Vol.3「科学ってなんだろう?/私たちがキヅキランドをつくるわけ」
こんにちは。キヅキランド発案者の「稲盛財団」より、前回に続きふくだがお届けしています。こどもの頃の思い出におつきあいいただき、ありがとうございました。
さて、「私たちがキヅキランドをつくるわけ」第2回は、科学ってなんだろう? に迫ってみたいと思います。
1965年にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎博士は、こんな言葉を残しています。
「ふしぎだと思うこと
これが科学の芽です
よく観察してたしかめ そして考えること
これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
これが科学の花です」
つまり、科学のはじまりは「不思議だと思うこと」のようです。僕があの夏の日にラジカセを叩き壊して飛びだした謎の部品に魅せられたように。僕はたまたま人工的に作られた電子部品に興味をもちましたが、ある人は、昆虫の鮮やかな色や変わった歩き方に、また別の人は、植物の種のかたちに惹かれるかもしれません。
なんだっていいんです。何かに驚いたり、不思議に思ったりしたら、それが科学のはじまりだと僕は思います。
こどもたちは日常の風景の片隅に不思議を見つけるまなざしを持っている
もうひとつ。1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士は「詩と科学──こどもたちのために」という随筆のなかで、科学は詩と「何だか近いようにも思われる」と書いています。続きを見てみましょう。
科学も詩も「自然を見ること聞くこと」からはじまり、美しいと感じることと、調べたいと思う気持ちは似ているのでは、と湯川博士は言っているのです。
二人の偉大な科学者が言う「不思議に思うこと」、「自然を見ること聞くこと」、「美しいと感じること」の間には、何かつながりがありそうです。
先ほどの湯川博士の文章にはこんな続きがあります。
この文は、こんなふうに言い換えられるかもしれません。
「いつも遊んでいる公園の片隅で、こどもたちは時々思いがけなく詩を発見するのである。大人の目にはちっとも面白くない風景の中に、こどもたちは目に見える花よりもずっとずっと美しい自然の姿をありありとみとめるのである。」
そんなこどもたちのまなざしに気づいていますでしょうか。
朝永博士は、ふしぎだと思うことが「科学の芽」だと言いました。それでは「科学の種」はどこにあるのでしょうか。
実は、キヅキランドは、どうすれば科学の種が芽を吹きだすか、どうやったらハテナがふくらむかを、たくさんの大人が集まって約2年、真剣に遊びながら試行錯誤を重ねて生まれたものなんです。次回はキヅキランドがどのようにして誕生したのか、をお話したいと思います(1月26日公開予定)。
こんなふうに、こちらのnoteではキヅキランドについての記事をいろいろお届けしていきます。よかったらぜひフォローしてください。
それではまた!
*今回ご紹介した湯川博士の「詩と科学──こどもたちのために」に興味をもった方は、ぜひ『STANDARD BOOKS 湯川秀樹 詩と科学』(平凡社)などで、全文を読んでみてください!
Illustration: Haruka Aramaki
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