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希望とは、目覚めている人間が見る夢である

映画『アリスとテレスのまぼろし工場』。
実は一昨日(おととい)から、観るかみないか迷ってた。

予告を観ても、イマイチ、乗れなかった。

仕事、山積しているしなあ。

ただ、昨日、阪神百貨店で体験した。

書いている途中、アリストテレスの言葉が浮かんできた。エネルゲイア。
デュナミスとエネルゲイア。対比語。
種子がデュナミスとすれば、エネルゲイアは花。
動機がデュナミス、成果が花。
ちなみに英語の「Energy(エネルギー)」は古代ギリシャ語「Energeia(エネルゲイア)」が語源です。

阪神優勝バーゲンセール会場へ、「なんとなく、見に来る」人たちにとってのデュナミスは「なんとなく」であり、だからエネルゲイアなんてものは、生まれようがない。

「生きる」というとき、「どう生きるか」。

花を咲かせようとして懸命に生きるのか、それともなんとなく生きるのか。

アリストテレスには、こんな言葉もある。
希望とは、目覚めている人間が見る夢である」
「目覚めている人間」というのは、デュナミスをしっかり持ち、エネルゲイア目掛けて日々邁進する人のことだ。

つまり、成果=エネルゲイアを目指してまっすぐ突き進む・・・それが何であれ・・・人間こそが、希望を持つことができる。

映画ポスターを見た。予告を観た。

製鉄所が爆発したことによって、街の時間が止まる。
現実の時間は流れるが、身体的変化は生まれない。
妊娠した女性はいつまでも赤ん坊に会えない。
ずっとお腹が大きいまま。
季節はいつも冬。変わらない。

街というコミュニティは理性で運営される。
大人たちは、理性にルールを定める。
それは、元の世界に戻ったときに困らないよう、「変化しない」というルールだ。

主人公とその友人たちは中学生。中学生は思春期であり、「変化が仕事」みたいなものだ。そんな彼らにとっての「変化しない先にある未来」とは何なのか。

あまりに変化のない毎日に、彼らは飽き飽きする。

窒息ごっことか、高いところから飛び降りるなどしてわざと「痛い」思いのできる行動を取る。

彼らの生活する世界が仮想で、別の場所にしっかりした現実があるのだろうか。

これは映画、観に行かねばならない。

仕事を片付け、劇場へ走った。

観て良かった。

ぼくたちはSNS=スマホ画面で生きているという側面がある。
いつの間にか空は秋の色を濃くしているが、気づかない。

SNSで作った「自分のキャラ」を変えないように、心がけながら。

「変化しないように」というのは、映画の中の大人たちと同じだ。

映画の中にアリストテレスの言葉が両方とも出てきた。

希望とは、目覚めている人間が見る夢である」
そして、
エネルゲイア。

あ。それでアリストテレスがタイトルになっているのか。

映画『君たちはどう生きるか』と大いにリンクする作品。

そして、今日午前中にやったJW-UPオンラインお話会「キャリア」にも通じる内容でした。

ぼくの定義する「キャリア」とは、「お金を稼ぐ手段」。
ただ、お金というと、ややもすると手段が目的化してしまいがちだ。
「お金を稼ぐのが目的」という風に。
そうなると「お金=成果=エネルゲイア」となり、違う。違うけど、そういう人って、多い。社員がそうなってしまっているのはひとえに経営者の責任なんだけど、そこに気づかない社長も、実は多い。

「どう生きるか」は「どう稼ぐか」と言い換えられるし、そうなると、「何を喜びとして」稼ぐのか。「どんな喜びを得たくて」稼ぐのか。
「喜び」こそが「エネルゲイア」であり、たとえば「恋の喜び」が、その衝動が、世界を壊す。

JOY+WOW+LOVE and FUN、喜び、感動、楽しさ・・・そして、愛(恋)

壊れた世界の空から、美しく新しい世界が、生まれてくる。

深い映画でした。また観に行こう。

映画の鍵となる少女いつみ

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