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サミュエル・ピープスの日記を読む

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革命と動乱のイングランド17世紀。この時代を生きたサミュエル・ピープスが10年にわたって残した「日記」は、日記文学として価値を持つ一方、「天下の奇書」としても読まれてきた。本連載…
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記事一覧

サミュエル・ピープスの日記(6)

サミュエル・ピープスの日記(6)

翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授)

【チャールズ2世の戴冠式も済み、いろいろと取り沙汰されていた王の結婚相手も決まりました。ご主人さまは王妃を迎えに出帆、ピープスはその信を得て、留守を預かります。それでも好奇心旺盛な彼のこと、仕事の合間にはたびたび芝居見物に出かけ、居酒屋での談論も欠かしません。しかし、周囲を見回すと人心必ずしも定まらず、熱病も流行し、公的にも私的にもさまざまな心配を抱えて

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サミュエル・ピープスの日記(5)

サミュエル・ピープスの日記(5)

翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授)

【日記を書き始めて一年が経過し、ピープスは次第に王政復古後の政治の中枢にかかわるようになっていきます。混乱がまだまだ収まらぬ中、チャールズ2世は戴冠式の日を迎えますが、相変らず好奇心旺盛にして観察好き、芝居と音楽と酒をこよなく愛するわれらがピープスは、自由闊達に当時の社会を活写しています。それにしても、式典の最中、自然の欲求にしたがってこれを抜け出してし

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ピープスの日記 登場人物索引

ピープスの日記 登場人物索引

以下に、本連載で登場した人物の索引を作成した。人物解説の末尾にある1660/4/3という数字は、1660年4月3日の日記に、その人物が登場することを示す。(2024年11月29日更新)

<あ行>アイシャム艦長 ヘンリー・アイシャム。ご主人さま(エドワード・モンタギュ)の継母アンの兄。王政復古当時、海軍に務めていた。生涯の大半をポルトガルやカナリア諸島で過ごした。1660/4/3, 1661/8/

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サミュエル・ピープスの日記(4)

サミュエル・ピープスの日記(4)

翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授)

【国王一行やご主人さまとともに意気揚々とロンドンへ戻ったピープス。妻エリザベスも安堵したことであろう。これで王政復古(the Restoration)が実現したわけだが、事はそれほど容易には片付かない。下っ端役人の彼の前には、公私にわたってこまごまとした仕事が山積みである(なお、今月から登場人物索引を用意したので、適宜参照されたい)。】

トップの画像:

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サミュエル・ピープスの日記(3)

サミュエル・ピープスの日記(3)

翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授)

【王政復古の年である1660年のつづき。ピューリタン革命で処刑されたチャールズ1世の息子であるチャールズ2世は現在オランダに亡命中である。国王を迎えにオランダにやってきたイングランドの使節は、今、ハーグに滞在中。ピープスも用務に忙しいのだが、好奇心旺盛な彼は、時間を見つけてはあちこちに出かけていく。いったいいつ王が乗艦するのか、下っ端役人の彼には分からな

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サミュエル・ピープスの日記(2)

サミュエル・ピープスの日記(2)

翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授)

トップの画像:ピープスの「ご主人さま」であるエドワード・モンタギュ

【1660年のつづき。すでにピープスは、オランダへ国王を迎えに行く船の中。ただし、まだロンドンにいる。】

4月3日 夜遅く、就寝。朝3時頃、私の船室を激しくノックする者がいた。だいぶ苦労して私の目をさまし(とは仲間の話)、私は起き上がる。なんのことはない、郵便が来ただけのこと。だから

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サミュエル・ピープスの日記(1)

サミュエル・ピープスの日記(1)

翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授)

トップ画像:ピープスの日記の冒頭部分の原稿

1660年
 神に祝福あれ。昨年末、私はたいへん健康に恵まれた。例の痛み*も、冷えた時以外はない。

 私はアックス・ヤードに、妻とお手伝いのジェイン*とともに住んでいる。他に家族はいないから、三人暮らし。

 ここ七週間、妻に生理がなかったので子どもができたかと期待したが、大晦日になって始まった。国の状況は

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サミュエル・ピープスの日記を読む(0)

サミュエル・ピープスの日記を読む(0)

解説:原田範行(慶應義塾大学教授)

トップ画像:ピープス図書館。ケンブリッジ大学モードリン・カレッジにある。3000冊のピープスの蔵書と日記が収蔵されている。Photograph © Andrew Dunn, 10 October 2004. 

連載開始にあたって

 革命と動乱のイングランド17世紀。この時代に、生涯の大半をロンドンで過ごし、国会議員にして海軍大臣、王立協会総裁を務めたのが、

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