見出し画像

ライフとイノベーションを求めて。今こそ知りたい「ケイオディック・パス」|ピンチからチャンスを探るオンライン対話・開催レポート(2/4)

この記事は、前回からの続きです。

希望へと続く道を求めて

統制には支配による絶望が、強いカオスは混乱による絶望があります。

画像1

このように、両極端には、「次につながりづらい道」があります。

それでは、私たちがより健やかにはたらき、生きて、希望へと続きやすい道はどこにあるのでしょうか。

ワーク①観察 : カオスと秩序を見つめ直す

改めて、カオスと秩序を見つめ直してみましょう。

画像2

それが両方ともある場面や状況に出くわしたことがある方はいらっしゃいますか。

これは、東京に行かなくてもあるのですよ。

これです。

画像3

何が見えますか。

ぜひ、この先を読む前に、ぜひあなたの声を聞かせてください。

・・・・

・・

(参加された人の声)
木が倒れている。カオスです。
苔がはえている
水が流れている
サンショウウオが隠れている!
大切なものをその内側に隠している。
内側から動く。
コントロールできない。
すでに育ている大きな木がある。形がある。
新しい命が芽吹いている。新しい秩序の始まり。
木が対岸に橋をかけて、動物が行き来します。
二度と同じ形にならない。
勝手につながる
生まれるものがあり、死ぬものがある。
ゆっくりしている。
きれいだな。

ぜひご自身の近くにある、実際の自然に触れてみて、やってみてくださいね。

・・・

カオスと秩序は、イキモノのサイクル

私が個人的に伝えたいことは、「カオスと秩序」は一緒になると美しいということです。

だって、美しいでしょう?

それは、死と生、陰と陽、静と動を一緒に抱いているのです。私たちは、出会いが別れの始まりであるということを知っています。それでも私たちは誰かを愛します。そして、それを繰り返していきます。

個人的な詩情はともあれ、カオスと秩序の行き来は、私たちの命、人生、自然のサイクルそのものだと言えます。

改めてこの図で見てみましょう。

画像4

木は倒れて、朽ちて、土へと還っていきます。カオスへ行くのです。

画像5

そして、土から新しい芽が出て、木になり、森になる。花ひらき、多くの他の生き物に実りをもたらし、種を大地に落とします。

そして、老いて、最後は再び土に還っていくのです。

そのサイクルが見えますか。

地球は、そのような循環の中にあります。私たちは、それがあるからこそ、生きています。あなたが食べたリンゴは、体の中で分解され、ゆくゆくは土の中で、微生物によってさらに分解されます。土の中で、なにかと結びついて再び形を成して、今度はヘビが食べる苺として、あるいは別の命として、森や海の中で現れるかもしれません。

ライフとイノベーション

私の友人がこんなことを言いました。

「カオスとは、ライフそのものだ。」

その意図するところは、カオスこそが創造の源であるということでした。

画像6

この時、カオス≒土(=環境・生態系)が多様で、豊かなものであるほどに、さまざまな植物や生き物が育ち、行き来する可能性が高まります。

たとえば、そこで、これまではつながりのなかった花と花が出会うでしょう。それらが互いに受粉したならば、あたらしい種子を土に落とします。そして、いつしか見たこともない花を世界にもたらします。

画像7

それがイノベーションです。

画像8

私たちが一見恐れてしまいそうなカオスこそが、イノベーションの源とも言えます。

そのことを、「創発」と言うことがあります。

それは「ただ新しい」だけではありません。言うなればそれは、「1+1=2+α」です。プラスαという、これまでにはありえなかった要素がそこにはあるのです。それは、父も母も持っていない形質です。

たとえば、私はクラフトビールが好きなのですが、麦とホップと水を混ぜて発酵させた結果できたビールは、どの原材料にもない甘美な香りを出すことがあります。その香りは創発されたということができるでしょう。

また、新型のコロナウィルス(COVID-19)もこれまでにない形質を持っています。それは、発生源となった環境での人と生き物のやりとりの中で、創発されて出てきたと言えるのではないでしょうか。さらに言えば、それによって引き起こされた社会の状況も創発されたものです。

それゆえに、今私たちが既に持っている知恵では、太刀打ちできないものがあります。(実際に、私の生活や国内外の状況がそのようになっているわけですが。また、新型コロナウィルスのワクチンや、感染拡大を効果的に抑える知恵は、この原稿執筆時点では世界に存在していません)。つまり、創発レベルの問題は、創発レベルの解決策を求めると言えるのではないでしょうか。

アルバート・アインシュタインはこのような言葉を残しています。

No problem can be solved from the same level of consciousness that created it.
(問題はそれがつくられたのと同じ意識レベルでは解決することは出来ない)

ケイオディック・リーダーシップ

ここでやっと登場するのが、「ケイオディック」という言葉です。

画像9

それはカオスとオーダーを合わせた言葉です。

そして、カオスとオーダーを行き来し、イノベーションを起こしながら、意図して望んだ目的の方向へと歩んでいく力を、ケイオディック・リーダーシップと呼びます。

先ほどの「新しい花」の喩えで言えば、一度で狙ったような花が出てくることはないでしょう。それゆえに、試行錯誤を繰り返して行かざるを得ないのです。

このケイオディック・リーダーシップを見たことがある方はいらっしゃいますか。

・・・

そのようなエピソードが思い当たれば、ぜひ後ほどお聞かせてください(このnoteでは私のエピソードを追ってシェアします)。

たとえば、「それでは、突然ですが、ここにいるみんなで音楽をしましょう!」と私が言ったとします。「この状況が一気にカオスに陥った」と感じる人が、増えていくかもしれません。

実際にそうせざるを得なくなった時、誰かが「じゃあこうしてみないか」と形を提案するのは、カオスから秩序へのリーダーシップです。その逆に、「ちょっと変えてみない」と別のやり方を誘うのは、秩序からカオスへのリーダーシップだと言えます。

ケイオディック・パス

そして、カオスとオーダーを行き来しながら、意図して望んだ目的の方向へと歩んでいく道は、このように見えるかもしれません。ピンク色の曲がりくねった道です。

画像10

その道のことを、ケイオディック・パスと言います。ケイオディック・ロードではないので、舗装された道路というよりは「ほそ道」ですね。

「おっとっと!」。そんな声が出てしまうかもしれません。

油断したら、私たちは、強いカオスや統制という両極端にある「無意味さの奈落」へと転落してしまうかもしれません。そうではなく、絶え間なく変化する風向きの変化に柔軟に対応しながら、バランスをとったり、失ったりしながら進んでいきます。

成果を出しながら、意図して望んだ方向へと進むために、カオスと秩序を、行ったり来たりする必要があります。

カオスの中だけであれば、行き先も見えず、答えを出さないままに取り組むことになってしまいます。まるでずっと土を深く耕し続けるだけのような状態です。

一方で、せっかくつくった秩序をゆるめて、カオスを迎え入れることも、やはり恐れを伴います。やっと同じような果実を収穫し続けられるようになったのに・・と。しかし、現状維持に固執してしまうと、次世代の新しい種は生まれづらくなります。

ケイオディック・パスは、勇気がある者が、暗闇の森を手探りで進むような「道なき道」です。

それを歩んでいくためには、繰り返しの実践が必要です。多くの私たちが、子供の頃に、1日ですぐに自転車に乗ることができるようにならないのと同じです。何度も転んで怪我をしながら、それを身につけていくのです。

ケイオディック・パスと参加型リーダーシップ

「もしあなたがヒーローなら、ケイオディックパスから落下してしまうだろう。」

私の別の友人はそう言いました。

ケイオディックパスを歩むことは、多くの場合、「多様なメンバー、できれば全員の参加」ということと組み合わせて語られます。

つづく。
**
https://note.com/kiyossession/n/nfbb916dbc965**

もしこの記事が役に立ったようだったら、ビール1本奢ってくださいまし(サポートお願いします🤲