見出し画像

ショートショート 「インスタント過去」

この大学で研究を始めて15年。私は遂に革新的な薬を発明した。

飲めば過去を好きに変えられるという薬だ。

ただ、過去が変わるといっても、本当に事実が変わってしまうのでは無く、あくまで主観的に変わるだけである。

シート状の薬に理想の過去を書いて飲めば、自分の記憶の中の嫌な過去が、シートに書いた過去に置き換わる。

薬の効果は10分間。時間が経てば、本当の過去を思い出す仕組みになっているので、虚言症の様になる心配は無い。

誰にでも、思い出したくない、後悔している過去の一つや二つあるだろう。

もし、そんな思いから10分間だけでも解放されるとしたら。こんなに素晴らしい事は無い。誰もがこの薬を欲しがるはずだ。

この薬は間違いなく売れる。私はもうすでに億万長者になった気分でいた。


いてもたってもいられず、次の日から早速、薬の販売を開始した。

予想を遥かに超す勢いで、薬は瞬く間に売れ、社会現象を起こすほどになった。

まるでインスタント製品の様に手軽に、過去の記憶を変えられるこの薬は、新たな嗜好品として定着した。

今では、飲み会で飲むのは酒では無く、この薬というのが当たり前になった。薬を飲んで、5分前に考えた過去の思い出を語り合うのだ。

もはや、これ無しの世界なんて有り得ない。

想像以上に、人々は過去に苦しめられていた。

私は遂に億万長者の仲間入りを果たした。


ところでこの薬には、公表していない副作用がある。

それは、書き換えた記憶が、稀に元に戻らなくなるというものだ。

といっても、この副作用が発生する確率は非常に低い。それに、もし自分の記憶がすり替わったとして、自分でそれに気付くことができる人間なんてそういないだろう。

事実、今やこの国のほぼ全ての人がこの薬を使用しているが、まだ副作用の事はバレていない。

私は、この薬で一生遊んで暮らせる程のお金を稼いだ。

この秘密が明るみになる前に、外国に行って、身を眩ませるつもりだ。

実は、行き先はもう決めてある。今夜、飛行機に乗って、そこに行く予定だ。

そうしたら、もう二度とこの国に戻るつもりはない。




「先輩。博士の部屋にあったのは、この日記と、例の薬だけです」

「うーん。博士どこ行っちゃったんどろう。でも、こんな妙な薬を世に出す前に、自分で飲んでくれてよかったよ」






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?