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二極化は止まらない。「町内会-コミュニティからみる日本近代-」を読んで

 仕事で自治会との関わりも多く、住んでいる集落での村役なども勤めたことで、考えさせられることが多かったので、読んでみた本。かなりマニアックな内容で、思っていたより社会運動の話が多いので読む人は選びそうですが、個人的には気付きや学びがしっかりあった1冊でした。

 中身は買って読んでくださいなので、以下雑感です。


自治会が存在する理由

 集落の伝統的な行事やお困り事をまとめる役、くらいの認識であった自治会や町内会(呼び方は自治会の方が馴染みあるので以後、自治会)。本の中では社会の流れから役割の変遷も触れられていますが、「共同防衛」と「生活協力」の2つ目的がある、という点が今の暮らしと照らし合わせても一番しっくりくる点でした。

 集落の仕事として、回覧板を回す、河川敷や農道の草刈り、清掃活動、避難訓練、夏祭や秋祭の実行、消防団など、色々あります。それらの目的が「共同防衛」と「生活協力」に行き着くことは、想像の通りです。

 草刈りを例に考えてみましょう。年に数回共同作業を数時間するだけですが、しんどい活動なので終わればそれなりに連帯感が生まれるし、めっちゃ仲良くならずとも顔なじみの関係性は勝手に構築されます。そんな関係性の中、人の数も少ない集落内で悪さを働こうとは思わないし、外部から人が来た場合はすぐに気づく状況が出来上がります。つまり自然と共同防衛につながっている。

 また、草刈りは農道や河川敷で行われる場合が多く、農業従事者にとって助かります。特に米農家は自分の周りは草刈りはするけど、共用の水路や排水が集約される下流などの草刈りまでは手が回らない為、集落の仕事として草刈りが機能することで、自分たちの仕事が助かります。

 河川敷の草刈りは、大雨による増水に耐えうる最低限の管理をする意味で、集落の住民たちを自然災害から守る役割も有しています。草刈りに限らず、回り回って地域を守り共助する為の活動を取り仕切っているのが自治会、ということです。

薄れる「共同防衛」と「生活協力」の目的

 そんな自治会ですが僕も含めてその必要性に懐疑的で、特に若年層の参加は難しい状況となっています。原則として、自治会には集落に住んでいる以上、加入が義務(区費が徴収される)となっていますが、区費だけ払って活動には参加しない住民も増えている現状。

 その理由は若年層のライフスタイルに合っていない点が大きい。そもそも農業をやっていないのに、なぜ農道の草刈りを自分がしないといけないのか?活動は日曜日に実施されることも多く、サービス業で働く人からすれば参加困難。昔は顔を合わせたコミュニケーションが主流で何か困ったことがあれば近所付き合いで何とかしていたけど、今はスマホで調べてサービスにアクセスすれば事足ります。

 高齢者と話をすれば、結婚しろ、子どもを産め、あの子は地域の為に頑張ってるがあんたは?、と言われる始末。馴染めない地元の若者は出ていくし、残った若者はその価値観が染み付いている。自分事化もできないし、共助したいと思えない関係性がはびこる中、自治会の活動に積極参加する訳はありません。

 上記した通り、集落の価値観にどっぷり浸かっている若者は一部いますが、ごく一部だし若年層は集落からどんどん減っていっています。たまに手伝いに行くとありがたがられる一方で、欠席した途端に苦言を呈される。

 若手がいないから困っていると言いながらも、変わろうとしない自治会に嫌気がさす。仲間であるはずの同世代もその考えに染まっていると分かった時の絶望感はハンパないです。

地域内コミュニティも二極化する時代へ

 仮に地域活動に参加せず村八分になったとしても、若者は生活していけるのがいまの現状だし、最終手段の引っ越しもある。集落に生まれてからずっと住んでいる人、特に農家は土地がないと生きていけないので、それが様々な自治会活動への抑止力となっていますが、若者からすれば関係ありません。

 一方で僕らのような移住者は、その必要性に疑問を持ちつつも、集落と必要以上に対立せず可能な範囲で活動には参加します。かくいう僕も、隣組の班長をやったり、秋祭りには極力参加をして、集落との関わりを持つ努力はしています。

 ただ、集落への共助の意識があるかと言えば、微妙。その分、集落内で関係性のある人たちとの繋がりは強く持ちたい。考えが合わない隣近所のおっちゃんおばちゃんよりも、数軒先で仲の良い同世代ファミリーと仲良くしたい。それは家族ぐるみでの親睦もあれば、お互いに助け合う関係性でもあります。

 特に子育てしている世代同士であれば、一緒に遊ばせたり、何か困ったことがあれば助け合う。時間のかかる人とコミュニケーションを取るより頼りになる関係性。移住者同士であれば、価値観が近いこともあり、より共助の意識が芽生えていきます。

 そんな移住者コミュニティの近くに居てくれる地元のおっちゃんやおばちゃんも一定層は居て、行事やイベント事を一緒にやりながらうまく集落とのバランスも保ってくれるので、移住者や若者が浮くことはありません。そんな日々の関係性があるからこそ、有事の時は顔の見える関係で助け合う。

 自治会の必要性が低下する中、一歩引いて各々関係性を構築する人と既存の枠組みの中で薄い繋がりの中で生きる人。選択するのは自由だが、選択肢を持てる時代になってきた。集落内で暮らすのも、出ていくのも、自由。

 自治会の枠組みは、大字(おおあざ)単位、つまりは江戸時代から続く区画であって、その当時の暮らしをベースにした価値観が伏流水のように流れている。若年女性流出を特集した番組で、東京の時代は令和だけど地元は江戸時代、と若者がコメントしていたのは正にその通り。変わる自治会とそうでない自治会、その中で生まれるコミュニティも、どんどん二極化が進んでいく。

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