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ユリウス・カエサルがどのようにしてローマで絶対的権力を掌握したか

ユリウス・カエサルの話から、ここ数回に渡りnoteの中で、ビジネス関連の話を、色々語りました。
↓こんな感じ

毎回ちょっとローマの話に逸れるので、今回は思いっきり、純粋に古代ローマとユリウス・カエサルの話を書いてみます。

古代ローマというと大きく3つの時代に分かれるんですよ。

  1. 王政ローマ

  2. 共和政ローマ時代

  3. 帝政ローマ時代

特にローマの歴史で大きいのは、王政から共和政に移った時、そしてもっと大きいのは共和政から帝政に移った時でしょうかね。

古代ローマはさまざまな政治形態を経てきた

紀元前の話をします。
紀元前500年くらいのころに、ローマが共和制になったんです。
それまでのローマは、王政だったんですね。
王様がいたんですね。
実は私は、あまり王政ローマ時代をあまり知らないんですが、ほぼ「伝説」に近いので、その部分は雑になりますがw (詳しい方はフォローをお願いします)

どうも王政ローマ時代は王の圧政に苦しんでいたみたいなんですよね。
そこで、王を追放して「共和政ローマ」になったんですね。

とにかく、その後は、一人の支配者に権力が集中することを極端に嫌ったんですね。とにかく法による支配と、公共の利益を優先する政治を目指そうとしていたんですね。
ですから、王制への回帰は強く拒絶されました。

現代社会ほど民主主義な政治ではないですが、それでも当時としては画期的な政治システムが出来上がっていました。

共和政ローマの主要な政治機関

  • 元老院(Senate): 元老院はローマの貴族階級から成る議会であり、外交政策、財政、および法律に関する助言を行う重要な役割を持っていました。

  • 執政官(Consuls): 執政官はローマ共和政の最高執行官で、主に行政と軍事の指導を担当しました。執政官は毎年2名が選出され、相互監視の原則により権力の集中を防ぎました。画期的なのは、執政官はローマの成人男性市民の投票によって選出されており、執政官の任期は1年で、再選は通常、間隔を空けてからでなければ許されませんでした。連続当選できなかったんですね。

  • 独裁官 (Dictator):独裁官は、ローマが重大な危機(例えば、戦争、内乱、大規模な飢饉や疫病など)に直面した際に、緊急事態に対処するために任命される特別な官職でした。独裁官はローマの法律や伝統的な権限の制限を超えた、ほぼ無制限に近い権力を持っていましたが、その権力は厳密に限定された期間(通常は6ヶ月)に限られていました。独裁官は危機の際に、元老院の提案に基づき、一人の執政官によって任命されました。独裁官の任期は最長6ヶ月で、特定の任務を完了するか、または危機が解消された時点で職を退きました。

  • 護民官(Tribunes): 護民官はプレブス(平民)の利益を代表し、彼らの権利を保護する役割を担っていました。護民官には元老院の決定に対する拒否権があり、これによって平民の権利を守ることができました。

  • プレブス会(Plebeian Council): プレブス会は平民による集会で、護民官を選出し、平民に関する法律を制定する権限がありました。


世界の歴史まっぷ https://sekainorekisi.com/ から引用

衆議院が平民の会議で、参議院が元老院で・・・みたいな感じに似ているのかもしれません。衆議院の力が強いですよね。
それにしても、一般の平民も選挙で投票できたことは画期的ですね。(ま、現代とは違い平民男性だけが投票権を持っていました。)

ローマの元老院のイメージをAIに描かせてみました

要するに、一般市民から選出された大統領のような執政官は、基本的に2名選ばれ相互監視しますし、任期はたったの一年で。
連続して就任できないということで権力が集中しないようになっていたわけですね。
有事の際に圧倒的権力を持つ独裁官も、最長でも6ヶ月という任期なんですよね。

そんなガッチガチで、王のように権力が集中しないような法と政治システムを作ったローマにおいて、なぜユリウス・カエサルが皇帝に近い権力を持つことができたのか?
そのプロセスはこんな感じです

  • 軍事的成功: 彼が率いるガリア戦争で勝利し、カエサルに対して、軍隊およびローマ市民の支持を高めた。

  • 三頭政治: カエサルはポンペイウスおよびクラッススとともに、三頭政治という政治同盟を結び、ローマの政治を事実上支配。

  • 民衆の支持: 軍事的成功だけではなく、公共事業やイベントを数多く実施して指示を集める。民衆の指示も高くなるため、元老院や貴族層の反対を抑え込むことができた。

  • 法的・政治的機動: カエサルは独裁官に任命され、その期間を延長することで、共和政の枠組み内で権力を拡大することができた。最終的には終身独裁官になったんですよね。

  • ルビコン川の渡河: 最後の極め付けがコレ。ルビコン川を渡河し、ローマに進軍し、ローマ内戦に突入し勝利し、ローマの実質的な支配者となる。

これらの活動を通じて、カエサルはローマにおいて王に近い権力を持ったんですが、結果、不満に思う人たちによって暗殺されるんです。
「終身独裁官」の権力を奪うには殺すしかなかったんでしょうね。
結局は、カエサルの死後、カエサルの養子オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)がローマ初の皇帝となるんですよね。

王政を嫌って「王」を生まない政治システムを作ったローマが、なぜ帝政になったのか・・・そんな話でしたね。

ということで、興味ない人には全く興味がないかもしれませんが、詳しい人には物足りなかったかもしれませんが、
どんなシステムにも必ず穴があって、その穴を生まないようにシステムを「法」などで固めれば固めるほど、結果穴が生まれるんですよね。
そしてその穴を利用しようとする人が出てくる。

ローマの帝政は、世襲ではなかったことが救いですよね。優秀な人物を養子にして継がせたんですよね。
事実色々異論はあるでしょうが、
紀元前27年の初代アウグストゥス帝から、五賢帝で有名な紀元180年のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝時代までパクス・ロマーナ(Pax Romana)と呼ばれる平和な時代が続き、この約200年間、ローマ帝国は内戦、大規模な征服戦争がほとんどなく、経済的、文化的、社会的に繁栄したんですよね。

どこかで書いておかないと、毎回noteにちょこちょこ書いて横道に逸れるので、ここで吐き出しておきました・・・

じゃ、最後に小ネタを!
7月(July)と8月(August)は、このユリウス・カエサルと初代皇帝のアウグストゥスにちなんでいるって知っていました?

昔、学校の先生が、September(septemはラテン語で「7」を意味する)、October(octoは「8」)、November(novemは「9」)、December(decemは「10」)ということで、本当はSeptemberが7月、Octoberが8月、Novemberが9月、Decemberが10月だったのに、そこにユリウス・カエサルと初代皇帝のアウグストゥスが、自分の名前(誕生月?)割り込んで、全部ずれ込んだ!!と聞いたんです。

ユリウス・カエサルとアウグストゥスによってカレンダーがずれ込んだのだと思っていた・・・

ま、実際は違うみたいで、
もっと以前の古代の王政の頃に、1月と2月にJanuary(ヤヌス神にちなむ)とFebruary(清めの祭りFebruaにちなむ)が追加され、12ヶ月制になったために、それ以降が全部ずれ込んだらしいです。

その後に、7月がQuintilis、8月がSextilisと呼ばれていたところを、
「Quintilis」をカエサルにちなんで「July」に改名(ちなみにカエサルは7月生まれ)
「Sextilis」をローマ帝国の初代皇帝となったアウグストゥスの功績を記念して「August」に改名。
ちなみにアウグストゥスは9月生まれだそうです。


※おまけ
もし日本の投票所で古代ローマ人が投票に来たら・・・

「もし日本の投票所で古代ローマ人が投票に来たら・・・」をAIに描かせてみたw

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