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信州には蕎麦とおやき以外、何もないから…などと、信州人にはよく言われるけれど…。【嗜好飲料】

【嗜好飲料】
緑茶王国・静岡県に隣接している長野県は、茶栽培の北限である。
三遠南信地区として、静岡県側と一括りに語られることもある、南信州(下伊那)エリアにおいて、チャノキの栽培は北限を迎える。
天竜川沿いの天龍村、飯田市、そして木曽川沿いの南木曽町、木曽町などで、やぶきた品種の栽培が行われていて、天龍村中井侍(なかいさむらい)地区の中井侍銘茶、飯田市遠山郷地区の赤石銘茶、南木曽町田立地区の田立茶などの名前が知られている。
寒暖差によってもたらされる渋味と甘味を持つ煎茶ということであるが、そもそも出荷量自体が少ないようで、ほとんど地元消費になっているようだ。
中井侍茶は、やわらかい茶葉と農薬不使用が特徴で、茶葉をお浸しにして食べることが出来るのだそうである。
なかなか訪れる機会が限られてしまう南信州エリアではあるけれども、茶葉のお浸しはいずれ試してみたいと思う。
また、天龍村のやぶきた品種は、煎茶として以外にも、和紅茶として出荷されているものもあり、とてもバリエーションに富んでいる。
煎茶と紅茶とは、同じチャノキの葉を用いて作られる茶葉であり、チャノキの葉をどのくらい醗酵させるかの製法により分類される。
醗酵させなければ不醗酵茶としての緑茶(煎茶・抹茶)となり、全醗酵させれば紅茶、半醗酵にとどめれば、茶としての名称は青茶(烏龍茶類)となる。
煎茶・紅茶・烏龍茶は、漸進的に名称が変わるけれども、本質的には同一のチャノキの葉の抽出液である。
ちなみに、信州和紅茶は、一般の紅茶よりも渋味がやわらかく、やさしい紅茶に仕上げられているようだ。


チャノキの栽培には縁がないと思われるのが、長野市などの北信地方ではあるけれど、その反面、よく近所同士で集まって、たくさんのお茶を飲む。
お茶飲み文化などとも言われ、それぞれにお茶請けをたくさん持ち寄っては、ご近所同士、寄り集まってお茶を飲む。
お茶請けは、お葉漬け(野沢菜漬け)、おやき、寒天寄せ、栗の方寸、干し柿、りんご、笹団子などである。
「信州人ほど茶を嗜む手合いも少なかろう」と、木曽路に生まれた島崎藤村も、その作品の中に書いているくらいである。
藤村の生まれた島崎家は、戦国時代には木曽義昌に従い徳川勢と戦った記録が残るなど、由緒正しい血筋であり、藤村は、今は中津川市に越県合併した旧山口村馬籠宿の馬籠島崎家の父と、南木曽町妻籠宿の妻籠島崎家の母との間に産まれている。
木曽の名家・島崎家の血筋を統一するかのようにして産まれた藤村であるから、ここで言っている信州人とは、木曽や伊那あたりの人たちのことを指しているのかと思ったけれど、その後、藤村は、小諸義塾の教師として赴任して北佐久郡で生活したり、作品の取材で飯山市を訪れたりしているので、茶を嗜む信州人とは、おそらく全県的な意味合いだったのだろうと思う。
むしろ、藤村の生まれた木曽地域よりも、雪の積もる北信地方の方が、お茶飲みの集まりは多そうに見える。
藤村は、お茶飲みは寒いところの風習だろうと書いているけれども、秋田市の人たちも、よくご近所で集まってお茶会を催していたので、信州とよく似た風土を持っているように思われてシンパシーを感じてしまう。
持ち寄るお茶請けも、がっこ、いぶりがっこ、寒天寄せ、焼き諸越、水羊羹、笹団子と、信州とこれまたよく似ているものを持ち寄っていたように思う。


茶葉、いわゆるチャノキの葉の抽出物ではない、茶の代用品のことを「茶外の茶」と呼ぶ。
麦茶・昆布茶・椎茸茶などが、茶外の茶の代表的なものである。
信州の名産としての茶外の茶は、信州蕎麦を用いた蕎麦茶、及び、韃靼蕎麦茶ということになるであろうか。
戸隠、御代田、安曇野で製造されているようだけれども、戸隠の蕎麦茶なんてパッケージに書かれていると、名前からして美味しそうな感じがしてしまう。
密かに、ゴボウ茶なんてマイナーなところも、道の駅などの扱いを見ると、なかなか人気であるように見える。
飯山の伝統野菜・常盤ゴボウ、須坂の伝統野菜・村山早生ゴボウを使用して、ピリ辛に味付けられたゴボウ茶は、少し癖になる風味である。
ほかには、養蚕文化もあったことから、桑の葉茶も、あまり熱心に販促されることはないものの、根強く飲まれているようだ。


信州に、コーヒーのイメージなどは、あまり湧かない方が多かろうと思われるけれども、軽井沢のカフェと書けば途端に豊富なイメージが湧く方もおられるであろうか。
軽井沢では、なんとなく、片仮名表記ではなく、漢字の「珈琲」と書いた方がしっくりくる。
外国人の避暑地として開発の始まった歴史を持つ軽井沢は、早くからカフェや喫茶店の文化が根付いていた。
ミカド珈琲軽井沢店や離山房など、ジョン・レノンが、オノ・ヨーコと連れ立って訪れていたというカフェが、軽井沢の街なかに今も残っている。
離山房には、ジョン・レノンが、よくライターを置き忘れて帰ったなんていうエピソードが残されていて、どこかに、ジョン・レノンの息遣いが残っているような気配を感じてしまう。
ジョン・レノンの置き忘れていったそのライターは、後年、オークションにかけられたそうであるが、今でもどれかのテーブルの隅に、ぽつんとライターが置かれているかのような、そんな錯覚さえ抱いてしまいそうになるから不思議である。
北原白秋は、軽井沢ともコーヒーとも、それぞれにゆかりの深い人物であるが、無類のコーヒー好きとして、コーヒーを詠んだ短歌が残っている。
「やわらかな 誰が喫(の)みさしし 珈琲ぞ 紫の吐息 ゆるくのぼれる」
軽井沢のカラマツ林を散策したあとには、北原白秋に誘われてコーヒーを味わうというのも、愉しみ方のひとつであろう。
また、現代のコーヒー好きたちの間でその名を知られた、丸山珈琲店も、軽井沢を拠点としている。
多くのコーヒー好きたちから尊敬の意味も込めて、変態なんて呼ばれ方をしているバイヤー・丸山健太郎氏によって買い付けられたコーヒー豆は、そのまま自社焙煎されて、スペシャルティコーヒーとして販売される。
丸山珈琲小諸店は、丸山珈琲の中でも特別な存在の、焙煎工場の併設された店舗であるが、そこでは、焙煎工程の様子を見学することも出来たりするので、遠路はるばるコーヒー好きたちが、コーヒーを味わうことを主目的としてここを訪れている。
コーヒーを、文化として味わおうという、特殊な空間であるように思う。
また、小諸市に本社を置いている地元スーパー・ツルヤでは、丸山珈琲店のツルヤ・オリジナルブレンドを取り扱っているために、信州で購入できるコーヒー豆のレベルは高い。
信州には、軽井沢から波及して、しっかりとした珈琲文化が存在している様子である。


コーヒー文化の一方の雄を、軽井沢とするならば、コーヒー文化のもう一方の雄は、上高地ではなかろうかと思う。
軽井沢のコーヒー文化とは、自家焙煎とじっくり抽出、そして、くつろぎの空間としてのカフェや喫茶店であった。
言ってみれば、ゆったりとした時間の流れをじんわりと愉しむ、街のコーヒー文化である。
対して、上高地を中心として浸透しているコーヒー文化とは、登山者たち・アルピニストたちに端を発する、山コーヒーの文化ではなかろうか。
それは、ある種の厳しさをも内包するコーヒー文化である。
槍穂高連峰・表銀座・裏銀座などの北ア縦走を目指すアルピニストたちは、上高地を起点にして、それぞれの目指す山のフィールドに赴いていく。
上高地は、登山者たち・アルピニストたちが交錯する情報ステーションでもあるから、それは、またたく間に広がったのであろうと思う。
山で飲むコーヒーは、うまいという事実。
苦労して登り詰めた山頂やテント場で、湯を沸かし、淹れるコーヒーは、格別なのだという事実。
疲れた体に一杯のコーヒーが染み渡るのだとか、絶景の中で飲むことで上質なリラックス効果が得られるからだとか、心情的な要素も勿論あるのだろうけれども、どうやら、山で飲むコーヒーの美味しさというものは、科学的に証明できるものであるらしい。
コーヒーは、90度のお湯による抽出がもっとも美味しくなるのだという。
そして、標高の高いところでは沸点が低くなるために、標高2,000mから3,000m地点での沸点は、およそ90度となっているのだという。
山の上で沸かしたお湯でコーヒーを淹れるということは、そのまま、コーヒーの抽出にもっとも適した、90度のお湯で淹れているということになっているのだ。
けれども、それがどうしたと、山コーヒーを愛する多くの人は言うかもしれない。
どうも科学的に書いた方が、なんとなく胡散臭い内容になってしまっているようだ。
山で飲むコーヒーの美味しさを科学的に論じたところで、なんの意味もなさそうである。
自分の足で歩いてここまで来て飲めば、それが証明だ、登山を愛する方であれば、きっとそのように言うだろう。
信州の名物、標高2,000mから3,000mの山コーヒーを味わうためには、自分がそこに到達できるようにならなければならない。
道のりは険しいけれど、信州名物の最後の砦、山コーヒーを味わうためには、とりあえず、登山靴が必要だ…。

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