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宮崎駿『紅の豚』(1992)初見感想


2023/6/19月 深夜
宮崎駿の飛行機(戦闘機)趣味全開で、お金と女を賭けた男のロマン全開の作品だという噂は聞いていたので、視聴前、ぜんっぜん期待していなかった。じぶんがいちばん苦手、興味を持てないタイプの映画だろうと。『ナウシカ』がまさにそうだったが、好き嫌い以前に興味が無さすぎてまったく内容が頭に入ってこず、テレビ画面の砂嵐を1,2時間ただ眺めていたのと同じだったように、『紅の豚』でもそんなことになるんじゃないだろうか、と。

ところがどっこい、いざ観てみたら全然そんなことはなく、かなり楽しめた! とっても面白かった。エンドロール入りで思わず拍手しちゃった。
たしかに男のロマン全開というのは間違っていないんだけど、危惧していたような、女性表象が男に完全に都合の良い「モノ」=ダッチワイフ的なかんじでは無くて、むしろかなり自立した、こちらの思い通りにならず、生き生きと自分の人生を生き抜いている女性たちが力強く描かれていて、すごく良かった。フィオまじ最高!!!!! 駿ヒロインでいちばん好きかも。。(『カリオストロの城』のクラリスとかはむしろ超苦手だった。違いはなんだろう?)

女を「自分の都合の良い存在」として扱いたい男どもを描きつつ、そんな男どもを軽くあしらって一蹴して好き勝手に力強く楽しく生きている女たちが描かれているので、非常にフェミニズム的な映画だと思った。性癖です。


というか、まず冒頭の空賊との会戦で、子供(女の子)たちが空賊の人質になったんだけどぜんっぜん意に介さずわちゃわちゃと元気に好き放題やってるシーンからして、「お? なんだ、聞いてたのと違うぞ……これは自分好みのトーンじゃないか?」と感じた。子供が大人の思惑に縛られずに生き生きと動いているのを見ると無条件で嬉しくなって泣けてくるので。空賊さんたちもコメディチックに子供たちに優しくて振り回されてて良いキャラだった。


子供だけじゃなく、お婆さんたちも元気でとてもうれしかった。フィオの祖父の一族?の女性たち。あそこは完全に『もののけ姫』のたたら場の女性だけの村の前身だった。男が出稼ぎに行って女たちだけで力強く共同体を回していく描写に胸をうたれる。フィオがポルコ・ロッソの艇に同乗すると決まって、おばあちゃんも乘りたそうにしてるのとかほんとかわいい。人生楽しそう。おばあちゃんたちが元気いっぱいに楽しく生きているのを描いてくれる作品っていいよね。『ハウルの動く城』とか。


ジーナも最初はよくわかんなかったけど最終的には好きになれた。良かった。


「金と女を賭けて……」っていう文言、さいごの決闘の〈掛け金〉のことかぁと、あまりにそのまんま過ぎてウケた。あのままでもそもそもフィオ本人が(ポルコの意志とは無関係に)自ら賭けの「賞品」となることを受け入れたからそんなに問題はないんだけど、さらに「心配ないですよ」と安心させてくれるかのように、飛行艇バトルのはずがいつの間にか水上での単なる殴り合いになるくだりがある。なにせ、「賞品」である大金とフィオがさっきまで座っていた椅子が、ポルコとカーチスのボクシング勝負でのラウンド間に彼らが休憩するための椅子として使われているのだ。椅子に腰掛けるのがフィオからポルコ・ロッソ本人にいつのまにかすげ変わっている。最高! そしてフィオはポルコの「掛け金」ではなく「セコンド」=パートナーとして彼を鼓舞し、応援する。あまりに象徴的。


っていうか、『紅の豚』エアプ・みりしらだったから、てっきり『平成たぬき合戦ぽんぽこ』みたいな、豚たちが飛行機に乗るファンタジックな世界設定の物語だと思っていたんだけど、豚なのは主人公だけで、つまり明確なファンタジー要素は「主人公がなぜか豚になっている」という一点だけで、あとは現実の1920-30年代のイタリアを舞台にした、かなり "地に足のついた" ほぼほぼリアリズムの物語だったと知って驚いた。だから自分好みだというのもある。『ナウシカ』『ラピュタ』のようなガッツリファンタジー世界ではなくて、現実にトトロとか紅の豚のような非リアリズム要素が少しだけ入り込んできている(が、それほどみんな気にしない)世界観の物語。(いま「世界観」を誤用のほうの意味で使いました)

ポルコ・ロッソは物語で明確に描かれただけでも少なくともふたりの女性に惚れられている、いわばハーレムものの主人公ではあるんだけど、そんなこいつが「豚」だということで、自分が嫌いなハーレムもの男主人公のくさみを絶妙に脱臭しているというか、三枚目っぽくなるのが良いのかもしれない。それでいて、やっぱり基調は古き男のダンディズム・ハードボイルドで、なんだけど物語のトーンとしてはけっこうお気楽というか牧歌的というか……というホントにすごい塩梅。

むろん、シリアスに振り切らずに牧歌的な雰囲気が維持されるのは、ポルコのかつてのトラウマ的な過去で得た反省──戦闘機をこよなく愛し、戦闘機に乘り続けながらも「戦争」を徹底的に拒否する姿勢──のためでもある。だから滲み出てくるかっこよさがポルコにはあるんだけど、それでも格好がつき過ぎないところがいい。格好がつかないのが格好いい、ってやつ。


フィオが最高なんだけど、あのままポルコ・ロッソとくっついたら解釈違いだったのでそこもよかった。というか、ポルコに振られた女同士、フィオとジーナが一緒に生きていくことになる百合友情シスターフッドENDでガッツポーズした。やっぱりこの映画ってむしろフェミニズム的にかなり肯定できる要素は多いと思う。。

ラストシーン、ジーナと暮らしているフィオが「ジーナの約束が叶ったのかどうかは、私達だけの秘密」というモノローグを発して終わるのも完璧すぎるでしょ。最後にジーナの約束に再び焦点が当たりつつ、それを〈語る〉主体はフィオである、という女性ふたりの関係/バランス。すばらしい。『おおかみこども』の雪と雨(あるいは雪と花)の位置付けに似ている。


・まとめ

食わず嫌いしなくてよかった!!! 観てみるもんだね。



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