見出し画像

小説 『その扉をたたく音』は、ノックなんかしない人だらけの話だった

『そして、バトンは渡された』を書かれた瀬尾まいこさん。
今回もタイトルがキーになると思ったこの小説。
いやいや、扉をたたく音なんかしやしません。
30歳を目前にして親の仕送りで生きているアマチュアミュージシャンの宮路が、老人ホーム「そよかぜ荘」の演奏会で出会った遠慮も問答も無用な人々との交流により、現実世界が動いていくというこのお話。
サックスが上手いことにより宮路にバンドを組もうとけしかけられ、そのうち泣き虫の宮路へぐだぐだ言わずに歌えとけしかけるようになる介護士の渡部君。
宮路を「ぼんくら」呼ばわりし、召使いのように買い物へ行かせる水木のばあさん。
宮路にギターを教えて欲しいとせがみ、一緒に「上を向いて歩こう」を何度も歌う本庄のじいさん。
皆が皆、有無を言う相手に有無を言わせながらもやらせてしまう。
その扉をひらく音がガチャリと響く小説です。

「来てた、来てた。ぼんくらさん、あなた、ギター弾かれてましたよね」
と初めて見るじいさんが声をかけてきた。
「そうですけど」
「わたしも実はギター持ってまして。家から送ってもらったんですけど、教えてくれませんか」
「まあ、いいけど」
とじいさんのほうを見て俺は頭を抱えた。
じいさんが持っているのは、ギターじゃなくてウクレレだ。
「それ、じいさん、ウクレレだよ。ギターとは違うんだ」
「ああ、昔のギターですから小型なんですね」
「いやいやいや、弦の数とか形とかまるで違うだろう。俺、ウクレレなんて弾いたことないし」
「ああそりゃそりゃ、わたしは本庄と申します。お世話をかけますが、よろしくご教授お願いいたします」
「いやだからさ、ギターって」
俺がそう説明している横で、
「あら、本庄さん、楽器始めるの?」
「そうなんです。ぼんくらさんに教えていただくことになって」
「よかったわね。音楽できるといいものねえ」
「ゆくゆくはぼんくらさんとバンドでも組もうかと」
とスタッフとじいさんで話が進んでいる。
「願ったりかなったりだな、ぼんくら」
水木のばあさんはけたけたと笑った。
本庄のじいさんは、すっかりウクレレを始める気になって、何度も俺に「よろしくお願いします」と頭を下げた。
これは了承する以外に選択肢はない。
「わかった、わかったよ。来週からな」と答えると俺は腰を上げた。
商品も届けたし、またもや強引に買い物メモを渡された。

P.65

「そよかぜ荘」の演奏会で弾き語りをした宮路は、ギターを弾きたいという本庄のじいさんに目を付けられます。
本庄さんが持っていたのはギターではなくウクレレ。
でも、本庄さんにはそんなの関係ありません。
楽器を弾きながら歌いたいという無垢な願いが、その場にいたスタッフや水木のばあさんを巻き込んで、宮路を動かします。
誰かが有無を言う前からそれはやることに決まっている、この小説にはそんな雰囲気が漂っています。

「あれ? 宮路さん、何されているんですか?」
しばらくすると渡部君が戻ってきて、事務所の隅に座ってくつろいでいる俺に声をかけた。
「いや、演奏の件、つめようと思ってさ」
「演奏の件?」
「そう。ぐだぐだやるべきだやらないんだ、君のサックスはすばらしい、いや普通ですとかなんとか、そういう話を繰り返しても埒が明かないかなって」
「はあ」
~中略~
「急ぎだよ。もう時間はない」
「そうなんですか?」
忙しく手を動かしていた渡部君は、ようやく俺のほうを向いた。
~中略~
「渡部君、心、動かされないの? これだけ根気強く訴えられてさ。ここはやらないと。やるんだよ、渡部君」
「なんかたいへんですね」
「そう。もう猶予はない。ぐだぐだ言っている間にそよかぜ荘の出し物の時間は、腹芸や手品や紙芝居にどんどん奪われてしまう。今、計画を立てないと」

P.97

「そよかぜ荘」の演奏会で介護士の渡部君が吹くサックスに魅了された宮路は、渡部君にしつこく一緒にバンドをやろうと持ち掛けます。
のれんに腕押しのような渡部君。
でも、宮路にはそんなの関係ありません。
普段の生活が「ぐだぐだ」している自身を余所に、「ぐだぐだ」言うなと有無を言わさずやり始めます。
「ここはやらないと。やるんだよ、渡部君」
「なんかたいへんですね」
このどっちがボケでどっちがツッコミなのかわからないやりとりには、思わずクスっとさせられました。

じいさんやばあさんにとっては、誰かがぼけることなど、日常茶飯事なのだろう。
「ああ、本庄さんまた出たか」
「普段穏やかな人って逆に怖いよねえ」
などとのんきに言う声が聞こえた。
「おい、買い物頼むよ」
タオルで顔を押さえていると、水木のばあさんにメモを押し付けられた。
「ぼんくらが落ち込んでいようが、現実世界は動くんだよ」
「ああ、だろうな」
受け取ったメモには、すでに誰の依頼かが書いてある。
「ここはぼんくらの住む世界じゃないだろう。これくらいのことでうだうだせずに、とっとと帰んな」

P.140

認知症の本庄さんに突然激しく拒絶され意気消沈の宮路。
でも、水木のばあさんにはそんなの関係ありません。
いつものように買い物を押し付け、宮路を動かします。
これまでの人生で心に行動が伴わなかった宮路ですが、「そよかぜ荘」の人々により、行動に心が伴うようになっていきます。
「現実世界は動く」、動いてなんぼなのです。

「心の瞳」は、本庄さんとウクレレで演奏するはずだった。
そう思うとたまらない。
とてもじゃないけど、声をはって壮大になんて歌えない。
ギターで前奏を弾くだけで胸が痛いのだ。
俺が声を詰まらせるのに、「また始まった。一人でぐだぐだするのはなしですよ。さあ歌ってください」と渡部君は言った。
本当に容赦のないやつだ。
「ぐだぐだしてねえし」
俺はこっそり洟をすすった。
「いちいちふてくされてたら、ミュージシャンどころか、何にもなれません」
「はいはい」
「そもそも宮路さん、なんで泣いてるんですか? 自分がかわいそうで?」
「違うよ。ちょっと本庄さんのこと思い出しただけだ」
「本庄さんは宮路さんみたいにぐだぐだしていません。何も悲しんでなんかいませんよ」
渡部君がきっぱり言う。
「なんだよそれ」
「宮路さん、どれだけ自分を大事にして生きてきたんですか。親しい人に会えなくなって、歌っては涙くんで。そんなこと許されるのは幼稚園の年長組までです」
「お前さ、本当にうるさいよな」
物腰の柔らかさにだまされそうになるが、渡部君はけっこうな勢いで人の心の中に入ってくる。
いや、渡部君は勢いをつけているだけだ。
ここから引っ張り出そうと、意を決して甘え切った俺に踏み込んでくれているのは、俺にだってわかる。
「さあ、歌いましょう。『心の瞳』は話にならないから、『東京ブギウギ』で。ぱっと盛り上げていきましょう。さんはい」
そして、こんなふうに他人に強引に入り込まれたことがない俺は、うっかり従ってしまう。

P.161

認知症のため特別室に入ることになった本庄のじいさんの事を思い、「ぐだぐだ」し始める宮路。
でも、渡部君にはそんなの関係ありません。
バンドを始めた時からいつの間にか立場は逆転し、渡部君が宮路をけしかけるようになります。
宮路は渡部君が厚意で自分をけしかけていると思っていますが、私は渡部君はそんなことは思っていないような気がします。
誘われて始めたことだとしても、やると決めたことはやる。
それが誰かに届くのなら、そして自分が楽しいのなら尚の事です。

小説の終盤では、「そよかぜ荘」でのライブ、水木のばあさんからの手紙、そして別れがあり、宮路は次へと動き出します。
この小説では一貫して、「そよかぜ荘」の人々は「ぐだぐだ」せず、宮路を動かしていきました。
それは宮路の人生が救われていくという過程ですが、同時に「ぐだぐだ」な宮路というスパイスにより、「そよかぜ荘」の人々の暮らしが活気づくことでもありました。
宮路が偶然に「そよかぜ荘」で弾き語りをするという選択をしたことから、つまりは動いたことからこの物語は始まっています。
「ぐだぐだ」せずに人と関わること、「その扉をたたく」こと、それにより自分そして誰かの人生が豊かになるかもしれない。
この小説を読んで私はそんなふうに思いました。

それにしてもなぜ宮路はあれだけ「ぼんくら」とバカにされてもキレずにいられるのだろう?
ふがいない自分への思いが勝ってしまうようですが、どうもそれだけではないような気がします。
瀬尾さんの他の小説にその答えがあるかもしれません。
これからも私は瀬尾さんの作る物語に注目していきたいと思います。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?