見出し画像

熊の飼い方 11

光 6

 この事務所に配属され、二か月が経とうとしている。しかし、仕事が上手く行かなくなってきたため、焦りが出てきた。資料を作るのにも人よりも時間がかかる。それと共にミスも増えてきた。
「田嶋」部長に呼ばれた。
「はい」
 部長はいつもとは明らかに違う雰囲気を醸しだしていた。部長は、四十代半ばぐらいのスラッとした男性で、いつも髪の毛を額が出るように整髪料でセットしていた。いかにも仕事ができて、いかにも社内では高圧的な態度をとる。そんな人物だった。
「お前、やる気ある?」
「はい?」
「この資料誤字脱字だらけなんやけど。お前の目は節穴なんか?」
「え、確認したのですが」
「確認したんですがじゃねーわ。確認ってゆうのは誤字脱字をなくすためにするもんや。今すぐ訂正して提出しろ」眉間の皺を深くし、怒りをあらわにして部長は怒鳴った。
 自分のデスクに戻り、資料を確認した。驚くほどに、誤字脱字を発見した。なぜこんなに間違いがあるんだ?こんなミスするはずがない。自分を責めた。自分はいつからこんな風になってしまったのだろう。生まれつきか?いや、社会人になってからか?思考がぐるぐると回る。訂正の内容が頭に入ってこない。なぜだかわからない。
 思考と闘っていたため、資料の訂正に二時間を要した。緊張の面持ちで席を立ち、部長の席に迫る。五メートルもない距離にあるのに、一キロぐらいに思えた。
「遅ないか」呆れたような声で部長は言った。
「すみません」
 眉間に皺を寄せながら、部長は資料に目を通す。皺が弛緩するのを待っていたのだが、その期待は外れた。反対に皺の溝が深くなったように思える。
「おい。なんなんこれ。内容もぐちゃぐちゃやん」
「すみません」
「ええ大学いったからって全然やん。佐々木の方がだいぶん頑張ってんで」
「はい」
「はいちゃうねん。そういうとこがほんまにうざい。やる気ないんやったら帰って。仕事増やすだけやん」
「すみません」
「ごめんで済んだら警察いらん」
「すぐ直します」
 社会人になってからというもの、怒られた記憶の方が多い。その一方、佐々木が怒られているのは見たことがない。自分の出来なさと、佐々木への怒りが沸き上がる。佐々木は何もしていないのに。そう感じている自分にも腹が立つ。こんな小さな人間だったのか。気持ちがどんどんと下がってきた。でもやるしかない。その気持ちで頑張った。しかし、その気持ちとは裏腹に、怒られる頻度も増えてきた。いつも以上にチェックを念入りにするようになった。しかし、チェックに気をとられすぎて、内容は洗練されず、時間だけを浪費する。必然と残業時間も増えてきた。会社は残業をさせたくはないため、残業のし過ぎで怒られることもあった。佐々木は、僕の心配をしてくれたが、残業はほとんどせずに帰っていくことが多かった。
 焦りと不安の日々で唯一の心の安定は、フットサルだった。いや、フットサルというよりあの雰囲気だった。僕を必要としてくれた。しかし、やはりスポーツはずっとやってこなかったため体の動きが周りとは全然違い、取り残されているという劣等感も抱えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?