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その「アイコン」は「人間」だし、その「商品」には「生産者」がいる。


「なりすまし上手」な商品たち

きれいに仕上げられたTシャツや靴下を店頭で眺めていると、まるで世界に「Tシャツ」「靴下」といった物質が原子単位で存在しているように感じませんか?私は無意識にそう思っていました。

現代のお品物はすべてきれいで、ハイクオリティで、それが当たり前で、とても素晴らしいです。でも、それらはあたかも「デフォルトでこの感じですけど?」みたいな澄まし顔してそこに並んでいるけれど、やっぱりそんなわけがないんですよね。

そのモノを世界に生み出した「生産者」が、必ず背後にいます。私が普段そこまで想像しないだけで、そこまでの想像力がないだけで、無機質に見える商品も、同じ寸法で作られた商品も、すべての背後には必ず誰かがいるんですよね。


初めて浮かんだ「生産者」の顔

昔、大手のアパレルブランドで販売員として働いていました。

ものすごく大きなブランドだったので、毎朝大量にパッキン(商品が入っている段ボール)が入荷してくるのですが、そこから商品を取り出している際、ふと開けた段ボールの内側にサインを見つけたことがあります。

その服のタグを確認すると、生産国はバングラデシュ。だからもしかすると、そのサインはバングラデシュで働く誰かのサインだったのかもしれません。私はそのとき、恥ずかしながら初めて「生産者」の顔を想像しました。

そのサインが実際に生産者のものなのかどうか、その真偽はわかりません。でもそのあたりは正直どうでもよくて、私は無機質だと思い込んでいた「商品」が、たしかに誰かの手によってつくられたものなのだと、初めてそこで実感できたんです。

なんか、これってSNSみたいだな、とも思いました。そのアイコンの裏に必ず人間が潜んでいるのと同じように、そのTシャツにもパンツにもスカートにも、必ずそれを生みだした誰かが後ろにいる、なんて。


「効率」の代償として失ったもの

私が好きな小説・朝井リョウさんの『何者』には、こんな言葉があります。

”ほんとうにたいせつなことは、ツイッターにもフェイスブックにもメールにも、どこにも書かない。ほんとうに訴えたいことは、そんなところで発信して返信をもらって、それで満足するようなことではない。だけど、そういうところで見せている顔というものは常に存在しているように感じるから、いつしか、現実の顔とのギャップが生まれていってしまう。ツイッターではそんなそぶりを見せてなかったのに、なんて、勝手にそんなことを言われてしまうようになる。自分のアイコンだけが、元気な姿で、ずっとそこにあり続ける。” ー『何者』/朝井リョウ

私が好きなアメリカのデジタルクリエイター・Dylan Marronさんのポッドキャスト『Conversation with People Who Hate Me』の締めくくりは、いつもこの言葉です。

“REMEMBER: There’s a human on the other side of the screen.” (訳:忘れないで。そのスクリーンの向こう側には、人間がいる。)ー Podcast:『Conversation with People Who Hate Me』/Dylan Marron

この完ぺきで完全な世の中において、きっとみんなの大好物は「効率」です。これは個人的な意見ですが、検索さえすればいつでも最短ルートを教えてくれるGoogleマップは最強だし(たまにヘンテコな道にまで案内してくるのは少し嫌だけど)、なにか情報が欲しいときはすぐさまSNSをスクロールするし、そこに行けば一瞬で触れ合える意見や情報をなんだかんだで頼りにしがちです。早く有益な情報にたどり着けることは、私たちの生活をとても豊かにしてくれました。でも恐らくそれと同時に、私たちは物事の奥行きや背後を考える隙間さえも、悉くすり減らしてしまったのかもしれませんね。


全ての背後には、「人間」がいる。

でも、アプリを開けば即座に出くわすその呟きも、その意見も、その情報も、その写真も、誰でもない「何者」かが発したものではないんですよね。それと同じで、あなたが今着ているそのTシャツも、下着も、はたまた押し入れの中で眠っているあのスウェットだって、元からそんな形で世界に生み落とされたわけじゃないのです。

その「アイコン」は「人間」だし、
その「商品」は「製品」だし、
その「製品」には間違いなく「生産者」がいる。
全ての背後には、「人間」がいる。

なんとなくストレスが溜まってイライラしたり、主張や糾弾がよどみなくあふれるSNSにげんなりしたり、物質主義に飲まれて長期的な幸せを見失ってしまったり。

大量のモノや情報に飲み込まれる今だからこそ、そういった「当たり前のこと」を「当たり前のこと」として、ずっと意識の片隅で生かし続けたいですね。それだけできっと、わたしたちはお互いにやさしくなれるような気がしています。

世界はいつだって、“REMEMBER: There’s a human on the other side of the screen.” です。あなたが向き合うスクリーンの向こう側、この記事だって人工知能が勝手にやってのけた文明の生業ではなく、「私」というひとりの「人間」が自分の思いをコツコツと垂れ流した、そんな正当なアナログの成果でしかないのですから。


最後に上記の決め台詞を残したDylanさんのTEDトークをここに載せておきますね。頭の冴えたスピーチ内容と聡明な話し方が素敵で、見ていてとても気持ちがいいです。(日本語字幕あります)

Empathy is not Endorsement(「共感」は「支持」ではない)| Dylan Marron


また、この記事が少しでも「面白い!」と思ってくださった方は、ぜひ喜代多旅館の物販サイト「KIYOTA STORE」も覗いてみてください。スタッフ自身が「売りたい!」と思ったものを揃えたラインナップは、とても個性的だし、何より商品の背後に人影をムンムン感じることができるため(実際に産地まで足を運んで手に入れたコーヒーや、スタッフがデザインしたトートバッグなど)とても楽しいと思います。ストーリー性のあるショッピングを楽しみたい方は、是非!

KIYOTA STORE


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


休んでかれ。