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夕暮れの"マニャニータス"が教えてくれたこと

これぞメキシコという誕生日会に行ってきた。
7時間かけて驚いて、笑って、最後にはホロリとした、先週の土曜日の話。
忘れないうちに、書き残しておきたいと思う。

「始まり」なんてないのがメキシコ流

誕生日会に招いてくれたのは、娘が通う幼稚園のクラスメイトだった。

参加者はインド人パパとメキシコ人ママの両家親族、幼稚園のクラスメイト達とその家族で、およそ70人。賑やかなパーティーだ。

この国では10人いたら9人が遅刻する。3年かけて得たこの学習を元に、わたしたちは招待状に書かれた13時を30分すぎてから着くよう家を出た。道すがら、「うちらもいよいよベテランだね」などと夫と話しながら歩く。

マンション前に着き、ガードマンに名前を伝えると、彼は手元の参加者名簿らしきリストをめくった。その名簿を覗き込んで目を疑う。すでに到着していたのは70人中たったの3人だったのだ。

「甘すぎたね」「修行が足りなかった」と呟き合うわたしたちをよそに、娘はガードマンの後ろをスキップでついて中に入っていった。

食事は「豪華さ」より「楽しさ」

誰かを招くことになると、真っ先に食事の心配をしてしまう。

招いたのだから頑張って用意しないと。大人向けメニューと、子ども向けメニュー、前菜っぽいものと、それからしっかりお腹にたまるもの。考えただけで気が重くなるような準備を、自分に課そうとしてしまう。

今日もきっと大変だったに違いない。そんな考えを巡らせながら会場に入ったわたしは、用意されていた食事に驚いた。

チョコレートにポップコーンにポテトチップス。それからハンバーガーとポテトとナゲット。

招かれた立場で「それだけ?」なんて何より失礼だと分かっている。でも、心の中では間違いなく言った。3回は言った。

でも、よく考えてみればこれでいいのだ。というかむしろ、こっちの方がいい。

主役の子どもたちは、食べづらくて小難しい料理よりも、ケチャップをつけて手で食べるポテトやナゲットの方が絶対に嬉しい。親だって色々用意されていればがつい「野菜も食べなさい」なんて言いたくなるけれど、これなら晴れ晴れした気持ちでハンバーガーにかぶりつける。何よりも、ホストがのんびりゆったり会話を楽しめる。

みんなぞろぞろ並んで受け取って、口の周りにケチャップやらチーズをつけながら頬張ったハンバーガーやポテトは、ものすごく美味しかった。パーティーだから豪華なものを出さなきゃいけない、なんてよく考えたら変だ。パーティーなんだから、全員が楽しく食べられるものが一番いい。

誰ひとり先を急がない

飲み物を飲みながらお喋りをして、庭の遊具で遊ぶ子どもたちを眺めて、お腹が空いたらハンバーガーやポテトを食べて、チョコをつまむ。その間にぽつりぽつりと新しい参加者が到着する。

開始から2時間たっても、3時間たっても、無限にそれが続く。開始から4時間たって到着した参加者を見た夫が、ポテトをつまみながら「やっぱりすごいな」と感動していた。

そろそろ18時になろうという頃にディズニープリンセスのミニショーが始まり、19時になろうという頃にピニャータを割ろうと全員でぞろぞろ庭に出た。ピニャータはメキシコ伝統の大きな紙製の型枠で、中にお菓子を詰め、子どもたちが順に叩き、最後は割れて散らばったお菓子を拾う。

20人ほどの幼稚園児たちが列になって順番に棒で叩き、大人たちはそれを囲んで歌をうたった。そこに誰もせかせかと急ぐ人がいないから、時間がゆったりのんびりと流れていく。

いつまでも割れないピニャータを前に、ヨロヨロしながらも一生懸命に叩く子どもたちは可愛らしく、見ていて幸せだった。

最後に待っていた大合唱

19時半を過ぎた頃、ケーキが運ばれてきた。窓から力強く差していた太陽光は気づけばその勢いを失い、オレンジ色の夕陽に代わっていた。

ケーキの前に置かれた椅子に小さな主役が立ち、その肩を両側からパパとママが抱く。ろうそくに火が灯ると、大合唱が始まった。

「これは”マニャニータス”っていう歌なんだ。
そう、きみのため!もちろん、きみのためだよ!
だって今日きみは誕生日だから。
何歳になる?1歳、それとも2歳?
もしかして3歳か4歳?
もしかして5歳、6歳、7歳、8歳、9歳、10歳、それとも20歳?
30?40?50、60、70、80、90、100!
何歳だっていいさ。何歳だってかまわない。おめでとう!」

さあ、みんな、これからとても美しい歌を歌おう
この素晴らしく幸せな日をどうか楽しく過ごして
そして長生きしてほしい
それがセピジンの願いなんだ
ぼくはなんて美しい朝にきみに会いに来たんだろう
ぼくたちは喜びに満ちて君を祝福しにきた
君が生まれた日には、すべての花が生まれた
洗礼盤の上で、ナイチンゲールが鳴いた

夜が明け、光がやってくる
さあ起きて
もう夜が明けたよ

太陽の光になれたら、窓から中に入れるのに
そして君におはようを言って、ベッドで一緒に寝転がれるのに
聖ヨハネ、聖ペテロになれたら、お空の音楽で君に挨拶できるのに

夜が明け、光がやってくる
さあ起きて
もう夜が明けたよ
"Las Mañanitas con Cepillin"より

"マニャニータス”と呼ばれるこの曲は、誕生日を祝う歌としてメキシコで昔から歌い継がれているのだという。歌詞に出てくる"セピジン"は、この曲をカバーして歌ったピエロの名で、彼はかつて子どもに大人気のテレビキャラクターだったそうだ。

初めて聴く”マニャニータス”は、その場で歌詞のすべてを理解できたわけではなかったけれど、厳かで、愛に溢れていて、なぜだか泣けてきた。誰もがその子の生まれてきた日を祝福しながら歌い、大合唱の輪の中心で両親に肩を抱かれろうそくの火をじっと見つめる小さな主役も、頭ではなく心でそれを理解しているようだった。

ちらちらと揺れるろうそくの火は、窓の外を染める夕陽と同じ色だった。「祝福する気持ち」に色があったらきっとこんな色なのかな。ぼんやりと思いながら、歌声に包まれていた。

「なんだかすごく満たされた気分」

20時近くなった帰り道を歩きながら、夫に言った。長い長い誕生日会は、どこまでもメキシカンで、わたしたちのなかに心地よい幸福感を残していった。

誕生日を祝うって、その場にいることでも、豪華な食事を食べることでもなくて、その人が生まれてきてくれた日を一緒に喜び合うってことなんだ。

そんなふうに教えてもらった気がしている。

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