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休職を親に伝えた時のこと

 色々な症状を抱えながら休職が決まった日、荒れた家の片付けをしながら「とりあえず親に話しにいこう」と決めました。うちは母子家庭だったので、親=母親、です。母親は子育て終了と共に東京へ出てきていて、仲の良かった叔母いる東村山辺りに住んでいました。僕が住んでた本八幡からはちょっと遠いですが、会いに行けない距離ではない。

 母親の住んでたエリアには僕も仲の良かった従兄弟も居たりしていたので、たまに遊びに行っていました。親族含めてお酒が好きだったので、大概は美味しい居酒屋に皆で集まって飲んで、母親の家に泊まるというパターン。仕事が忙しくなっていた時期は、土日でも飲み会直前までPC触ってて「そんなに忙しくて大丈夫なの?」と母親も心配してたなー。

 電車に乗って1時間半ほどかけて母親の住む最寄り駅へ。事前に連絡はしてたけど、休職すると決まったことは伝えずに会いに行きました。家に着いて割とすぐに「適応障害になって、会社休むことになった」と伝えると「そっかー、色々大丈夫なの?」と、母親もある程度は察していた様子。しんどそうな息子の表情を見たら感じ取れることは多分にあったんじゃないかな。

 母親は昔から僕の事を信頼の裏返し的に放任してくれてたので、心配はしてくれましたが、必要以上に手助けをするとかアドバイスをするような事はしてきませんでした。僕の状況について色々聞いてから「一人が嫌だったら、いつでもウチ来ていいからね」とか「なるようにしかならないからね」という感じ。

 僕自身も辛かった事を吐き出したいとか、共感して欲しいとは思っていなかったので、その当時の自然体で会いに行って一緒の時間を過ごせました。何か特別な話をする訳もなく、どれくらい忙しかったかや、休職中の過ごし方、母親の身近で病んだ人の話なんかをしながら一緒にご飯を食べる。

 会いに行ったのが平日だったので、夜もそこそこに就寝。寝る前に僕が薬を飲む時も「それって寝る薬?」「そう、睡眠薬と今は精神安定剤も飲んでる」「へー、そうなんだ。いつまで飲むの?」みたいな、友達みたいな距離感

 いつもの親子時間であったけど、親のありがたさや安心感を実感したことを今でも憶えています。睡眠薬は飲んでいたけど、やっぱり眠りは浅くて夜中に目覚めてしまい、真っ黒な部屋で聞こえる親の寝息を感じながら「焦らずいこう」とか「もうちょっと親孝行したいな」と思いながら、寝たり起きたりを繰り返して朝に。

 母親の元にずっと居てもやることが無かったので、とりあえず本八幡の家へ帰ることに。母親も仕事に出るタイミングで僕も家を出て駅でお別れ。さすがに心配そうな表情はしていたけど、「あとはあんたの行動次第よ」と無言のメッセージを送ってくれてたかなと。

 「全て受け入れる」「とりあえず行動する」。再スタートする為の心構えと、親からの愛情を受け取った大切な時間でした。

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