気持ちは強いです」


とやや自分に対するネガティブな気持ちで書き込んだコメントに対して


「人間は誰しも認めてもらいたいと思っているから当然です」


というようなニュアンスのお返事をいただき、心の底から


「そっかー!そこで生きていることを認めてもらいたい、それは、ある意味生存欲求なんだー!」


と目から鱗が落ちました。


ということで、今では堂々と


私は承認欲求強めと宣言できるようになりました。


長くなりましたが、


そこに生きていることを認めてもらうある意味根源的な生存欲求も含め、


認められたいと思うのは悪いことではない。


でした。


また、大切なことは、誰しも、多かれ少なかれ、そこに生きていていいんだと認めてもらいたいと思って生きていて、いいんだよと簡単に伝えられる最強の言葉がありがとうという言葉なのだということ。


人生において、なるべくたくさんのありがとうを声にして伝えて生きていきたいなと改めて思いました。


今朝、しいたけ.さんの記事を読んでそんなことをつらつら考えてみました。


有料記事なので、控え目に貼っておきます。

ありがとうといえば、はままゆさんのアメリ作戦。


こちらもペタっと貼らせていただきます。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました✨✨✨

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