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信州から始まる妄想的歴史考察 中世

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便宜上、中世としていますが、源平・南北朝・戦国など広く武家の時代についての雑感についてまとめています。信州の武家の時代は、奥が深いです。
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#信州

信濃村上氏にまつわるダーティーな魅力がおもしろい。その③

戦国時代、信濃村上氏は近隣の大井氏や海野氏と抗争を繰り返し、再び勢力を盛り返していた。 …

杞憂
1年前

信濃村上氏にまつわるダーティーな魅力がおもしろい。その②

信州と言う土地はなかなかに広大で、さらに、各盆地が山々によって遮られているために、統一さ…

杞憂
1年前

信濃村上氏にまつわるダーティーな魅力がおもしろい。その①

中世の東北信地域に一時代を築いた信濃村上氏は、なかなかにダーティーな魅力を秘めた一族であ…

杞憂
1年前
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ざっくり信州中世史③エピローグ、あるいは諏訪四郎勝頼。

武田信玄晴信の四男である武田勝頼は、諏訪惣領家の娘・諏訪御寮人を生母に持ち、高遠諏訪家の…

杞憂
1年前
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ざっくり信州中世史②

南北朝が合一すると、信州は、諏訪神党と小笠原氏の二項対立の時代から、信濃村上氏の不穏な動…

杞憂
1年前
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ざっくり信州中世史①

信州における武士の時代は、二項対立から多極化の流れでざっくり把握するとわかりやすいように…

杞憂
1年前
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信州に匿われた三人目の遺児・足利成氏、そして大井氏 その②

大井氏が居城としていたのは、安養寺にほど近い、湯川のほとりにあった。 大井城の周辺は、今では宅地開発されてしまっているため、興味もなにもなければ、たださらりと通り過ぎるだけの、児童公園の雰囲気である。 ここは城だと意気込んで訪れてみたとしても、郭の上を歩くだけでは、なんの変哲もない平城に、ほんのちょっぴり毛の生えたもののように思えてしまう。 城の面影を期待して訪れれば、まず目に飛び込むのは児童用の遊具の存在で、少し高いところにあるだけの児童公園の様相に、がっかりすること請け合

信州に匿われた三人目の遺児・足利成氏、そして大井氏 その①

中原兼遠のもと、木曽谷や小県に匿われた、駒王丸こと旭将軍、木曽次郎・源義仲。 諏訪照雲の…

杞憂
1年前
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中先代と信濃宮、諏訪神党が支えた敗れざる者たち その③

信州における北条時行の痕跡と言えば、大徳王寺城にほかならない。 関東から畿内まで活動範囲…

杞憂
1年前

中先代と信濃宮、諏訪神党が支えた敗れざる者たち その②

木曽谷には木曽方というシンボルがあったように、伊那谷には南朝方というシンボルが存在してい…

杞憂
1年前

中先代と信濃宮、諏訪神党が支えた敗れざる者たち その①

歴史好きのあいだでも、あまり取り上げられることのなかった人物ではあるものの、北条時行とい…

杞憂
1年前

木曽義仲を必要としていたのは、プレ諏訪神党だったのか その③

そしてこの木曽方の挙兵には、もうひとり、ゲストスターとも言える存在がいた。 後年、諏訪神…

杞憂
1年前
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木曽義仲を必要としていたのは、プレ諏訪神党だったのか その①

木曽義仲は、諏訪を中心とする勢力によって支えられた旗頭だった。 そう考えてこのあたりの状…

杞憂
1年前
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旗挙八幡、義仲偲ぶ その②

旗挙八幡周辺の景色を眺めていると、木曽次郎、今井四郎、そして巴の呼び合う声が聞こえてくるかのような、不思議な気配を感じてしまう。 三人が馬の轡を並べて、木曽の山野を駆け回っている情景が脳裏をよぎる。 今井四郎兼平とその妹・巴は、木曽次郎義仲を匿っていた中原兼遠の子供たちで兄妹であるという。 ほかの兼遠の兄弟たちと比べて年の頃が近かったために、ほかの兄弟たちよりも深い絆が育まれたものだろうか。 義仲の最期を描いたシーンにおいても、この三人は、最後に残った主従として描かれている。