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【アフターコロナ時代】先生の役割って?

休校が再延期になり,一時登校日だった,5月7日木曜日。
僕はこの日,子ども達の感情…と言ったら大げさだけれど,今感じていることを教えてもらおうと思った。
すると,子ども達の話から,ボクなりに「これからの教師の役割」を考える上で,貴重な話が聞けた。
僕が考えた,ボク的「これからの教員の役割」は,以下の4つ。
①学習フローチャートをつくる,プログラマー役。(一時的)
➁めっちゃ応援してくる,学びにポジティブなおっさん役。
➂なんか勝手にワクワクしてる,一緒に学ぶ"超"子ども役。
④光と闇の調和をもたらす,最後のジェダイ役。

結論に至った子ども達とのやりとりを,記しておこうと思う。

①学習フローチャートをつくる,プログラマー役。(一時的)

子ども達に,休校中に学習のことで困ったことはある?って聞いてみた。
すると,数秒の沈黙の後,「特に無い」という答えが返ってきた。

(おぉ…まじか…)

って拍子抜けした。
というか,やっぱりちょっと寂しい気持ちもあった。
(あ,やっぱ,俺,いなくても,いけんのきみら?)みたいな。

僕のクラスでは,4月に文科省が出した指針の通り,自分で立てた時間割表と教科書に沿ったワークシートで凌いでいる。

ホント,「なんとか凌いでます…」って質なんだけど,心優しい子ども達は文句も言わず,たまに褒めてくれるから素直にありがたい。

そもそも,全員ができることなんて期待していなかったけれど,学級に在籍する児童の8割程度が取り組めちゃっていた。(すごい!)
学習に苦手意識を持つ子も,自信満々に「僕もできました!家に置いてきたけど!」と言っていたので,たぶんできたんだと思う。笑

授業を始めたら,そこまで2週間の学習の確かめも1時間程度で終わったので,プリントを使って,定着の度合いを確かめてみた。
ざっと目を通すと85%ほどの知識が定着していることが分かった。

つまり,現時点での僕に作れるワークシートでも,約8割の子は,自分で学べちゃうのだ。

このワークシートは,『どのような手順で,どの情報に触れれれば,より多くの子どもが学習内容を理解できるのか?』ということを,1年ほど実践して,改善して,また実践して…と繰り返せば,作れるようになる。

ただ,「凌いでいる」レベルのワークシートを作ることも,難しい教員が多いようだ。
子どもが分からない原因を,

「子どもの能力」と見るか ・ 「教育プログラムの質」と見るか

で考えた時,前者に原因を置いているうちは,自分の作ったプログラムを見直すことは無い。
このワークシートを「作れない」「無理」と考えるのは,そういうことなのではないかと思っている。

でも…
もう,こんなワークシートをつくる力も,必要なくなってくると思う。
だから,プログラマー役には(一時的)と書いた。
だって,この学び方は,ビッグデータとAIで最適化した学び方には敵わないんだから…

でも!
ここで言いたいのは,最近話題の「教員オワコン説」みたいなことじゃないの。
少なくとも,この「情報の獲得量とスピード競争」をしていたらオワコンなんだけど,公教育の役目は,全くもって"そこ"ではなかったってこと。

じゃあ,何なんじゃい!
ってことを,僕なりの独断と偏見でまとめよう。

約2割の子が学べる支援,約8割の子がもっと学べる支援が必要

「約8割の子は,自分で学べちゃう」と書いた。

あれ?…あと2割は?

うんうん。
当たり前だけれど,家庭では,このワークシートに手を付けることさえできない子もいた。
「できない」じゃない。
「分からない」じゃない。
「手が付けられない」のだ。
だいたい予想はつくかもしれないけれど,子ども達の声を聞いてみよう。

学校という「環境」に価値がある。

「家でも,これだけ学習が進められるなら,授業いらないじゃん。」と子どもに言うと,めちゃめちゃ反発された。

「いや,絶対学校の方がいいっす!」
「できなくて困ることはそんな無いんだけど,そもそも家で教科書ひらくのが大変なんですよ。」
家での2時間はめっちゃ長いけど,学校でみんなと勉強する4時間はあっという間。」
「家で勉強してても,楽しいって感じることがなくて,めんどくせーってすごい思う。学校だと,そんな感じない。」
家での勉強は,学校で勉強する100倍エネルギーが必要だよね。」
「あの,時間割通りに勉強するとか無理だよね。」
時間割は,こんな感じ(↓)で,チョキチョキ✂ぺたぺたして作る。

キャプチャ3

「だから,先生,課題減らして~。」
ということだった。
でも「じゃあ,減らす?」っていうと,「いやぁ…まぁ,ちょうど良いっちゃ良いかなぁ…。」なんて強がるのも,素敵。

いずれにせよ,学ぶ環境としては,圧倒的に学校がイージーモードらしい。
『どうせ学ぶなら,学校で学びたい』のだ。
でも,そうなるのはなぜか?
もっと聞いてみた。

学びの深まりやおもしろさは,学校ならでは。

今度は,「家と学校では,何がそんなに違うの?」と尋ねると,またいろんなことを教えてもらえた。

家だと,頭が一個しかないんすよ?自分の脳しか使えないのめっちゃやりづらい。」
「家だと,分かんない時,よし!あきらめようっ!て,なるんだよね。聞けないから。」
「一緒に話しながら考えると楽しいって感じるけど,家だと,それがない。」
「家だと,つまんないんですよ。楽しいって感じることがないから。」
「なんか『深いなぁ』って感じることが無いんですよね。」(ぼく爆笑)

まさか,子どもから『深くない』って言葉が出てくるとは思っていなかったので,思わず笑ってしまった。
やっぱり,子どもは何でもお見通しなんだなと…大人の心を見透かされているようだった。
ちなみに,この言葉をいった子は,授業中に友達の発言を聞きながら『深いなぁ…。』とたまに呟く子なのだ。
例えば「知」図づくりのように,話し合いながら考えを生み出す活動からは,学校で学ぶ楽しさを感じられているようだった。

➁めっちゃ応援してくる,学びにポジティブなおっさん役。


分かったのは,子ども達が「学習を教えてもらうこと」について話すとき,その対象は教師ではなく友達だったということ。
僕に教えてもらえない不安は,ほとんど出てこなかった…。
(ちなみに,僕は教室で子ども達が『学び合い』に取り組んでいる時も,求められたら教えちゃう派…なーのーにー。)

でも,子ども達は学校だと学びやすいという。
そこに,教師の役目があるんだと思った。
つまり,学校の環境を「教わる仕様」から,「学ぶ仕様」へと徹底的にチェンジしていく。
教師は,それを率先して,もう「学びオタク」になっていけばいいのではないかと思う。
そもそも,学びに魅了されてこの職を選んでいるはずなのだから。
(学びは,本当に善なのか?みたいな疑いを持つ方は,この本を読んで,教育が人類史に果たした貢献を理解してから,考え直してほしい。)



このときに,一番コストをかけるべきところは,家庭では学びに手が出せなかった2割の子なのだと思う。
それが公平だということも,この休校を通じて再確認できた
かと言って,約2割の子だけを見て,全体の色を均一にするような愚策に手を出してはいけない。

1人では,学びに前向きになれない子に,目を,声を,手をかける。
引っ張るわけじゃなく,支え続ける。これでいいのだ。
(教えてもらうことは,期待していないらしいので…。)

この構図は,たとえビッグデータやAIによる学習プログラムが普及しても,変わらないと思う。
子ども達は,支え合える人がいる「環境」を求めているんだから。

➂なんか勝手にワクワクしてる,一緒に学ぶ"超"子ども役。

そして,もう一つ分かることは,子ども達が『深いなぁ』って呟けるような学びを欲しているということ。
これも,ビッグデータやAIによる学習プログラムでは実現できない。
少なくとも,今まで子ども達が『深いなぁ』って呟く授業は,予定調和的ではない。
僕も驚くような,新発見が連続する授業だった。

この授業を実現する上で,僕が大切にしていることが,子どもと一緒に学ぶ"超"子どもになるということ。
頭の片隅には,学習指導要領とか,単元の目標とか,教材研究とか…そういう大人の都合が入っちゃっているので,子どもと同じにはなれない。

それでも,教師は,子どもと一緒にワクワクしながら学ぶことができる。
子どもは,そういった授業に学ぶことの「深さ」とか「楽しさ」を見出しているようなのだ。
これが,これからの教師に,子ども達が求めることになってくるんじゃないだろうかと思う。
こうした教師の在り方を『ジェネレーター』と呼ぶと知ったのは,つい4ヶ月ほど前。
そこからはもう,ジェ代としての訓練に励む日々である…。
興味のある方は,下のリンクをチェックしてほしい。


もう一つ,子どもと一緒に学ぶんなら,社会で働く大人を学校に連れてきちゃうっていうのも大切だと思う。


オンラインなどを活用すれば,こういった授業も手軽になる。
コラボレーション授業も,アフターコロナの学び方の一つの在り方になるんではなかろうか?

④光と闇の調和をもたらす,最後のジェダイ役。

最後に,生活面での不安を尋ねると,またいろいろな意見が出てきた。
せっかく来られるようになったのに,また来れなくなりそうで心配ですね。
これは,昨年,登校しぶり傾向だった子の一言。
その後の話は聞けなかったが,休校期間中に,こうした心配を抱えている子がいた。
気分が重くなる。あの行事はどうなるんだろう,とか先のことが分かんないから。」
先を見通せない不安から,ストレスを感じている子もいた。
今後の行事について,聞いてみると,
「運動会は,絶対やりたい。(やらなくてもいい。)」
「学習発表会は,絶対やりたい。(無くていい。木の役でいい。)」
意見がそろったのは,宿泊学習か学習旅行(遠足)のどちらかは行きたいということぐらいだった。

学校が再開した後の話をする子が多い中で,
「ちょっと,(再開になることが)怖い…」
と教えてくれた子もいた。
当たり前だ。
大人だって,迷いの中にいる毎日なんだから…。
「大丈夫だから来て。」とも言えないし,
「再開をボイコットしよう!」なんても言えない。
どちらが良いとか悪いとか,判断できなくて当然なのだ。

光と闇

思うに,これまでの学校は,光の面に偏りすぎていた。
「学校が再開されるんだから,登校しなきゃだめよ。」
そんな思いが教員にあると,子どもや保護者は,ますます不安になる。
今回の感染症による休校は,僕たちに,光に偏ることの弊害にも注意深く目を向ける必要を教えてくれているのかもしれない。
明るいことや,強いことが正義とは言えないのだ。
学校の論理と,各家庭の論理の調和
学級の論理と,個人の論理の調和
そういったことに改めて目を向けていこうと思う。

まとめ

ということで,ボク的「これからの教員の役割」を,4つにまとめてみた。
①学習フローチャートをつくる,プログラマー役。(一時的)
➁めっちゃ応援してくる,学びにポジティブなおっさん役。
➂なんか勝手にワクワクしてる,一緒に学ぶ"超"子ども役。
④光と闇の調和をもたらす,最後のジェダイ役。

控えめに言っても,このように役割を変化していくのは難しいと思う。
そして,学校の中から,変わろうとする動きが出始めるとは,残念ながら思えない…。
ただ,内部から変わらなければ,外部から変えられてしまう運命になる。
その時に,いやいや変わるのか,先にワクワクしながら変わるのか。
きっと茨の道になるけれど,僕は一歩一歩変わっていきたいなと思う。
なにせ,それが今,楽しいんだから。

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