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休職生活を終えて復職へ

 通っていた心療内科のお医者さんから「復職OK」の診断をもらい、いざ社会復帰の準備が始まります。診断としては、軽い問診に対して僕が答えた結果なので、具体的に適応障害の要因となった状況で症状が出ないか?といった検証は無く、あくまで自己申告。正直、その日の気分で復職するかどうか決められるやん、と感じました。指標を定めるのが難しい世界ですね。

 診断書も書いてもらい、会社としてもそれを元に復職を決定。だいぶ元気になっていたので「そろそろ頑張りたい」という思いはありましたが、復職となると、やっぱりドキドキしてきました。これは適応障害の時に感じていた動悸が上がる、とは別の感覚です。

 休職するとなった途端に会社の人たちと連絡を一切取らなくなったので、一緒に仕事をしていた方々が僕の休職をどう感じているか全く分からなかったし、自分が持っていた仕事だけ残して休んでいるので気まずさはあります。一部の先輩とはご飯に行ったりもしましたが、それだけでは情報として不十分で、自分が迷惑かけまくった場にまた行く、というだけで緊張です。

 人事とは事前に復帰する日の調整などをして、日付が決定。一旦は正式な復職=現場復帰、をするのではなく試走期間を作ろうということになりました。いわゆる復職トレーニング期間を設けてもらったのですが、詳しくは次回の記事に記載します。

 復職が決まり、京都での生活も終わりが見えてきました。お世話になっていたシェアハウスメンバーや休職期間中に付き合ってくれた友人や先輩後輩に東京へ戻ることを伝えていきます。頑張り過ぎてまた休職してもかなわんので、皆さん総じて「無理せずにね」とか「辛くなったら帰ってこいよ」と優しい声がけをしてくださいました。

 シェアハウスを離れる日、感謝の気持ちを手紙にして出ました。(丁寧に書いたつもりでしたが、復職へのとまどいが書体に現れていたのか、全体的に表記が揺れている呪いの手紙みたいな仕上がりに…笑)あの場所が無かったら回復できてないし、本当にありがたかった。。

 東京戻り、本八幡の家での生活がまた始まりました。相変わらずホーム感はないけれど、とりあえず会社に行くところからスタートです。数ヶ月間着ていなかったスーツを引っ張り出して試しに着てみたら、少しパツパツな着心地になっていました。果たしてこれからどうなっていくのやら。

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