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信州には蕎麦とおやき以外、何もないから…などと、信州人にはよく言われるけれど…。【飲酒文化 後編】

【飲酒文化 つづき】
ウイスキー蒸留所(ディスティラリー)の建設されている土地は、日本国内に少ないと思われるけれども、贅沢なもので、信州にはウイスキー蒸留所も備わっている。
南アルプスと中央アルプスの間を流れる天竜川沿いに広がる上伊那地域の宮田村には、マルスウイスキー信州蒸留所がある。
限定品のシングルモルトウイスキー「駒ヶ岳」の評価が高い。
マルスウイスキー自体は、鹿児島県に本社のある本坊酒造のウイスキー部門であり、同じく、山梨県には、本坊酒造のワイン部門であるマルスワインが置かれている。
マルスウイスキーとマルスワインの所在地の間に、分断するかのように南アルプスが聳え、南アルプスの山梨県側に、サントリー白州蒸留所があるというのもどこか面白く感ずる。
中央アルプス・木曽駒ヶ岳の麓に、マルスウイスキー信州蒸留所。
南アルプス・甲斐駒ケ岳の麓に、サントリーウイスキー白州蒸留所。
上伊那地域の人は、木曽駒ヶ岳を西駒ヶ岳、甲斐駒ケ岳を東駒ヶ岳と呼んでいるというけれども、東西の駒ヶ岳の麓にそれぞれウイスキーの蒸留所が立地するというのも面白いと思う。
しばらく操業を停止していた期間が続いていた信州蒸留所ではあったけれども、蒸留器などの設備を新しくして稼働を再開させている。
信州蒸留所は、蒸留所ツーリズムにも対応しているということであるから、輝くポットスチルフェチの方には、お薦めの見学スポットでもある。
特に、信州蒸留所のポットスチルは、岩井式ポットスチルという、ウイスキーマニアの間では別格の意味合いを有するポットスチルなのだ。
マルスウイスキーの創業に関わる岩井喜一郎という人物は、サントリーウイスキーやニッカウヰスキーの創業に関わる竹鶴政孝の師にあたる人物として有名であり、竹鶴政孝が「竹鶴ノート」を提出したのが、この岩井喜一郎であった。
マルス信州蒸留所では、ブランデーの蒸留も行っている。
マルスブランデー「宝剣」は、木曽駒ヶ岳の隣に聳え、その山懐に千畳敷カールを抱き込む宝剣岳からその名をとった、限定出荷品のブランデーである。
ほかには、アルプスのブランデー・ザ・アルプス、五一わいんのブランデー・五一ブランデーなどもあり、日本国内では、ブランデーという酒自体がそれほど注目されていないわけだけれども、信州は、その有り余るポテンシャルで、ブランデーすらも自らのものとしつつあるように見える。
また、東信地域には、閉鎖した軽井沢蒸留所を復活させようという動きがあったり、新たに小諸蒸留所が蒸留と熟成を始めたりと、新しい動きも活発だ。
軽井沢蒸留所は、日本で最初のシングルモルトウイスキー「軽井沢」を製造したところでもあり、その復活というのは象徴的な意味合いを持つ。
やはりウイスキーという酒は、ほかのどんな酒類よりも、歴史遺産的なものとの親和性がとても高い酒だと思うので、信州人の気質に合った酒ではないかとも思えるのである。
旧軽井沢蒸留所のポットスチルは、今は、御代田町役場の前の敷地に、工業遺産として残されている。


焼酎については、信州の特産品的なイメージがないものの、地元産の焼酎は、案外多く出回っている。
あまり有名ではないかもしれないけれども、信州では、麦、芋、米など定番の本格焼酎は、ほぼすべて地元産が出回っている。
そればかりではなく、クマザサ焼酎、ナガイモ焼酎、レタス焼酎、トマト焼酎など、野菜類を用いた変わり種の本格焼酎も蒸留されているのである。
けれども、信州ならではの焼酎として抑えておかなければならない特筆しておくべきことは、やはり、蕎麦焼酎の存在であろうか。
これから先、焼酎が信州のイメージを背負って立つ特産品として発展するのなら、それは、蕎麦焼酎を置いてほかにはないように思う。
橘倉酒造の峠、芙蓉酒造の天山戸隠、戸塚酒造の草笛、喜久水酒造の二八などの蕎麦焼酎が、比較的大きな地元酒造メーカーによって蒸留されている。
蕎麦焼酎の製造では、宮崎県の雲海酒造に先を越された長野県・信州ではあったけれども、その2年後に佐久の橘倉酒造が峠を製造し、面目を保つ。
峠や天山戸隠は、蕎麦屋に置かれている焼酎として、蕎麦通の間でその名が知られている蕎麦焼酎である。
蕎麦焼酎を蕎麦湯で割るという、まさしく蕎麦尽くしの贅沢な飲み方・蕎麦湯割りが、生粋の蕎麦好きの間では好まれている。
焼酎の割り材としては、さらさら系の蕎麦湯が適しているだろうか。
さらさら系の蕎麦湯の方が、蕎麦焼酎のコクがより強く感じられるので、蕎麦湯より焼酎の方が圧倒的に好きだという方には、さらさら系の蕎麦湯割りがお薦めである。
自分は、濃厚なとろとろ系の蕎麦湯も好きなのであるが、とろとろ系の蕎麦湯では、蕎麦湯と蕎麦焼酎とが喧嘩してしまうような感じもあって、やや軽快感に欠けてしまう。
そこで考えたのは、とろとろ系の蕎麦湯は、チェイサーとして考えて、別々に蕎麦焼酎と蕎麦湯を飲むというやり方である。
蕎麦湯も蕎麦焼酎も好きだけれども、自分はとろとろ系の蕎麦湯の方が好きなんだよな、という方は、チェイサーとして別々に味わう飲み方を試してみてはいかがだろう。


近年、クラフトジンの蒸留所の数が増えているというけれども、その動きは、信州でも活発であるように思う。
駒ヶ根市の養命酒製造、佐久市の芙蓉酒造、野沢温泉蒸留所のクラフトジンが比較的有名であろうか。
クラフトジンとは、ジュニパーベリー(針葉樹西洋ネズの球果)の香りを基本に、その土地特有のオリジナルブレンドとして、草木根皮、ハーブ、スパイス、薬草、香草、香木、といった植物成分(ボタニカル類)の香り付けを行なったジンのことである。
クラフトジンの醸し出す香りとしては、柑橘系と森林系の二大潮流があるようで、信州のクラフトジンは森林系のものが多い。
ジンを特徴付けるジュニパーベリー自体、針葉樹の球果であるから、秋田杉との相性がよく、秋田県でも森林系のクラフトジン造りが盛んであると聞いている。
やはり、柑橘系のクラフトジンは南方系、森林系のクラフトジンは北方系に多そうである。
地元産のボタニカル類の香り付けに、個性や特徴を持たせることが出来るために、アロマテラピー的な愉しみ方も出来そうである。
信州のクラフトジンは、クマザサやクロモジの香り付けが好まれているようだ。
クロモジは、古来、高級な爪楊枝などにも用いられる香木で、日本の山野によく見られる。
クロモジ製の爪楊枝は、単に食べカスをとる道具ではなく、食事終わりの口腔リフレッシュの機能を持つ嗜好品でもあった。
西洋においても、爪楊枝にハッカやミントのフレーバーをつけて、煙草代わりにこれを噛むというトゥースピックの文化がある。
爪楊枝の世界は深い。
山菜採りなどでクロモジに遭遇すると、指に香りを移しとるなどして、山歩きの疲れをリフレッシュするのに用いていたのを思い出す。
考えてみれば、ボンナやウド、ミツバや山椒など、山菜採りとは、ボタニカルフレーバーを愉しむという側面を持っている趣味なのかもしれない。
山菜採りの世界も深い。
養命酒製造の「香の森」「香の雫」は、クロモジの枝を主要ボタニカルとしたクラフトジンである。
ジンの誕生は、ジュニパーベリーの薬効を求めてこれをスピリッツに漬け込んだ薬用酒にあると言われ、ペストの時代に遡るというから、本来は薬用の酒であった。
薬用酒とジンの近さを考えれば、養命酒製造がクラフトジン製造に乗り出したのも、また自然のなりゆきだったのかもしれない。
徳川家康や山本五十六も飲んでいたという記録が残る養命酒。
薬用養命酒はもちろん、木曽の百草丸、八幡屋礒五郎の七味唐辛子もボタニカル素材を存分に活用した、信州ならではの製品と言えるかもしれない。
そうであってみれば、クラフトジンもまた、信州の歴史と伝統に、とても親和性の高い蒸留酒であると思えてくるのである。


思いのほか、記述する内容が多くなってしまったため、この回を最後とする予定が崩れてしまいました。
信州の飲酒文化、恐るべし、と言うべきか…。
このシリーズ、もう一回分、続きます。

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