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「アニメージュとジブリ展」

《Day Critique》141
「アニメージュとジブリ展」
@松屋銀座

 2021年にコロナ禍のため10日間で中断された展覧会がリベンジ開催。「アニメージュとジブリ」と題されているが、実質は『アニメージュ』の初代編集長・尾形英夫と後に編集長となる鈴木敏夫の仕事を振り返る内容。

 創刊当時から主力編集者だった鈴木の頭にあったのは、『カイエ・デュ・シネマ』のような作家主義の雑誌作りだったという。実際に初期から富野喜幸、高畑勲、宮崎駿、大塚康生、押井守ら個性的な作り手を猛プッシュ。1stガンダムが放送話数を減らされ事実上の打ち切りになった際は、富野監修のもとで「GUNDAM「映画」構成案第1稿」という特集を組み、映画化を後押しした。また、浪人状態だった宮崎駿に漫画版『風の谷のナウシカ』を描かせ、後に徳間書店製作で映画化した経緯も簡単に紹介されていた。当時のアニメージュは作家主義というだけではなく作品が生まれる現場にもなっていたという意味で、確かにカイエのような役割を果たしていたと言える。ちなみに、初代編集長の尾形がつけた同誌のタイトルは「アニメーション」と「イマージュ」のかばん語だという。

 今回の展示でもっとも衝撃を受けたのは、ナウシカ製作時に鈴木が手書きでしたためた「取材対応マニュアル」。アニメ誌の編集部にも関わらず自社映画の宣伝・広報も担うことになったこの時期、当時編集長の鈴木が部下たちのために作ったマニュアルである。今でもこんなに細かいマニュアルを持っている日本のエンタメ企業はないのではないかと思えるほど、幅広い状況に応じた具体的な指示が記されている。しかもその内容は、Netflixみたいな制限だらけのものではなく、素材は無料で・可能な限り貸し出すとか、記事の内容は制限しないだとか、むしろ他メディアに開かれたものだった。これは一緒に掲示されていた「取材して来てイヤだったこと一覧」という鈴木のメモに対応している。そこには、映画会社から設定資料を貸してもらえなかったとか、スタッフの取材を断られただとか、付録やページの制限をされたといったことが愚痴とともに延々綴られていた。元『アサヒ芸能』記者で「ジャーナリズムの人間だった」と自認している鈴木にとって、こうした制作サイドの情報統制・内容の検閲は許しがたいものがあったのだろう。

 これに近い話として、鈴木には「コンテンツは人に使われなければ忘れ去られる」という考えがある。コロナ禍においてジブリがZOOMの壁紙に使えるイラストを提供し、後に全作品の場面写真400点をフリーで出して話題になったことがあるが、あれも鈴木が部下である法務担当者の目を盗んで実現したことである(『熱風』2020年8月号)。部下や周囲の人間からすると厄介な人物かもしれないが、鈴木の行動はいわばコンテンツという無形資産のメンテナンスであり、リユースへの道を開くものだ。そう考えると、鈴木が二次創作の牙城であるニコニコ動画のドワンゴと接近したのも何ら不思議ではない。一方で、Netflixなどの米国系企業だけではなくライセンス事業を強化している日本のエンタメ企業も、IPの囲い込みや情報統制によって一定の成功を収めており、それら規制派と鈴木のどちらが正しいのか(今後生き残るのか)はまだわからない。別の見方をすれば、企業による排他的な囲い込みを許容するリバタリアニズム的発想と、富の共有を是とする共産的感性のどちらが生き残るのか、その代理戦争が行われているとも言えようか。

 ともかく、ガンダムの映画化企画書をはじめ、過去のアニメージュのページ構成と企画のカッコよさにはシビれるものがあった。自分にも何かできるのではないかというポジティブな感情になれる展覧会だった。

(2023年1月7日記)

※トップ画像は展覧会の公式HPより転載

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