北烏山編集室

編集者2名の小さな出版社兼編集プロダクションです。 単行本・図鑑・事典など、幅広い書籍の企画・編集をてがけます。 お仕事のご相談・ご用命は、担当者の個別メールアドレスまたはツイッターのDMへ。 〒157-0061世田谷区北烏山7-25-8-202 株式会社北烏山編集室

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マガジン

  • サミュエル・ピープスの日記を読む

    革命と動乱のイングランド17世紀。この時代を生きたサミュエル・ピープスが10年にわたって残した「日記」は、日記文学として価値を持つ一方、「天下の奇書」としても読まれてきた。本連載はピープスの10年の日記から適宜ピックアップして、毎月1回、新訳でお届けしていく。翻訳・解説は、慶應義塾大学教授の原田範行氏。

  • 本のことなど

    北烏山編集室・津田正が書いた本などについての文章をまとめました。

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サミュエル・ピープスの日記を読む(0)

解説:原田範行(慶應義塾大学教授) トップ画像:ピープス図書館。ケンブリッジ大学モードリン・カレッジにある。3000冊のピープスの蔵書と日記が収蔵されている。Photograph © Andrew Dunn, 10 October 2004.  連載開始にあたって  革命と動乱のイングランド17世紀。この時代に、生涯の大半をロンドンで過ごし、国会議員にして海軍大臣、王立協会総裁を務めたのが、サミュエル・ピープスである。だが、ピープスの名が一般によく知られているのは、むし

    • サミュエル・ピープスの日記(6)

      翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授) 【チャールズ2世の戴冠式も済み、いろいろと取り沙汰されていた王の結婚相手も決まりました。ご主人さまは王妃を迎えに出帆、ピープスはその信を得て、留守を預かります。それでも好奇心旺盛な彼のこと、仕事の合間にはたびたび芝居見物に出かけ、居酒屋での談論も欠かしません。しかし、周囲を見回すと人心必ずしも定まらず、熱病も流行し、公的にも私的にもさまざまな心配を抱えて、彼は多忙をきわめることになります。】 トップの画像:17世紀のアルジェリア沖

      • サミュエル・ピープスの日記(5)

        翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授) 【日記を書き始めて一年が経過し、ピープスは次第に王政復古後の政治の中枢にかかわるようになっていきます。混乱がまだまだ収まらぬ中、チャールズ2世は戴冠式の日を迎えますが、相変らず好奇心旺盛にして観察好き、芝居と音楽と酒をこよなく愛するわれらがピープスは、自由闊達に当時の社会を活写しています。それにしても、式典の最中、自然の欲求にしたがってこれを抜け出してしまうとは・・・。】 トップの画像:1661年4月23日、ウェストミンスター寺院

        • ピープスの日記 登場人物索引

          以下に、本連載で登場した人物の索引を作成した。人物解説の末尾にある1660/4/3という数字は、1660年4月3日の日記に、その人物が登場することを示す。(2024年11月29日更新) <あ行>アイシャム艦長 ヘンリー・アイシャム。ご主人さま(エドワード・モンタギュ)の継母アンの兄。王政復古当時、海軍に務めていた。生涯の大半をポルトガルやカナリア諸島で過ごした。1660/4/3, 1661/8/24 アイルトン、ヘンリー オリヴァー・クロムウェルの義理の息子で、革命時には議

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        記事

          サミュエル・ピープスの日記(4)

          翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授) 【国王一行やご主人さまとともに意気揚々とロンドンへ戻ったピープス。妻エリザベスも安堵したことであろう。これで王政復古(the Restoration)が実現したわけだが、事はそれほど容易には片付かない。下っ端役人の彼の前には、公私にわたってこまごまとした仕事が山積みである(なお、今月から登場人物索引を用意したので、適宜参照されたい)。】 トップの画像:クロムウェル、ブラッドショウ、アイルトンの「死後処刑」の描写。Wikipedia

          サミュエル・ピープスの日記(4)

          サミュエル・ピープスの日記(3)

          翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授) 【王政復古の年である1660年のつづき。ピューリタン革命で処刑されたチャールズ1世の息子であるチャールズ2世は現在オランダに亡命中である。国王を迎えにオランダにやってきたイングランドの使節は、今、ハーグに滞在中。ピープスも用務に忙しいのだが、好奇心旺盛な彼は、時間を見つけてはあちこちに出かけていく。いったいいつ王が乗艦するのか、下っ端役人の彼には分からない。】 トップの画像:イングランドへ向けてオランダを出発するチャールズ2世。1

          サミュエル・ピープスの日記(3)

          サミュエル・ピープスの日記(2)

          翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授) トップの画像:ピープスの「ご主人さま」であるエドワード・モンタギュ 【1660年のつづき。すでにピープスは、オランダへ国王を迎えに行く船の中。ただし、まだロンドンにいる。】 4月3日 夜遅く、就寝。朝3時頃、私の船室を激しくノックする者がいた。だいぶ苦労して私の目をさまし(とは仲間の話)、私は起き上がる。なんのことはない、郵便が来ただけのこと。だから私はまた寝た。朝、その郵便をご主人さまに渡す。  今朝、アイシャム艦長*がご主

          サミュエル・ピープスの日記(2)

          北烏山編集室の業務内容2024

           北烏山編集室は2024年6月1日、3年目に入ります。編集プロダクションとして業務を開始いたしましたが、2023年12月のデニス・ボック著、越前敏弥訳『オリンピア』の刊行を皮切りに、2024年5月には、原英一『カズオ・イシグロ、沈黙の文学』、レスリー・シモタカハラ著、加藤洋子訳『リーディング・リスト』を刊行。「英語英文学・翻訳のふたり出版社」というキャッチフレーズで、出版社としての活動も本格化しています。2024年現在の弊社の業務内容を以下に記します。 ●業務内容 ① 出版

          北烏山編集室の業務内容2024

          サミュエル・ピープスの日記(1)

          翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授) トップ画像:ピープスの日記の冒頭部分の原稿 1660年  神に祝福あれ。昨年末、私はたいへん健康に恵まれた。例の痛み*も、冷えた時以外はない。  私はアックス・ヤードに、妻とお手伝いのジェイン*とともに住んでいる。他に家族はいないから、三人暮らし。  ここ七週間、妻に生理がなかったので子どもができたかと期待したが、大晦日になって始まった。国の状況は次の通り。ランバート卿*の騒動の後、臀部議会*が招集され、議員が議席に戻った。陸

          サミュエル・ピープスの日記(1)

          古田徹也『謝罪論』未読感想序説

          以下は、古田徹也さんの『謝罪論』(柏書房)の出版記念イベント(新宿・紀伊國屋書店)の感想。メモ書きであるし、校正も殆どしていない。 ① 昨夜は、古田徹也さんの『謝罪論』(柏書房)の出版記念イベントが新宿の紀伊國屋書店で開催された。イベントに参加予定の友人が急遽行けなくなり、私が代わりに参加。本を読む前にイベントへ行くことになったのだが、古田さんのお話を聞いたあと、いろいろな思考と連想が止まらないでいる。 ② ちょっと何から書いたらいいか分からないぐらい、あれこれ思うことが

          古田徹也『謝罪論』未読感想序説

          斎藤真理子著『本の栞にぶら下がる』感想メモ

           以下は、斎藤真理子さんの『本の栞にぶら下がる』(岩波書店)の感想メモである。書評を書きかけたが、きちんとまとめるのには時間がかかりそうなので、思いつくままメモ書きにした。丸数字を入れたのは、もともとはtwitterにアップしようとしたからで、noteにあげるにあたっては丸数字を削除したほうがいいのかもしれないのだが、noteに上げるつもりだったら別の文章にもなったかもしれないので、敢えて丸数字を残している。   ① 読了。これは「読書エッセイ」である。書評集ではない。本をき

          斎藤真理子著『本の栞にぶら下がる』感想メモ

          一英語編集者の戦中と戦後

          書いた人=津田正(北烏山編集室) [以下の文章は、2002年に中京大学の『八事』という評論誌の求めに応じて寄稿した文章である。特集テーマは「生存」で、それに関するエッセイなら何を書いても良いということだった]  筆者の勤務する研究社という出版社は九十五年の長い歴史を持つ。あの太平洋戦争の時代を生き延びた会社である。当時、紙は配給制になり、印刷に使う紙にも事欠くようになった。英語は敵国語である。その時代の出版目録を見ると、細々とながら英語のテキストなども出しているが、ナチス

          一英語編集者の戦中と戦後

          タカヤマ神がかり――令和交雑文体の修辞学

           高山宏先生の代表的な訳業として上げるべきは、バーバラ・スタフォード、ロザリー・コリー、マージョリー・ニコルソンなどの観念史の学者さんの著作の翻訳だろう。しかし、筆者が愛してやまないのはタイモン・スクリーチの翻訳だ。たぶん高山先生の翻訳はスクリーチさんの原文より面白い。そのことは題名を見るだけで一目瞭然である。たとえば、『春画』についている副題だ。「片手で読む江戸の絵」という。なぜ春画は片手で読むことになるのか、ちょっと考えてくすっと笑ってしまうが、長く考える必要はないぐらい

          タカヤマ神がかり――令和交雑文体の修辞学

          若林俊輔先生没後20年

          雑誌の人 「雑誌の人」であった若林俊輔先生について語りたい。               1  若林先生が62歳で東京外国語大学を退官されたとき、教え子の皆さんが、『私家版英語教育ジャーナル』というものを作ったことがあった。この名前はむろん、1980年に創刊され、若林先生が編集主幹を務めた『英語教育ジャーナル』(三省堂)の名前から取ったものだ。  ちなみに若林先生が還暦を迎えたとき、還暦記念の論文集というものも作られていた。その2年後にまた論文集を作るというのではいかにも

          若林俊輔先生没後20年

          北尾修一『いつもよりも具体的な本づくりの話を。』のこと

                          1  北尾修一さんの『いつもよりも具体的な本づくりの話を。』読了。著者の北尾さんは一人出版社「百万年書房」の代表だが、この本じたいはイースト・プレスの刊行。私、今年、イースト・プレスにものすごく課金している(韻踏み夫さん、斎藤真理子さん、奈倉有里さんの本)。  これ、いい本でした。編集者を40年近くやってきて、退職した今も、細々と編集の仕事を続けている。その間、半分はアドバイスを求めて、半分は憧れの有名編集者への個人的な興味から、編集者の書い

          北尾修一『いつもよりも具体的な本づくりの話を。』のこと

          外山先生の『英語青年』

           外山先生の代表作は『英語青年』であると信じている。編集という行為は、おそらく外山先生の著作の発想の中心にあったと思うので、外山先生にとっても『英語青年』の編集に携わったことは大きな意味をもっていたのではないかと思う。  外山先生が『英語青年』を担当されたのは一九五一年から一九六三年の十二年、年齢でいうと二十代後半から四十ぐらいまで。筆者の経験で言っても、この年代が気力、体力、ともに充実する時期だ。が、それにしても外山先生の編集ぶりは、あまりに颯爽としていて、嫉妬すら起こら

          外山先生の『英語青年』