めざせラグジュアリー
「髪の毛、一本でも多い方がエラい」
がプレミアム
「丸坊主でもカッコいい」
がラグジュアリー
10,000円のカレーがプレミアム
オカンのカレーがラグジュアリー
ホテルはこのプレミアムとラグジュアリーを勘違いしているところが多い。
増やせばプレミアム
もっと増やせばラグジュアリー
と思ってる。違うのに。
たとえば
「バスタオルの数を2枚より3枚に増やすとプレミアム感が出ますね」
「部屋の広さをもう10平米増やしましょう。ラグジュアリー感満杯です」
「インバウンドでほっておいてもお客さん来るから、常設のレターセット、あれ、経費かかるし部屋の掃除スタッフも毎回チェックするの手間です。あれを無くしてしまえばスタッフの部屋掃除時間が一部屋あたり2分節約できます。ホテル全体になると200分。時給換算でこれだけの経費削減につながります。
しかも;
今どき、レターセットの使用頻度が低いから、これでうちのラグジュアリー感が減じることはないでしょう。そもそも相手にしたいのは日本人じゃなく外国人観光客、彼らは価格さえ高ければ日本のサービス品質は現時点でもそこそこなので、ラグジュアリーと思ってくれます。日本人は捨てましょう」
ということで、部屋からレターセットが消えた(これ、いま泊まってるホテルの実話。背景の議論は知らないが、消えたのは事実)。
新幹線グリーン車はプレミアム。
オカンと最初で最後、夜行列車、鹿児島までの旅。ボロい車両だったけど、あの体験はラグジュアリー。
昨夜行ったおでんの店。
おでんといえば、練り物が温泉に浸かってるイメージだが、違った。
これ以上お客さんが殺到してはぼくたちが行けなくなるので、店名消してます。
一品ずつが喜びの連続。美味しさを味わえる幸せを堪能した。
これぞラグジュアリー。
プレミアムは足していく。
足すから、さっき言ったように、レターセット減らしたりする。
昨夜のおでんは足してない。一品ずつがアートだ。唯一無二のアート。
「美味しい」というのは決定的に主観であり、自分が入る。
自分が入ると、ラグジュアリーになる。
オカンのカレー、夜行列車も、「オカンとの数少ない思い出」という自分が入ってる。だからラグジュアリー。
昨日ミーティングしてて、そのビルのコーヒー買った。決定的にまずかった。
でもそれはぼくにとっての主観であり、昨日のミーティングの記憶として残っている。だからラグジュアリー。
新幹線車内販売(QRコードで運んできてくれるやつね)が京都のイノダコーヒーに変わってた。決定的に美味しかった。これもラグジュアリー。
「何かを足していった結果、良くなる」という発想は工業化時代の残滓。
機能が10より20のほうがいいでしょう。
ガラケーの晩年は、何がいいのやらさっぱりわからない機能が足して足されて、わけがわからなくなっていた。
この翌年、iPhoneが出て、ケータイはすべてひっくり返った。
当時のケータイの戦略は「足す」プレミアム。
iPhoneは業界のゲームチェンジするラグジュアリー。
そしていまiPhoneは、当時のガラケーと同じ道を歩いている。
会社の業務も、プレミアム発想になりがち。
「より良くしよう」
「より、間違いのないようにしよう」
足す志向だ。
社内会議も、その発想で始まることが多い。
そうじゃない。
必要なのはラグジュアリー、唯一無二、お客さんとの間でストーリーが流れ出るもの。
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