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言葉は言うが、空疎、中身がない

村上春樹さんの小説、語り始めはリアルが淡々と続く。たとえば『騎士団長殺し』であれば、単行本第一部全507ページの278ページになって初めて不思議な体験が始まる。理系のぼくはすぐに計算する。54.8%、つまり半分過ぎたところだ。それまでも家の裏の祠や鈴の音などがじわじわと現実の異化を見せるのだが、ここで決定的に世界の合わせ目がズレを見せる。そして347ページ(全体の68.4%箇所に到達したところ)。小さなおっさんが出てくる。「身長はたぶん60センチばかり」の。「イデアの形体化」というが、現実にはなかなかお目にかかれないことだ。しかし、物語の中にどっぷり入っていると、それが当たり前になる。

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このように村上春樹さんはある箇所からぶっ飛ぶ。で、読者がなぜその「ぶっ飛び」についてこれるかというと、「(村上春樹は)悪いようにはしない」と読者との間にこれまでの信用の蓄積があるから、ということをどこかで話しておられた。とてもよくわかる。「私はいま、村上春樹さんの作品を読んでいる。だからきっとどこかで世界が割れる。歪む。でもそれが楽しみだし、新しいワクワクを体験させてもらえる」という信用。その蓄積。

ビジネスや商いで一番大事なのは「信用」と「蓄積」だ。そのためにブランドを創る。「あそこなら、大丈夫」「悪いようにはしないだろう」。それは「信頼できる相手から買っている」ということだ。

昨日書いたThe Economistとのやりとりで、人が全く生きてない。

むしろ、人を出さないようにしているし、ようやく出てきた電話口の担当は「あなたのお役に立ちたい」という言葉は言うが、空疎である。中身がない。

言葉は言うが、空疎、中身がない

というのは、いま大手を奮ってるビジネスの大半が冒されている病ではないか?

「アマゾンで買ったCPUの中身が抜かれていた」被害が複数件発生しているという。

結局アマゾンはこれに対し、何ら納得いく回答をしていない。ぼくたちはアマゾンで買い物しているが、アマゾンという「イデア」を相手にしているだけで、「生身の人間」はそこにはいない。『騎士団長殺し』の小さいおっさんみたいなものだ。

コンビニやスーパー、ドラッグストアで買い物。棚を自分で探し、自分でレジし、自分で手持ち袋に入れ、帰る。ここに生身の人間、いない。でもみんな、口を揃える。

「もっと近くに、ずっと頼りに。 あなたの笑顔のチカラになる。」とかいいことを言ってる。

言葉は言うが、空疎、中身がない

誰から買うか。誰から買いたいか。誰と話したいか。

ぼくたち商人は、ここに注力する時期だと思う。

ちなみに昨日のThe Economist、解決してません。思えば、いまのぼくは韓国語脳になっていて、突然英語話せ、と言われても無理だったなあ。「どうしよう、どうしよう・・・」というのを気づけば「オットケー、オットケー(어떡해 어떡해)・・・」と独り言してたもん(笑)

そのときのぼくは、こんな感じでした(ベトナムで出会ったワンちゃん)。

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写真で一言、お願いします(笑)

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