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生まれた時から食に対してイージーモードだった私は、いつの日か白湯のようなコンソメスープの中にある旨味を見つけ出せる事ができるのか





いま私は、一冊の本を読み終えて溢れ出した様々な感情に心が振り回されている。


自分は食に対してイージーモードだった。それは悪い事ではないと思う。だって食べる事は自由だから。



気づいた時から

ファーストフード店のバンズが乾いたチーズバーガーが好きだった。ファミレスのニュルリと皮がずれて切りづらいチキンが好きだった。回転寿司の謎に白くにごったイカが好きだった。何のアルデンテさもない冷凍パスタが好きだった。定食屋の味が濃い味噌汁が好きだった。スーパーで買うスイーツの安っぽい甘さが好きだった。コンビニの汗ばんだ肉まんが好きだった。居酒屋の冷凍食品みたいな一品も好きだった。ラーメン屋で頼む油っぽい唐揚げが好きだった。




百名店のカレー屋のスパイスカレーを食べて顔をしかめた。高級うどん店で食べたうどんを食べたら、某チェーン店のうどんの方が好きだと感じた。イタリアンの店で食べたウニが乗ったピザをウニというだけで頼み、後悔をした。結婚式で出てきたスープと魚料理に疑問を抱きながらも勿体ないから食べた。


明らかだ。明らかに食に対してイージーモードだ。


そして、良い店に行った経験も、圧倒的に少ない。(結婚式で食べた料理を食べた料理にカウントすな)



食と真剣に向き合う事なくただ食べる事が好きなだけの人が、今までチェーン店を何となく信用していたような人が、何のけなしの新人が読むにはハードルが高く、これから先そのハードルを飛び越えられそうかと問われたら、きっと出来ないような本だった。


ただひとつ言える事は、この本を読み終わった瞬間に自分を否定したくなった感情をマイナスにとらえるのではなく、新しい扉が開いたのごとく、違う世界へと連れて行ってくれる為のものだったと思いたい。


でも


お母さんが、塾に行く時に握ってくれた焼き鮭のおにぎりが好きだった。おばあちゃんが、夏休みの昼下がりに空腹を訴えた私に作ってくれた味付けが不明のおじやが好きだった。お母さんの帰りが遅い時、お父さんとファミレスで無言で食べた明太子パスタが好きだった。友だちとファミレスで頼みすぎた料理を食べながら将来の話をした時間が好きだった。


そして、一人で食べた牛丼も、ハンバーガーも、うどんも、ラーメンも、蕎麦も、焼き鳥も、定食も、好きだと感じた。


私にとって、食とは、思い出と自己満と共にあった。


なんてこった。



いまこの文章を書いている時間は13時を半分程回っていた。お昼はまだだ。一人で何を食べようか。今まで見たくチェーン店か?


わたしはいま、何を食べたい?どんな気持ち?何に影響されて、何をしてみたいと思った?


影響される事は悪い事じゃないから、イタリアンの店に入ろう。値段が高いな、これはサイゼリアの方が良いな、と思いながらも、料理と向き合うという事を大切にしてみよう。


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