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サミュエル・ピープスの日記(1)

翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授)


1660年


 神に祝福あれ。昨年末、私はたいへん健康に恵まれた。例の痛み*も、冷えた時以外はない。

<訳注> (日記本文に*を記したところについての訳注。以下、同)。
例の痛み 膀胱結石の摘出手術のこと。

 私はアックス・ヤードに、妻とお手伝いのジェインとともに住んでいる。他に家族はいないから、三人暮らし。

 ここ七週間、妻に生理がなかったので子どもができたかと期待したが、大晦日になって始まった。国の状況は次の通り。ランバート卿*の騒動の後、臀部議会*が招集され、議員が議席に戻った。陸軍将校たちも承知せざるをえず。ローソン* はまだテムズ川にあり、マンク* は兵とともにスコットランドにいる。ランバート卿のみ、議会には出ず。無理やり連行しない限りは出ないだろう。

<訳注> 
ランバート卿 軍人政治家で1659年に政権樹立をはかったが失敗。
臀部議会 共和制の時期に国会の解散・招集が相次ぎ、議員がわずかしか残っていなかったため、牛の尻肉(ランプ)に準えてこのように言われた。
ローソン ジョン・ローソンは海軍の司令官。
マンク ジョージ・マンク(1608–70)のこと。当時、スコットランド駐留軍の総司令官。

 ロンドン市会の意見は明確で、マンクに使者を送り、自由で完全なる議会を望むことを伝えた。これは目下、万人の願いであり希望であり期待するところだ。議会を追放された22人が、先週、議事堂への入場を求めたが拒絶された。彼らも、また市民も、議席がいっぱいになるまでは納得しないだろう。

 私自身の暮らしはまずまず。裕福と思われているが、家財と私の勤め口を除き、実際には貧乏である。この勤め口だってあまりはっきりしない。勤め先の上司はダウニング氏*。

<訳注>
ダウニング氏
 ピープスが勤務する財務省のジョージ・ダウニングのこと。

1月1日(日曜日)

 今朝(私たちは最近屋根裏に寝ている)起きて、裾の広い服を着る。最近はこの服ばかり。

 エクセター・ハウスにあるガニング氏の教会へ行く。彼はなかなかいい説教をした。定めの時に神は御子を遣わし、これを女から生まれた者とし云々、そして「律法のもとに」(「ガラテアの信徒への手紙」4節)という聖書の表現は、1月1日に割礼が行われたことを意味している、と語った。

 帰宅して屋根裏で昼食。妻は七面鳥の残りを料理していて手にやけどをした。

 午後はずっと家にいて金勘定。

 それから妻とともに父の家へ行く。途中、ロンドン市が、フリート・ストリートの水路に立てた大きな柱*を見た。

<訳注>
フリート・ストリートの水路に立てた大きな柱
 ロンドン市が自衛のために建てたもので、議会が取り壊そうとしていた。

 父の家で夕食を取る。セオフィリア・ターナー*とモリス夫人*もやって来て一緒に食事。その後、一同帰宅。妻と私もわれわれの家へ。

<訳注>
セオフィリア・ターナー ピープスの親類のジェイン・ターナーの娘で当時8歳。
モリス夫人 船主ジョン・モリスの妻。

1月13日

 朝、役所へ向かう途中フェイジさん *に会い、彼を「スワン」*へ連れて行く。ヘイズルリッグ *とモーリー* が、昨晩ロンドン市長公邸で、ロンドン市に対して強い調子で文句を言ったそうだ。自由議会を支持するなどとは、ロンドン市憲章に反するではないか*、というわけだ。二人が以前ロンドン市にたいへんお世話になったことなどを説いて、ロンドン市の収入役がその場を収めたという。またフェイジさんによれば、ロンドン市の正式使者が持ち帰ったマンクの手紙はなかなか抜け目のないもので、市の方でもあまり信用していないそうだ。ともあれロンドン市は、除名された議員が元に戻るか、自由議会になるかしない限りは、これ以上議会を頼むこともしなければ、金も払わない、と決めているとのこと。

<訳注>
フェイジさん ロンドン市会議員で薬剤師。
スワン
 The Swanというロンドンのパブ。
ヘイズルリッグ サー・アーサー・ヘイズルリッグは臀部議会の主導者。
モーリー ハーバート・モーリーは陸軍大佐でロンドン塔長官、議会のロンドン市対策を担当。
ロンドン市憲章に反するではないか ロンドン市の自治権放棄である、という意味。

 それから役所へ。何もすることがない。だから、ピンクニーさん* と「ウィルズ」* へ行く。ピクニーさんは、彼の属する教会書記組合ホールでの来週月曜日の食事に、私を招待してくれた。その後帰宅し、妻を連れてウェイドさん* 宅で昼食。それからケイト* のところへ。そこから再び帰宅。妻は私がまた外出するのを嫌がったが、もし行くなら、やむをえない、ついていくと言う。私がホワイトホールへ向かうと、彼女がついて来るのが見えた。私は立ち止まって、彼女といっしょにホワイトホールをひと回り、怒って彼女を家に連れて帰った。私はそれからジェム嬢さま *をお見舞いに行く。彼女は起きて元気にしていた。病気は天然痘ではなく、たんなる水疱瘡だった。彼女と一、二度、トランプ遊びをしてからヴァインズさん * を訪ね、彼と私、それからハドソンさん*とで、楽器を演奏。ディック*の妻と妹も来ていた。その後帰宅してみると、妻はハントさん*の家へ出かけていて、私よりも少し遅れて帰宅。それで就寝。

<訳注>
ピンクニーさん
 教会書記。
ウィルズ 王政復古後にできた同名のコーヒーハウスが有名だが、ピープスがそこを初めて訪れたのは、日記によれば1664年2月3日のことであるから、ここに出てくるウィルズは別の店。
ウェイドさん ピープスの隣人。
ケイト ケイト・スターピン。ピープス隣人エリザベス・パイのお手伝いさん。
ジェム嬢さま エドワード・モンタギュの長女で当時14歳、彼女の世話をすることもピープスの任務の一つ。
ヴァインズさん ピープスの財務省での同僚。
ハドソンさん 詳細不明(ハドソンを姓とする男性は、日記に4名登場する)。
ディック ピープスの親戚のリチャード・ピープス(同姓同名の従兄弟とは別)と思われる。
ハントさん ジョージ・ハント。楽器製作者。

1月18日

 役所へ行って、それから「ウィルズ」へ。そこへシプリーさん*が配達人からの書簡を持ってきたので帰宅。その後、「ウィルキンソンズ」へ行き、トールボット*、アダムズ*、ピンクニーとその息子*らの諸氏のための昼食会。だがピンクニー氏の息子は来なかった。われわれはたいへん陽気にやった。フラーさん*も来て、少しの間、一緒にいた。その後みなでご主人さま*のところへ。ハリソンさんもあとから来た。バトラー*が通り過ぎるのをたまたま見つけ、彼も呼び寄せて、みなで夜まで、ワインボトル一本を飲む。アン* がご主人さまの書斎の鍵を持って何かを取りに来たので、われわれの方はお開きに。帰宅してご主人さまの手紙を暗号表によって解読した後、再びアンのところへ。彼女を家まで送った後、クルー氏*の家へ行く。ご主人さまの住まいをどうするか、アントニー・クーパー卿* にはどう返事するかなどについて相談した後、家へ帰って就寝。

 マンクが今後どう出るかについて、人々はみな思案に暮れている。自分たちに味方するとロンドン市側は言っているが、議会は議会で自分たちの方だと言っている。

<訳注>
シプリーさん エドワード・モンタギュの執事。
トールボット ファーストネーム不明。ピープスの隣人。
アダムズ ヘンリー・アダムズ。ピープスの隣人。
ピンクニーとその息子 ジョージ・ピンクニーは国王の刺繍師で息子はチャールズ・ピンクニー。
フラーさん 牧師でピープスの友人。
ご主人さま  エドワード・モンタギュのこと。
バトラー 友人。
アン  モンタギュの娘ジェマイマに仕えていた女性。
クルー氏 エドワード・モンタギュの裕福な義父。
アントニー・クーパー卿  初代シャフツベリー伯爵で、王政復古後の財部大臣。

2月6日

 役所へ出る前に、クルー氏のところへ行き、先週コールスロップ*から受け取った例の60ポンドをアンドリューさん*に支払う。それからウェストミンスターに戻る途中、スクイッブさん*に追いついたのでいっしょに行く。兵士たちがずらりとパレス・ヤードに並んで、マンク将軍が議事堂へ向かう道を作っていた。ウェストミンスター・ホールに着いてスクイッブさんと別れる。スワン*に会ったので、二人で「スワン」へゆき、朝の一杯をやる。再びホールへ戻り、石段の上に立って、マンクが通るのを見物した。彼は通りすがりに判事たちにお辞儀をした。昼、父は私といっしょに私の七面鳥で食事をする。デンマーク産だ。昼食後、父と私は居酒屋「ブル・ヘッド」へ行き、半パイントのワインを飲んで別れた。私はアンのところへ。ジェム嬢さまは部屋を抜け出していた。それで私は彼女と喧嘩した。寝ているところで彼女にがみがみと小言を言ったのである。だが、彼女もやがて冷静になり、われわれはまずまず仲良しになって別れた。それから「ウィルズ」へ行き、10時までトランプ。半クラウン負けて帰宅し就寝。

<訳注>
コールスロップ 食料品商。
アンドリューさん クルー氏の執事。
スクイッブさん アーサー・スクイッブ。共和制支持の弁護士。ピープスの上司であるジョージ・ダウンングと財務省での役職をめぐって争っていた。
スワン ウィリアム・スワン。詳細不明。

2月20日

 朝、リュートを吹く。それから役所へ行き、相棒と収支計算をする。彼を連れて家に昼食を取りに帰る。弟のジョン* も食事に来る。食後、私は彼を、家の書斎とご主人さまのところにある私の書斎の両方へ連れて行き、ケンブリッジ入学に備えて、何冊かの本やそのほかのものを与えた。彼が帰った後、ウェストミンスター・ホールへ出かけ、チェトウィンド*、サイモンズ*、グレゴリー*に会う。彼らといっしょにホワイトホールの「マーシュズ」へ飲みに行く。しばらくそこにとどまって、私はある小冊子を読んだ。よく書けており、マンク将軍に宛てて、内戦前にはわが国に定着していた王政をを賞賛したものである。

<訳注>
弟のジョン ピープスの9歳年下の弟で、ケンブリッジ大学入学を控えていた。後に海軍大臣となる。
チェトウィンド 大法官事務局の書記でピープスの友人。
サイモンズ 二代準男爵トマス・ハットンの従僕。
グレゴリー ピープスの財務省での同僚のジョン・グレゴリーのことか?

 彼らの話では、レントール議長*が、除名議員に代わる新議員選出のための令状に署名するのを拒んだという。そのため令状は、今日は出ないそうだ。夕方、サイモンズと私はコーヒー・クラブへ行ったが、何もすることはなかった* 。ただ、ハリントン氏*とドーセット卿*ともう一人の貴族が、また別の場所、例えばコックピット* などで共和制支持者の集まりを開くという話を耳にした。彼らにしてみれば、まんざらでもない様子である。学問的話題かそうではない話題がよいか、などといった議論を少しただけで、あえなく散会。メンバーが集まることはもはやないだろうと私は思う。その後、ヴァインズたちと「ウィルズ」へ。一、二杯飲んで帰宅、就寝。

<訳注>
レントール議長 ウィリアム・レントール。チャールズ1世の処刑をはさんで約20年間にわたり、下院議長を務めた。チャールズ1世に対して議会の独立を強く主張した。
サイモンズと私はコーヒー・クラブへ行ったが、何もすることはなかった ロータ・クラブという名の集まりで、共和制支持者ジェイムズ・ハリントンが「マイルズ・コーヒーハウス」で開いていたもの。だがこのとき、共和制がまもなく崩壊することを察知して、さしたる議論はなかったようだ。
ハリントン氏 ジェイムズ・ハリントン。『オセアナの共和制』(1656)の著者として知られる共和制支持の学者。
ドーセット卿 5代ドーセット伯爵リチャード・サックヴィル。政治家にして詩人。
コックピット ホワイトホールの一角。

2月23日

 木曜日。私の誕生日。27歳となる。

 よく晴れた朝。起きてからしばらくは書斎で書きものをし、それから出かける。役所へ行き、ホーリーさん に明日町を出るつもりであることを伝える* 。フラーさんが訪ねてくる。トマス伯父さん*も。二人を飲みに連れて行き、伯父をまく。そうしてフラーさんを連れて家に帰り、いっしょに食事をした。彼は妻と私に、カトリック諸国を旅して回らなければならなかったことなど、このところの混乱でひどい目にあっているという話をいろいろとした。彼は私に請求書を見せたけれども、手元には支払う金がなかった* 。別れたあと、私はホワイトホールへ行き、明日ガースウェイトさん*から借りる馬を見に行く。それから帰宅してみると、ピアースさん*が明日いつどこで落ち合うか、時間と場所を決めにやって来ている。その後ウェストミンスター・ホールへ。議会散会後、クルー氏に会った。ご主人さまは73票で国家評議会の一人に選ばれたという。ピアポント氏*が101票で第一位、次いでクルー氏自身が2位の100票だった。氏は私を馬車で家まで連れて帰ってくれた。アンズリー氏 *も同乗。私は再びウェストミンスター・ホールへ戻り、ミッチェル夫人の店*で、彼女とわが洋服屋さんのマムフォード夫人*を相手に長い立ち話。プリン氏*は評議会メンバーには入らないだろうという賭けでエール一、二杯を飲んだ。帰宅し、ご主人さまに郵便で評議会に選ばれたことを知らせる。そして就寝。

<訳注>
ホーリーさんに明日町を出るつもりであることを伝える 「ホーリーさん」は、ピープスと同様、ジョージ・ダウニングの下で働く財務省の書記官。
トマス伯父さん 「トマス・ピープス」という名は、サミュエル・ピープスの祖父、弟、従兄などにも見られるが、ここではシティの中のセント・アルフィージに住む伯父のこと。
手元には支払う金がなかった  ピープスの友人フラーは当時、トウィッケナムの学校の校長をしていた。ピューリタン革命の際にはオクスフォード大学クライスト・チャーチ・コレッジを追われている。彼が示した請求書とは、エドワード・モンタギュの息子エドワードの学費のこと。
ガースウェイトさん スコットランドヤードにあった厩舎の所有者。
ピアースさん ジャイムズ・ピアース。ピープスの親友。外科医。妻はエリザベス。
ピアポント氏 ウィリアム・ピアポント。初代ドーチェスター侯爵ヘンリー・ピアポントの弟。
アンズリー氏 アーサー・アンズリーは後の初代アングルジー伯爵。彼もその日、国家評議会メンバーに選出されている。
ミッチェル夫人の店 アン・ミッチェルはマイルズ・ミッチェルの妻。ウェストミンスターで書店を営んでいた。
マムフォード夫人 詳細不明。教区名簿にこの名前の人物は数名見られるが、ウェストミンスターの商店主名簿にはない。仮名が使われているのか、もしくは税金未納であったか。
プリン氏  除名された議員たちのリーダーで国家評議会立ち上げにかかわったが、彼自身は選出されなかった。

3月5日

 早朝、ヒルさん*が私のテオルボ*の絃を張りに来た。10時すぎまで大いに楽しむ。それからウェストミンスターへ行き、「ウィルズ」でシプリー氏とピンクニー氏に会う。彼らは私を、水路で、ビリングズゲイトの居酒屋「サリューテーション」へ連れて行った。まもなくそこへトールボット、アダムズ両氏が大きな上等の肉とベーコンその他を持ってやって来た。ここに腰を落ちつけて飲むうち、アダムズ氏がつぶれ始める。そこでわれわれは別れ、また水路でウェストミンスターへ戻った。途中、ピンクニー氏の自宅を訪問。彼は、暖炉の背後に、国王の復位を期していつも王室の紋章であるライオンとユニコーンをピカピカのまま隠していたと話してくれた。帰宅するとハントさんが来ていて、議会は、盟約*を新たに印刷して教会にまた掲げることを可決したと言っていた。

<訳注>
ヒルさん ジョージ・ヒル。楽器製作者。
テオルボ   大型のリュート。
盟約 1643年、立憲王政を支持して定められたもの。これがピューリタン革命の本来の目的であった。

国王復位の見込み大。

就寝。

3月6日

 告解の火曜日。

 シプリー氏を訪ね、二人でクルー氏宅のご主人さまの宿所へ行く。ご主人さまはわれわれに対して、もう一度戻り、一時間後までには部屋を暖めておくようおっしゃった。——そこでわれわれはホワイトホールに戻ってそうした。そこへご主人さまがいらっしゃり、シプリー氏と私に、これから航海に出ようとしていることについてお話になった。それから彼は、私一人をお呼びになり、庭へいっしょに来るようにおっしゃった。ご主人さまはそこで、私の身の上のことをお尋ねになり、私の伯父に対して私のために力になってやるよう言ってみたが、伯父からは何の言葉もなかったとおっしゃった。ご主人さまはまた、今この時期、なにかいい地位がないか、よく見張っているように、とおっしゃり、ご自身でもできるだけのことをし、またイギリスにいる友人たちの力を借りてでも、私のためになることをしたい、と言われた。それから、あまり不都合でなければ、彼の秘書として航海に出られないか、と私にお尋ねになり、考えておくように、と言われたのである。それからまた国政の話をお始めになり、航海中、秘書として信用できる人間が一人必要なのだとおっしゃった。だからどうしても君に行ってほしいのだ、という。

 ご主人さまはまた、国王が復位すると思うと語り、そのことについて、また、人々やロンドン市の気持ちについて私にお話になった——私の方ではこれを聞いてすっかり嬉しくなった。庭を通ってウェストミンスター・ホールまでお供をし、そこでお別れをしてご主人さまが行ってしまわれると、私は役所へ行った。すると、ホーリーさんが一人の男を連れて来ている。船乗りで、もし船のパーサーの地位を得てくれたら、 ホーリーさんに10ポンドの礼をすることを約束していた。私もこの件は努力してみようと思う。そこへトマス伯父が来たので、「ウィルズ」へ連れて行き、いっしょに飲む。かわいそうなことに、彼はウィンザー騎士団 *に入りたいと願っていて、そのことを問い合わせに来たのである。飲んでいる間に、ウェストミンスターの大工であるデイさん*がやって来て、今日は告解火曜日だから、私は彼といっしょに彼がメンバーになっている年一回のクラブに出なければならないと言った。実を言うと私はこれをすっかり忘れていたのである。そこで「ベル」へ向かった。エグリンさんやヴィージーさん、肉屋のヴィンセントさん、それにもう一人、といった面々がいた。昼食の後、そこにいたタナーさんといっしょに、私はヴィオルを、タナーさんはヴァイオリンを弾き*、大いに楽しんだ。食事も特別上等なもので——子牛の脚肉とベーコン、去勢した雄鶏二羽、ソーセージとフリッター、それにワインもたっぷりあった。そのあと家に帰ると、最近すっかりご無沙汰だったケイト・スターピンが来ていた。彼女が帰った後、ジェム嬢さまに会いに行った。お部屋のドアのところに二人の貴婦人がいるが、お嬢さまがいない。みなで探すと彼女ともう一人がドアの後ろに隠れていた。それからみなで食堂へ下りて行く。見るとそこでは、房飾りだの布きれだのボブデイルなどが踊ったり、歌ったり、飲んだりで、私はまったく恥ずかしくなってしまい、ダンス一、二回の間だけそこにいて、私は帰った。家へ帰る途中、ご主人さまの宿所へシプリー氏を訪ねたが、彼はある白目細工師と「ライオン」へ出かけていた。シプリー氏は今日この男から白目細工を購入したのである。みなでいっしょに飲み、それから帰宅。ご主人さまに命じられていた手紙を書く。J・グッズ *にすぐ上京するように、というものだ——ご主人さまは、ネイズビー号の準備*できるまでの間、すぐにもスウィフトシュア号*に乗船されるおつもりだからだ。

<訳注>
ウィンザー騎士団 貧窮した退役軍人の施設。
デイさん 詳細不明。
エグリンさんやヴィージーさん~ヴァイオリンを弾き 「エグリンさん」は、ピープスのケンブリッジ大学時代からの友人サミュエル・エドリン(エグリンではなく)のことではないかと思われる。ヴィージーさんについては詳細不明。「ヴィンセントさん」はウェストミンスターの肉屋であったエドワード・ヴィンセントのことであろう。「タナーさん」については詳細不明。
J・グッズ  エドワード・モンタギュの本邸での従僕。
ネイズビー号 1655年に建造された、当時のイギリス海軍の最新鋭艦。80砲を擁した。
スウィフトシュア号 1621年に建造され、1654年に改装されたイギリス海軍の軍艦。

 上院でも議事を始めようとしている、ということを今日耳にした。多くの貴族がロンドンにいて、私も今日ホールで彼らの姿を見た。

オーヴァトン* がハルで反抗しているが、影響はあるまい。ローソンが数隻の船を率いてそちらへ向かったといわれているが、何の効果もないだろう。

<訳注>
オーヴァトン ロバート・オーヴァトンは陸軍少将で、ヨーク近郊のハルで共和制再興ねらって蜂起したが、すぐに投降した。共和制支持者ジョン・ローソンも同じ。

 ご主人さまのお話では、護国卿の復位のためにたいへんな努力がなされているが、たとえ復位しても、長くは続かないだろうとのこと。よほど慎重に良い形で運ばなければ、国王だってそうだ、とのお考えだ(とはいえ、ご主人さまは国王が復位すると考えておられるようだが)。今は誰もが、躊躇することなく国王のために乾杯している。以前は、よほど内密にでないと、そんなことを敢えてすることはとてもできなかったのに。マンクは今日、織物業組合のホールで饗応された。ロンドンにある12のホールのすべてにおいて、次から次へと招かれているのだ。

 多くの人々は、彼が正直者だとまだ思っている。なかには、出世のことばかり考える愚か者と思っている者もいるが、そんな出世のことばかりでは自分で自分の身を滅ぼすだろうと考えている。

 忘れてはならないことは、今日のご主人さまのたいへん親切なお言葉に、わが心は非常に安らぎ、喜んでいるということ。そのことを話しながら、妻と私はベッドの中で、一、二時間も寝ずにいた。


3月26日

 神のお恵みにより、ソールズベリー・コートのターナー夫人の家*で、結石を無事取りだした時から、今日でちょうど二年になる。生きている限り、この日を記念日とし、昨年私の家でしたように、ずっと、ターナー夫人とその友人たちを客に招くと決心した。しかし、これもまた神の思し召しにより、私は今このようなところにいるため*、この祝いを賑やかに行うことはできない。ただ、心の中でこれを寿ぎ、神を祝福することはできるし、今このとき、まさにそうしている。神のご加護により、私はこれまでにも増して健康である。

<訳注>
ターナー夫人の家 ジョン・ターナーと結婚したジェイン・ピープスはサミュエル・ピープスの遠縁(曽祖父の従兄の曾孫)にあたる。ピープスの家の近く、フリート・ストリートに交わるソールズベリー・コートに住み、この家をピープスの手術のために提供した。
私は今このようなところにいるため ピープスは、3月23日、「ご主人さま」であるエドワード・モンタギュほか関係者とともに前述のスウィフトシュア号に乗船し、基本的にその船中で起居していた。もっとも、皇太子(後のチャールズ2世)を迎えるべくオランダに出帆するまでにはさまざまな準備が必要で、彼も陸上と船を忙しく往復する日々であった。

 今朝私は早起きして、全艦隊の構成と艦船の一覧をまとめ、あわせて人員と砲の数を記した書類作成に取り掛かった。それから一時間ほど後、幹部の指揮官と船員による会議を開き、これらについての配分を決めた。その後、昼食。多くの指揮官が艦上にいた。午後いっぱいかかって多くの命令書を作成。すっかり疲れてしまった。

 夜、シプリー氏とW・ハウ*がやって来て、ワイン数本と食物を私の船室に届けてくれたので、われわれはそこで楽しくやり、結石手術の日の記念にした。その後、カタンス艦長*が来て、夜11時頃まで、座ってワイン一本を飲んでいった。これは、艦内で最も偉い士官にも普通は示さない彼の好意である。その後、就寝。

<訳注>
W・ハウ ウィリアム・ハウ。ピープスと同様、エドワード・モンタギュに仕える事務官。彼もヴィオルやヴァイオリンの演奏を好んだ。
カタンス艦長 エドワード・モンタギュの旗艦の艦長。

<次回は?>
 これからいよいよピープスの乗り込んだ船が、モンタギュらとともにオランダへ向かい、チャールズ2世を迎えることになりますが、それは来月のお楽しみ。