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「長尾」


「3点で合計842円になります。」

私は財布から一番綺麗な千円札を出す。

「158円のお返しになります」

トレーにおつりとレシートが置かれて返ってきた。

いつのまにか「長尾」と書かれた名札の上の「トレーニング中」の文字がなくなっていた。

そんなところに気付く私は自分でも少し気持ち悪い。

いつもどおり、持ってきたピンクのエコバックに詰め、コンビニをあとにする。

私はこのコンビニで同じものしか買わない。

小さいカップサラダとアイスカフェオレとランチパック。

私にとってこれがいい女であるコンビニ三種の神器だと思っているから。

いつも同じ値段だけれど、細かい小銭は出さない。それが私が思う「いい女」であるから。


ここのコンビニは家から歩いて5分かかる。正直もっと最寄りのコンビニはもちろん存在するのだけど、私はあのコンビニに行く。


「長尾」に出会ったから。


今年の春、偶然入ったコンビニのレジに「長尾」はいた。

特にイケメンというわけではない。でも目がなくなる愛くるしい笑顔とよしよししたくなる茶色い癖っ毛、少し赤いくちびる。そのすべてに一瞬にして目を奪われた。

そこから私は毎日そのコンビニに、いや「長尾」に会いに休みの日も必ずお化粧して行くようになった。

行くたびにあの三種の神器をカゴに入れ、「長尾」のレジに並ぶ。

私は今年で25才。「長尾」は年下なのか年上なのかがわからない。

「長尾」くんなのか「長尾」さんなのかわからない。

だから私は「長尾」と呼ぶ。

毎日行くのはさすがに引かれるかなと、2日置きに「長尾」に通った。

癒しなんだ。

雨の日も。仕事で失敗した日も。2日置きに。

いない日はポテチも買った。カップラーメンも。

いつしかシフトもぼんやりとわかっちゃったり、私はヤバい人間だ。

なんの行動も起こせない私は愚かだ。もしかしてなにかのためにと私は842円のレシートの裏にLINE IDを書いた。

今時、レシートの裏って。

でも私にはそれしか思いつかなくて、それをずっと財布に忍ばせていた。

そんなルーティーンが半年ほどたった初夏。2日置きの訪問で「長尾」に2週間会えない日が続いた。

うまくシフトと噛み合わないのかな。

私は禁断の掟、2日置きをやぶり、1日置きにした。

まだ会えない。

毎日通った。なりふり構わず。日にちもあけず、毎日通った。

結局1ヶ月半会えなかった。

やめたんだ。

なにか夢を見つけたんだ。

「長尾」は「長尾」の人生がある。応援しなきゃ。

応援、、できない。

会いたい。


それからあのコンビニで「長尾」に会うことはなくなった。

いつしかあのコンビニにいくのもやめ、普通に最寄りのコンビニに通うようになった。

三種の神器なんかやめて。そもそも三種の神器なんて何の意味もなかったんだ。

チョコもアイスも好きなものたくさん買うようになった。もちろんお化粧なんてせずに。


4連勤明けの土曜日、お昼までだらだらベッドに身を任せていると、とうとう空腹が限界になった。

時計は1時半。全身鏡に自分をうつす。ちょいボサついた髪と、薄ピンクのTシャツと短パン。ギリセーフか。

サンダルを履き、最寄りのコンビニへ向かう。

カゴにプリングルスを放り込み、カップ焼きそばを入れたその時、私は固まった。

見覚えのあるシルエット。嘘でしょ。

「長尾」だ。

間違いない。頭は真っ白になる。

カゴには全然三種の神器は入ってない。化粧もしてない。ボサボサのボロボロの、、

なんで。なんでこんなときに。

これまでずっと綺麗な私でいたじゃない。

なんで。

そうだ、気づかないか、すっぴんの私に。

気づくわけないよね。

いつもの私じゃないのだから。

そんな期待とは裏腹に「長尾」は私に会釈した。くしゃくしゃした笑顔で。

泣きそう。なんか泣きそう。

あんなに会いたかったのに。会いたかったはずなのに。

私はとっさに財布に手を入れていた。LINE IDが書かれたレシートがひんやりと私の手を冷やしていた。



信号が点滅している。急いで横断歩道を渡る。昔ほど軽快ではないが、まだまだ走れるんだな私。

あれから6年がたった。

環境も変わった。私には愛すべき人と子供が出来た。もうあのコンビニがある街には住んでいない。

変わらないのはこの右手に持つピンクのエコバックだけ。今にもちぎれそうなその取っ手を振り回し、愛する旦那のもとへ急ぐ。

「ただいま」

「おかえり。コンビニ行ってたの?あ、またカップサラダとカフェオレとランチパック。こればっかじゃん」

旦那は目がなくなるくしゃっとした笑顔で言った。

「小腹が空いたんだから、いいだろー」

私はそのよしよししたくなるあなたの癖っ毛を全力で撫で続けた。







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