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DAY2:君は無駄話を愛せるか?

カウンター席のみ。10名入ればもうパンパンになってしまうこの小さなスナックは、私が知る限りではいつもそれなりに賑わいを見せていました。


「あなたラッキーね。こうゆう日ばかりじゃないのよ。お客さんゼロな金曜日の夜もあるしね」

チーママにはそう言われていたけれど、にわかに信じがたいほどでした。




ところが、その日は急に訪れました。

営業時間内に来た客は、なんと2人だけ。

油断すれば店からシーンという音が聞こえてきてしまいそうなほど、とにかく静かな夜が幕を開けました。



だけれども、へこたれてはいけない。こちらだってプロである。

店を静かにさせるまい、盛り上げなくてはならない。

こうゆう日は、カウンターのこちら側の力量がかなり試されるものです。


この日、私と一緒にカウンターに立っていたのは、この店で看板娘的な存在のアイちゃん。博多出身の22歳で、歯に衣着せぬ物言いと大きいな瞳が魅力的な女の子。

たぶんこの店に訪れる客で彼女のことが嫌いな人は誰もいないでしょう。もちろん訪れる人だけでなく、同じ店の女の子に対しても気さくに接してくれる、とても愛らしい子なのです。


アイちゃんはこの日も頑張っていた。

(頑張っているように見せないのだけど)

お客さんの下ネタも軽やかにかわし、おしぼりを渡し、ママの嫌味もさらりと笑顔で返していく。




私はというと、苦戦していた......。





私が接客していたのは、Rさんという建設業のおじさま。手酌派らしく、自分のペースで焼酎のお湯わりをちびちびと飲み進めています。


「僕が30代だったときかな? 東急東横線の日吉駅に大きなスーパーあるでしょう。あれをつくってたんだよ。隣駅にさ社員が寝泊まりできる宿もあったから、仕事が終わるともうそっから毎日大宴会なわけ。仲間とパチンコ行って朝まで飲んで、それでまた翌日も建設現場に行くの」

『うんうん。それでそれで?』

「22歳のときにはもう痛風になっててね。痛いのなんのって。それでもさ、酒だけはやっぱりやめらんないのよ。麻雀もタバコもやめたからさ、酒だけは続けさせてよ〜って神に祈るような気持ちでさ、毎日こうやって飲んでるわけ。家に帰ってもつまんないしね」

『そうかそうか』



相槌を打ちながら聞くのが精一杯な私は、己の無力さを思い知るのでした。


私は、昼間フルリモートワークでPCと向き合って仕事をしています。

Googleカレンダーには分刻みで会議のスケジュールが入っていて、「今日のアジェンダは」「ではそろそろクロージングで」といった具合に、限られた時間のなかで最大限の結果が出せるよう気にかけながら働いています。

そういった社会人としての癖は、スナックという場所においてはディスアドバンテージとして作用していたのでした。


先の建設業・Rさんの話は、全然オチがないし基本的には全て無駄話。おそらく会社の会議で同じ話をしたら「で、本題は?」と誰かしらに注意されること必至でしょう。


だけれどもそんな無駄話というのは、完全ノンフィクションのいわば血が通ったユーモアで、ともすればそういうものが積み重なって文化人類学なんかをつくっているのかもしれない。


そんな愛すべき無駄話を安心して話せる気配というものがスナックには漂っていて、それこそがスナックが果たしている大切な役割のひとつなのだろうと思います。


それってもしかしてすごいことじゃないか。

表現の自由が保障され、心の健康にも効く。

セラピーと言ってもいいのかもしれない。



博多出身のアイちゃんは、言葉を選ばすに言えばおそらく頭はそこまで良くないのでしょう。でもなんだかいつも楽しそうに大きな声で笑ってくれて、それだけで「あ、ここでは安心してなんでも話していいんだ」と思わせる天性の才能の持ち主なのです。


私がそれを習得できるのはいつの日になるのか?

常連さんの話に相槌を繰り返しながら、思いを巡らせていたのでした。

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