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世界は、墓にはない。

気づいちゃったんだよね。

お墓って、生きてる人が作るものだと。生きてる人が、生きてる人のために作るもの。

毎朝、般若心経読経する。

読経の前に、異世界へ旅立った両親、妻の両親、親戚、友人たちの顔と名前を脳内で呼びかけてから。

なので、ぼくの中で、旅立ったみんなは生きている。彼らは生きる場所を変えただけ。

ある、超有名なお寺に行ったとき、テーマパークみたいだった。お墓の。企業が自社メイン製品の形に似せた墓石を置いていたり。

ヤクルト
アデランス
キリン
ロケット

歴史上の有名な人物のお墓があったり。ある戦国武将など、他でもお墓を見かけたことがあって、いったいこの人、いくつ墓があるんだ? と思った(笑)

このお寺、特に名は秘すが、高野山。ぼくは空海が大好きなので、彼へのリスペクトでお参りしたのだけど、メインスポット行くまでえんえんお墓の中を歩かなければならず、閉口した。

それでも「空海様、大リスペクト!!」というガイドさんが一所懸命説明、時には涙を滲ませ話してくれるものだから、笑顔で聞いてたけど、実のところ、「なんじゃこりゃ」だった。

この「なんじゃこりゃ」は、生きてる人に対して。生きてる君たちが、現世の欲にまみれ、その欲をもっと満たさんがために墓を作る。

ばかばかしい。

墓なんてのは、要らない。思い出すことが大事。

毎朝の読経で、ぼくは異世界に住む彼らを思い出し、そしてつながっている。

なので、お盆だから特に何をする、ということはない。毎日がお盆と言えば、そうだから。

ナウシカのセリフが響く。

「巨大な墓や下僕などなくとも 私達は世界の美しさと残酷さを知ることができる」
「私達の神は一枚の葉や一匹の蟲(むし)にすら宿っているからだ」

『風の谷のナウシカ』7巻 p.208

世界は、墓にはない。生きているぼくたちこそが、世界なのだ。

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