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自分らしさ度が高い人生の土台

自分らしく生きようってよくいうけど、それってただの甘えで、堕落の道に進むだけちゃうかなぁ」


大学を卒業してから社会人になり、そんなことを思って過ごしていた。
「自分らしく生きること」に疑念を感じていた。


それは自分の課題を克服することに楽しさを感じていたから。
課題を克服する過程で、苦しいことがたくさんあっても、克服できると達成感を得られる。社会人になってからは、苦手な業務を卒なくこなせるようになったときは自分の成長を感じてうれしかった。
だから、とにかくできることを増やし深めることで、自分の人生が豊かになると思っていた。


さらに、「自分らしく生きること」に疑念を感じていたのは、過去に自分らしく行動した結果、後悔していることもあるからだった。
ぼくの場合だと、「もっと速く走りたい」と思って、陸上競技を大学まで続けた。ただ、大学の陸上競技の成績は自分の目標とはかけ離れたものだった。陸上を続けるという自分らしい決断の結果のはずが、満足いかなかった。


そんなわけで、課題克服の楽しさと自分らしく生きた結果への後悔があり、「自分らしく生きる」ことに疑念があった。
その疑念があって、自分の向き不向きは考えず、なんでもとにかく頑張る姿勢で仕事をこなしてきた。
ただ、今年の5月ごろから初めての仕事が増え、そこから体重が減ったり、体調が安定しない時期が続いた。


仕事の後にひどく消耗して疲弊している自分がいて、「これはきつい」と感じた。消耗をできる限り減らしていこうと思い、自分が不快に感じる瞬間に注意を向けるようになった。


すると気づいたことがあった。それは、


「自分らしい」と勘違い
していただけで、
実は自分の感覚、気持ち、考えを無視していたり、
自分以外の周りの言葉によって自分が行動していることが、
これまでたくさんあったということ。つまり、
自分から湧き出たものを無視したり、周りから湧き出た言葉をもとに行動していることがこれまでたくさんあったということ。


例えば、体調が万全でなくても業務を続けたことがこれまでたくさんあったことに気づいた。
体調が悪いような気がするけど、
「根性でどうにかなるやろう」
「こんなぐらいでしんどいとか言ってたらあかん」
と思って、
自分の体からのサインを無視した。
「サボるのは悪」などの頭に浮かんできた言葉に疑問をもたず、
それに従って、働いた。
自分では、「自分らしく生きている」つもりだったけれど、実はそうでないことがたくさんあったことに気づいた。


そう考えると、「自分らしく生きること」に対する疑念の原因に潜んでいるものが見え始めた。


まず、課題克服の楽しさについては、過程での苦しみを抑圧していたことがたくさんあったと気づいた。
しんどいけど、眠たいけど、仕事の勉強をする。
それで勉強が続かないと「またサボってしまった」と自己嫌悪に陥る。
「自己嫌悪なんて情けない」と、さらに、その自己嫌悪を抑圧する。
自分から発信されているSOSを抑えて、課題克服によっておきる自己嫌悪を抑えていた。


自分らしく生きてきたのに後悔があるということについては、それは、自分らしさの濃度が薄い人生を送ったということを意味していると思った。そもそも人生は「自分らしい」のであって、その濃度が違うのだろうと思った。
果汁100%のオレンジジュースと果汁20%のオレンジジュースがあるように、自分らしさ度100%の人生と自分らしさ度20%の人生があるのだろうと思った。
色々な自分の決断によって、その濃度が変わっていくのだろうと思う。
自分の言葉ではなく周りの言葉がたくさん混じってくると、自分らしさ度が薄まっていく。
自分の感覚を無視することによって、自分らしさ度が薄まっていく。


そんなふうに考えたことで、この10月あたりから、
自分の頭に言葉が浮かんだときや、行動したり、
逆に行動を制限しようとしたときに
「ほんまにそうか?」
「それはほんまに自分が思っていることか?」
「なんでそう思った?」
「なんで今やっぱりやめようと思った?その裏にある言葉は?」
自分に問いかけるようになった。
例えば、自分の机に積まれている本を見て、
「今、積読してる本を見て、全然読めてないやんって思ったけど、なんでがっかりするんや?」と考えたりした。


あとは、言葉にする前の自分の感覚に注意を向けるようになった。
風呂場でシャンプーしながら、どこかに痛みを感じていないかなと思い、目をつぶって体に注意を向ける。首に重みを感じたら、「なんか首がこってるな」と確認して、入浴後にストレッチをして、姿勢を見直す。
職場で仕事をしているときの心の状態に注意を向けて、「過干渉ではなく自由が与えられた状況だと自分は落ち着いてワクワクしながら仕事を進めることができるな」と思うこともあった。


自分の頭に言葉が浮かんだときや自分が何か行動したり行動を制限しようとしたときに問いかけること。
自分の体や心の状態に注意を向け、そこから自分の言葉を通して考えて行動すること。
それが自分らしさ度の高い人生を送るための土台となるのではと最近思っている。


実際にそのことを意識するようになってから、
ぼくは自分の心を消耗することが減っていった。
体調もいい状態で維持できるようになった。
自分の特徴が活かされる環境にも気づけるようになった。
休みの日に自分の感覚に任せて行動した結果、自分に響く服を発見できたこともあれば、落ち着く喫茶店を見つけることもできた。


そういった行動の積み重ねで生まれる
「もっとこうしてみたらおもろいかな」
「こうしたら楽しくなるやろうな」
「こうしたら納得いくものができるやろうな」
といった気持ちを大切にして、それをもとに考え、行動することで、
知らぬ間に自分ができることが増えていたり、深まっていくのかなと思う。


自分から湧き出るものに集中して、それをもとに考え行動することで、自分らしさ度の高い人生を送っていく。

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