見出し画像

信念も信仰も依存もしなかった虚無な人生

人間を限界まで動かし、良い意味でも悪い意味でも壊すことができる。

信念

信仰

依存

私はこの3つを持っていたい時期が無いに等しい。

何か一本入った心もなければ、
何かをずっと信じていることもない。
何かに強い依存もなく諦めがいい。

そのせいか、熱中できるものが無い。

どこか一つ、いやそれ以上に冷めた目で物事を取り組んでいる。

思えば子供の頃から、勉強も部活なんて大嫌いだった。

何の役に立つのか、何を目標にしてるんだか

どこまでやっても上には上がいる世界。

真面目にやったところで自分の力じゃたかが知れている。

そう決めつけてきたせいで打ち込んできたものはない。

ゲームや漫画にのめり込んでいたかというとそうでもない。

好きなゲームや漫画はあれど、はっきり言って浅い。

ゲームの難易度はイージー。もしくは強くてニューゲーム。

漫画は買わないで友達から借りるか立ち読み。
買っても邪魔になってすぐ売る。

勉強がしたいから専門学校にも通った。

だが2年の内、真面目に取り組んだのは半年。

あとは遊び呆けていた。

仕事なんてしたくない。

だが、学費を親が借金して払った以上、働かざるを得なかった。

仕事に生きがいを感じたことはない。

どんな仕事も金を稼ぐため。

週5日、8時間。

いつ考えても狂気の沙汰だ。

普通考えて働いた期間と休む期間は平等にすべきだろう。

小学校の頃から思っていた。

学校も仕事もなんで週5日も強制的に行かなきゃならんのだ。

そう思っていても働いた。

週6日の時も、1週間休みがない時も、1ヶ月休みがない時もあった。

何も考えなかった。

何かのためにとか、これのためにとか、報酬も成果も褒美も、

達観していた。

どうせこれが終わっても仕事。何があってもまた仕事。

しょーもない。

おかげさまでどんなことも極度の喜びを感じなくなった。

枯れたのだ。心が。

好きなことがあるとすれば寝ること。

ただ寝るというより、ボーッとしていられる。

考えるのを辞めているときが一番生きていることを実感できる。

最近始めたランニングも、体つくりではなく、走っているときは何も考えなくて済むからという方がでかい。

じゃあボーッとすることに依存しているかというとそうでもない。

それもどうでもいいと思っている。なければそれでいい。

親が死ぬ前にいろんなものを引き継いで、

ただ面倒なことになる前に、

ただ死んでいないだけに生き方をする。

目標なんてない。

死んでないだけ。それで十分。

なにもない。考えていない。

拠り所も、原動力の気持ちも、信じて進む力も

今更何もいらない

そんな生き方を今日もしている


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?